喫茶 輪

コーヒーカップの耳

小林(白井)久盛先生。

2012-05-01 11:43:37 | 日記

 ある人から、小林久盛先生が亡くなられていたことを聞いた。驚いた。そういえば今年、年賀状が届いていなかった。体調でも崩しておられるのかと気にはしていたのだが迂闊だった。聞けば昨年夏前ごろに急逝されたのだと。

 小林先生は、私が浜脇中学の時の恩師である。奥様もそうだった。わたしが卒業してから、お二人は結婚されたのだった。

 久盛先生は英語の教師だったが、授業から離れての話が面白く、わたしはそれしか覚えていない。そして気骨のある人でもあった。校庭で生徒同士の大きなケンカがあったら、真っ先に飛んで来て仲裁してしまう。先生でも殴ってしまいそうな手のつけられない生徒からも一目置かれていた。ワイシャツ姿でネクタイをなびかせて仲裁に入って行くカッコいい姿を覚えている。

 後に、教育委員会に入られて、アッと言う間に出世されて教育長を長くされ、市長選挙に出られた。この時わたしは生涯一度だけの選挙運動をした。負けた。昔、阪本兵庫県知事が後に東京知事選挙に出て、敵方の汚いやり口に負けたのと同じように、Bという対立候補の〇〇〇〇選挙にしてやられた。それから西宮は良くない市になって行ったような気がする。

 先生は2001年に『死んだら何ももって往かれへん』という著書を出された。これは渋谷工業社長との教育に関わる心温まる話を中心に書かれた本だが、その出版記念会が甲子園の「ホテル・ノボテル」で盛大に催された。そこでお会いしたのがお会いした最後ではなかったか。「あんたの店にまた行く」と仰りながら。

 今日、お聞きした話では、奥様との生前の話でお互いに、―死んだら誰にも知らせず、迷惑をかけないようにしよう―との約束があったのだと。先生らしいなあ。

 あっ、そうだ、西宮が中国紹興市と姉妹都市提携をしたのにはこの小林先生が大いに力を尽くされたのだった。

 書きたいこと、いっぱいあるが、まずはこれだけ。

 遅ればせながらご冥福をお祈りいたします。                                                               

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