富士正晴記念館の元スタッフ、中尾務さんからお贈りいただきました。
「大和通信」112号です。
わたし、最近、東方面の方々とのお付き合いが増えました。
以前は自分が所属する同人誌が西方面ばかりだったので、お付き合いも西方面の人が中心になっていました。
一昨年『触媒のうた』を出版して以来、このように東方面の人たちとの交流が増えたように思います。
ありがたいことです。
さて「大和通信」112号ですが、巻頭の「明珍の風鈴」(鈴木地蔵)は出版業界のことが書かれているのですが、随想と呼べるものでしょうか。
文末の数行が読む者の胸の中にシンとした思いを残します。
《そろそろ明珍の火箸の風鈴をつるす時期である。一年前に神戸で急死した従弟からもらったものだ。この鉄の音は、なぜか親しかった故人を偲ぶよすがとなる。今年は松本さんも、そして従弟もその一人となった。》
そして文中にこんなことが、《換金の保証がない(売れるか否か分からぬ商品をつくること)のに、なぜ松本さんは出版活動をつづけられたのだろうか。》
今のわたしの胸に響きます。
表裏2ページだけですが、中尾さんによる「国木田家のこと――富士正晴調査余滴」など、4段組で、びっしりと読み応えのあるものです。
中尾さん、ありがとうございます。
「大和通信」112号です。
わたし、最近、東方面の方々とのお付き合いが増えました。
以前は自分が所属する同人誌が西方面ばかりだったので、お付き合いも西方面の人が中心になっていました。
一昨年『触媒のうた』を出版して以来、このように東方面の人たちとの交流が増えたように思います。
ありがたいことです。
さて「大和通信」112号ですが、巻頭の「明珍の風鈴」(鈴木地蔵)は出版業界のことが書かれているのですが、随想と呼べるものでしょうか。
文末の数行が読む者の胸の中にシンとした思いを残します。
《そろそろ明珍の火箸の風鈴をつるす時期である。一年前に神戸で急死した従弟からもらったものだ。この鉄の音は、なぜか親しかった故人を偲ぶよすがとなる。今年は松本さんも、そして従弟もその一人となった。》
そして文中にこんなことが、《換金の保証がない(売れるか否か分からぬ商品をつくること)のに、なぜ松本さんは出版活動をつづけられたのだろうか。》
今のわたしの胸に響きます。
表裏2ページだけですが、中尾さんによる「国木田家のこと――富士正晴調査余滴」など、4段組で、びっしりと読み応えのあるものです。
中尾さん、ありがとうございます。