バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

生い立ち①-NICU退院まで

2006年05月01日 | バンビの生い立ち(ブログ公開まで)
【出産前】エコーでも性別が判明せず(後から考えると停留睾丸のため)
     胎動が弱い、予定日を過ぎても産道に降りてくる気配ナシ

【出産】40週6日目 帝王切開にて出産 (母は陣痛未体験)
    体重2594g、身長49cm
    バンビは一瞬産声を上げて、片目を開けて母を見てくれました。

【入院】低筋緊張で吸啜反応もない(ミルクを自分で飲めない)ため
    NICU(新生児集中治療室)に入院
    保育器内で経管哺乳を行う(20ml 母乳とミルク混合)
    外性器の発達が未熟(停留睾丸)
    超音波検査・レントゲン検査により、「心室中核欠損症」判明

    肌の色は白いけど、髪はふさふさで黒々としていた。
    全身力なくだらんとしていて、何故か手のひらを肩の上に乗せて
    いることが多かった。

【出産翌日】プラダー・ウィリー症候群の疑いありということで、染色体
      検査(FISH)を実施。
      泣かない、動かない、ひたすら寝ているだけのバンビ。

【5日目】はじめて抱っこする。嬉しくて涙が止まらなかった。

【11日目】母は退院。搾乳して冷凍したものを持ってNICUに通う日々が始まる。

【21日目】検査の結果、15番染色体の欠失は認められず。別の染色体検査(メチレーションPCR)を実施する。

【27日目】口からの哺乳に初挑戦。60ml中5mlを口から飲む。
      (バンビは心臓に穴が開いているため、その負担を考えてミルクは少なめ)

【1ヶ月】染色体検査の結果、プラダー・ウィリー症候群と判明。
     親の会(竹の子の会)に連絡を取る。

     この頃バンビは結構動くようになってきて
     (夜型らしいので実際にあまり見たことはなかったけど)
     モニタのケーブルを引っ張って取ったり、足をバタバタさせたり
     していたらしい。
     けれど親の私にしてみれば、この時期がやっぱりいちばん辛く苦しかった。

【1ヶ月半】保育器を出て、コットに移動。入浴練習、タッチケアも開始。

【2ヶ月】退院に向けて、経管哺乳の練習も開始。

     鼻からチューブを挿入し、聴診器を当て注射器で空気を入れる。
     胃泡音が聞ければOK。
     バンビがすごくイヤがるので、ほぼ毎回悪戦苦闘。(やり方が悪かった?)
     そのトラウマか、今でも鼻掃除は必死でイヤがります。

     退院予定直前で発熱(突発性発疹)し保育器に逆戻り。

【2ヶ月半】ついに退院! 体重4360g、身長58cm
      ミルクの量 80ml×8回/日


☆当時の母は・・・

とにかく毎日会いに行き、抱っこしてタッチして、話しかけ歌を歌って聞かせ
(近くの看護婦さんに聞かれたかと思うと恥ずかしいが)
普通の親子のふれあいをしたい、してやりたい。そう思ってがんばっていた。

☆搾乳について

最初は手動の搾乳機を使ってみたが手が痛くなるばかりでうまくいかず
メデラ社の電動搾乳機をレンタルした。(気分はホルスタイン♪)

☆経管哺乳について

ミルクは入院中はシリンジの大きいのに入れてたけど、家では点滴のボトルみたいなのを使用。
退院の際に病院に紹介してもらって、マーゲンチューブ他器具を個人で購入。
胃泡音用のシリンジ(注射器)は病院から譲ってもらい、聴診器も貸してもらった。
経管哺乳をやめた時、余ったチューブ類は病院に寄付した。

☆写真

NICUには未開封のインスタントカメラしか持ち込めなかったし、最初バンビは保育器に入っていたので思うような写真が撮れず、それがとても心残り。    

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