当然だが詩の本は散文の本より字数が少ない。その気になればアッという間に一冊読み
終える。しかしこの『飛天幻想』は、そのようにして読むものではない本であろう。
一篇読んですぐ次の作品に行くのではなく、言葉を身に添わせ、その世界に浸り、日常味
わえない世界を感じ取り、ホホーッとゆっくり息を吐き、また次の作品へと読み進むべき詩集
であろう。
そのような世界を福井久子さんは展開して下さっている。
読み終えても書棚に置き、又改めて手に取りたい詩集である。
ここでは、巻頭の一篇「飛天」をどうぞ。
娘さんが描かれたというカバー絵が美しいが、本文中の挿絵もイメージをふくらませてくれ
る。本文中の挿絵はうっかり入れると、ジャマになることがあるが、これはそのようなことがな
い。
思いがけない人から冊子が届いた。
『分陀利華』とある。
思いがけない人というのは、鹿多証道さんである。
「輪」に半年に一度だけ顔をお見せになる人。
もう10年以上になる。甲子園で高校野球が始まる度にお見えだ。
実は高校野球の審判さんなのである。ベテランである。もう2,3年前に現場は引退しておら
れるが、今も指導的立場で甲子園にやって来られる。
そしてこの人、立派なお寺の住職さんでもあるのだ。
この人と仲良くなったのは何がきっかけだったかわたしははっきりと覚えてないのだが、鹿多
さんによると、うちの店が、新聞で紹介された時だったとおっしゃる。
たしかに何度か、いろんなことで載せて頂いているが、何の時だったか、わたしは覚えていな
い。
で、うちの店に来られて、店に飾ってある詩書に注目されたのが、親しく話させていただくきっ
かけだった。
鹿多さんは、住職でありながら、教職にも就いておられ、音楽に造詣深く、そして文学にも通
じておられるのだった。しかも、わたしが知遇を得ている、高橋夏男さんとも縁のある人だっ
たのだ。
さて、『分陀利華』であるが、これについては又改めて書きます。
意外な文章が載っていました。お楽しみに。
滉・咲友やって来ました。
滉は今日、幼稚園でプール遊びがあり、大喜びではしゃいだようで、少々、お疲れさんでし
た。
保護していたセミですが、実は生まれつき不自由な体ではないかと。
雨の影響でしょうか、羽根の先が片方折れ曲がっていたのです。それで、滉と二人でお地蔵
さんに連れて行き、藤棚の木に掴まらせてやろうとしたのです。滉に、「飛べないかもしれない
よ」と言って。
二人で箱から出してやりました。さてどうだろう?
すると飛んだのです。ジーッと一声残して、空へ飛び立ちました。
滉と二人、空に向かって思わず拍手しました。
良かったねえ、と。
「輪」は明日から3連休させていただきます。
よろしくお願いいたします。