尼崎の作家、田靡新さんからお贈りいただきました。

「姫路文学」133号です。たっぷりと260ページあります。
田靡さんの作品は、やはり椎名麟三関連のもので、「米のお話」。
読ませていただいたが、ご自分の若き日を重ねて椎名文学へ続く話。
添えられた手紙に「7月に家内が昇天、急なことでハラハラオロオロ」とありました。
大変だったんですね。だからでしょうか、文章が少し荒れているように感じました。
推敲が不足しているように思うのです。誤植かと思えるところが何か所も。
ちゃんと整理点検する余裕がなかったのでしょうね。
それでもやはり、長年の氏のライフワークということで、枯れた味の文章、興味深く読ませていただきました。
それと、もう一遍「ローソクの炎はゆれて」という作品が”くれたかつお”という名前で出ていますが、これもどうやら、田靡さんの作品のようです。
やはり「米のお話」と同じように推敲が十分ではないように感じました。
「米のお話」の中に、わたしが注目する言葉がありました。
「お米は自転車に乗ると行儀が悪く、この箱の中なら安心じゃ」というもの。
これは昔、わたしが若いころ、まだ車がないころ、父の米屋の仕事を手伝って、お米を自転車で配達するときに感じたことそのままです。
久し振りに、その感触を思い出しました。

「姫路文学」133号です。たっぷりと260ページあります。
田靡さんの作品は、やはり椎名麟三関連のもので、「米のお話」。
読ませていただいたが、ご自分の若き日を重ねて椎名文学へ続く話。
添えられた手紙に「7月に家内が昇天、急なことでハラハラオロオロ」とありました。
大変だったんですね。だからでしょうか、文章が少し荒れているように感じました。
推敲が不足しているように思うのです。誤植かと思えるところが何か所も。
ちゃんと整理点検する余裕がなかったのでしょうね。
それでもやはり、長年の氏のライフワークということで、枯れた味の文章、興味深く読ませていただきました。
それと、もう一遍「ローソクの炎はゆれて」という作品が”くれたかつお”という名前で出ていますが、これもどうやら、田靡さんの作品のようです。
やはり「米のお話」と同じように推敲が十分ではないように感じました。
「米のお話」の中に、わたしが注目する言葉がありました。
「お米は自転車に乗ると行儀が悪く、この箱の中なら安心じゃ」というもの。
これは昔、わたしが若いころ、まだ車がないころ、父の米屋の仕事を手伝って、お米を自転車で配達するときに感じたことそのままです。
久し振りに、その感触を思い出しました。