古い書簡を始末していたら、こんな貴重なハガキもありました。二枚です…
宮崎修二朗翁からのもの。
消印は2003年9月30日。丁度20年前だ。東京の杉並局。
わたしと妻宛て。
《28日大きなうねりの中を八丈島に着きレンタカーで島内一周しましたが、さしたることもなし。(略)これでは島送りの流人同然となるオソレありと、ヒコーキで羽田に舞い戻りました。(略)》
お元気だったんですね。
もう一枚のハガキ。
小林久盛先生からのもの。
消印は2003年10月22日。西宮局。
《冠省 お元気の様子。うれしい。 そして、相変らず 創造的諸活動をやっていられる事も嬉しい。 用海の片田舎の様なところに「輪」が目ばえ、大きな市民文化の「味」になることを祈っている。 奥様にもよろしく。》
久盛先生は、がん光免疫療法で国際的に有名な小林久隆博士のご尊父。
もしも今ご健在ならどれほど喜ばれるだろうか。
二枚のハガキ、どちらも味のある文章。そして字が個性的。
しかも達筆。真似できません。お二人ともただものではありませんでした。
宮崎修二朗翁からのもの。
消印は2003年9月30日。丁度20年前だ。東京の杉並局。
わたしと妻宛て。
《28日大きなうねりの中を八丈島に着きレンタカーで島内一周しましたが、さしたることもなし。(略)これでは島送りの流人同然となるオソレありと、ヒコーキで羽田に舞い戻りました。(略)》
お元気だったんですね。
もう一枚のハガキ。
小林久盛先生からのもの。
消印は2003年10月22日。西宮局。
《冠省 お元気の様子。うれしい。 そして、相変らず 創造的諸活動をやっていられる事も嬉しい。 用海の片田舎の様なところに「輪」が目ばえ、大きな市民文化の「味」になることを祈っている。 奥様にもよろしく。》
久盛先生は、がん光免疫療法で国際的に有名な小林久隆博士のご尊父。
もしも今ご健在ならどれほど喜ばれるだろうか。
二枚のハガキ、どちらも味のある文章。そして字が個性的。
しかも達筆。真似できません。お二人ともただものではありませんでした。