岩波書店の『図書』9月号を読んでいたら面白いのがあった。
原田宗典さんの「読書ということ」。
《銀座にたばこの吸える喫茶店があってそこへ三人で行った話。
もちろん煙草を売っていて、ウェイトレスがいろんな煙草を山積みしたカゴを持ってくるのだと。
近頃珍しい。
話は飛んで、横光利一のところに出入りしている作家志望の学生の中に煙草を吸う作法がなってない奴がいた。
横光はその学生に「君ね、そんな煙草の吸い方をしてたんじゃあ、作家になんてなれないよ。」と言って見本を示したと。
また話は飛んで、
「文学と煙草は似ている、と私は思っている。(略)何の毒もない健康的で、前向きな、正しいことだけが書いてある小説があったとして、それは面白いのか?読者の胸をうつのか?毒のない文學なんて、そんなもの、私は興味がない。」
「そういえば最近さあ、電車の中で本を読んでいる人、増えたと思わない?」
「今日ここへ来る時、地下鉄の中で小林秀雄の文庫本を読んでいたんです。そしたら、僕の目の前に座っていた老紳士が『君、小林先生の本を読むなら、座って読みたまえ』と言って、席を譲ってくれたんです」
この話に私は驚き、感心した。さすが小林秀雄。そういう真摯な読者を持つ作家は少ないだろう。》
端折りながら書き写したが、面白かった。
「文学に毒が必要」というのは、かつて、時実新子さんがわたしに手紙で書いて下さったことがある。
また、小林秀雄の直筆をわたしは持っている。
いろんな面でこのエッセーは面白かった。