バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

突然の別れ②

2010年09月03日 | 日々の出来事
バンビはおばあちゃんが大好きで、いつも家に遊びに行くことを楽しみにしていた。
(まぁ、電車や車に乗ったり、外食することを楽しみにしていた部分も大きかったとは思うけど。)

母が亡くなったとオットから連絡があって、取るものもとりあえずバンビを連れて実家に行ったけれど、その時は警察がいろいろ調べている最中で 結局母の亡骸に会うことはできなかった。
(自宅で1人で亡くなると、事件性の有無を警察が調べるんだよね。
 タンスの中のお金から預金通帳まで見られると 初めて知った。)

だから、バンビには ばあちゃんの家にばあちゃんがいないことが不思議らしく
「ばあちゃんはいないの?」 「ばあちゃんはどうしたの?」 と言っていた。

もちろん、その時点で おばあちゃんが亡くなったことは伝えてはあった。
バンビは去年おじいちゃんを亡くしているし、メダカやかぶと虫の死にも何度も遭遇しているので、死=いなくなること という理解はあったと思う。

でも、死を理解していることと、祖母の死を受け入れることとはまた別らしかった。

結局、バンビが対面できたのは、葬儀場に横たわる義母の亡骸で
ばあちゃんに触れて 「ばあちゃんは寝てるの?」 「ばあちゃんはもう起きないの?」と言っては周りの涙を誘った。

警察の調べの後 死亡を証明する書類が出るまでに時間がかかり、六曜(友引とか)の関係でお通夜までに2日も空くことになって、その間遺族は様々な手続きやら片付けにに追われていた。

ほんとに、死ぬってことはなかなか大変で、遺された者はおちおち泣いてもいられなかったりするんだよね...。

そんな状況で申し訳ないことにバンビはほとんど親からは放っておかれてたけど、親戚(義姉のダンナさんとかいとこのおねえちゃんとか)にまとわりつき、かまわれつつ それなりにおとなしく過ごしていた様子。
(親にベッタリじゃないところが こういう時助かる。)

その頃は 「ばあちゃん、死んじゃったね。」を事あるごとに連発。
たまに「ばあちゃん、ダメだよねー。」とも言っていたから
永久の眠りについたばあちゃんの姿を見て、死を認識してもまだそれを受け入れられない気持ちがあったんだろうな。

その気持ちは理解してやりたいと思いつつ 「バンビがそういう風に言うと、みんなが余計悲しくなるからもう言わないでね。」とその都度言っていたら
いつの間にか バンビも言わなくなっていった。

お通夜・葬儀の頃にはみんな疲れていて、バンビもダルダルで途中で居眠りしてたり、かさぶた剥がしたりしてはいたものの、お焼香などはちゃんと務めて みんなと一緒にばあちゃんを送り出すことができた。

バンビはバンビなりにすごく頑張っていたと思う。
親戚にも「おとなしくていい子ね。」と誉められていたけど、私もオットも「よく頑張ったね。ちゃんとできて偉かったね。いい子にしていてくれて、パパもママも助かったよ。」といっぱい誉めておいた。


学校にも行き始め、普通の生活は戻ってきたようだけど
大好きだったばあちゃんはもういない。
それでもたまに 「またばあちゃんち 行く?」と聞いてくるバンビ。

今朝ご飯を食べていたらいきなり「ばあちゃんの骨は?」と言うのでびっくりさせられたし。
(前後の会話にも何も関連がなかったのに、何故?)
そんな風にバンビの心の中にも まだいろんな想いが渦巻いているんだろうな...。

お母さん、そうやって成長していくバンビを 空の上から見守っていてね。

メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp