喫茶 輪

コーヒーカップの耳

井伏鱒二の放屁

2023-08-19 09:06:39 | 文学
もう随分前に読んだはずの本、『百貌百言』(出久根達郎著・文春新書・2001年刊)を読んでいる。



困ったもんです。みんな忘れています。
こんな面白い話も。
「井伏鱒二」の項。

《太宰治の「富嶽百景」に、井伏と一緒に三ツ峠にのぼるシーンが出て来る。「井伏氏は、濃い霧の底、岩に腰をおろし、ゆっくり煙草を吸ひながら、放屁をなされた。いかにも、つまらなさうであった」
 君、嘘を書いてはいかん、と井伏は太宰を咎めた。放屁なぞしない、と言うと、太宰は笑って、いや、なさいました。一つではなく、二つ、なさいました、と弁明した。》

この、なんともいえない間。味わい。太宰治、見事なものです。
妻に読んでやりました。一瞬の間をおいて、大笑い。
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竹田賢治さんとその姉。

2023-08-18 11:41:22 | 懐かしい話
竹田賢治さんという人の労作『ドイツ俳句と季節の詩』(武田賢治著・明石書店刊・2023年)を入手。



立派な本です。400ページ近くあります。
正直わたしには難しいですが、日本語の所だけを読もうと思ってます。
「はじめに」の中にも《日本の読者の皆様はドイツ語の部分は読みとばして下さい。》とあります。

竹田さんは神戸学院大学の名誉教授さんです。
そして、我が宮崎修二朗翁のフアンだったのです。
宮崎翁の書斎に出向いて、翁の著書に署名を求めた人なのです。
『触媒のうた』を大いに喜んでくださったのでした。
それだけではありません。
後から分かったのですが、竹田教授のお姉さんが、わたしの小学校時代の同級生だったのです。
拙著『完本・コーヒーカップの耳』が出た3年前、彼女は電話をしてきてくれ、六十数年ぶりに声を聞いたのでした。
小学校の卒業記念写真です。

この中に彼女もわたしも写ってます。
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地蔵盆祭りの案内状・2023年

2023-08-18 08:43:22 | 地蔵さん
今年は工夫したらできるかと思っていたのですが先日の準備会の席で、ある人のいきなりの、
「今年もできないですよね」という声が問答無用というか、聞く耳持たないという感じの発言。
ほかの人は意見が出しにくくなったのでしょう、そのままといった流れ。
わたしも老齢で病後ですし、「それでもやりましょう」と強くは言えず、
少々残念でしたが、今年も規模を大きく縮小してのお祭りになってしまいました。
そして奉賛会の代表を下して頂くように皆さんにお願いしました。

もう以前のようなお祭りは今後できないでしょうね。
これも時代の流れか。
今までよくやってこれたのかもしれません。
以下、皆様にお配りした案内状の通りです。


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足立巻一先生の声

2023-08-17 19:20:54 | 足立巻一先生
必要というより、聞いてみたくて出してきました。
足立巻一先生のCD。



昭和58年。
NHK第二放送。
カセットテープに録音したのだったが、後にCDにダビングしたもの。
聞いてみたが、足立先生独特の早口が懐かしかった。
ただ、途中、音が切れているところが何カ所かあった。
なんでかな?

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日本盛薬店

2023-08-17 14:17:28 | 日本盛
日本盛本社に用事があって行ってきました。
そこで、「おや?」と思う看板が正門横に有りました。



「薬店 日本盛」とあります。
日本盛が化粧品を扱っているのは今やだれでも知っているが、薬は初めて見る。
そこで、総務部の社員さんにお尋ねしてみた。
わたし疑問があれば何でも訊いてしまいます。
すると、「一年半ほど前に医薬品販売業の許可を取得しました」とのこと。
「薬、売ってはるんですか?化粧品のほかにも」となおも訊くと、
「はい」と。
「知りませんでした。宣伝も気づきませんでしたけど」
「一年半ほど前からやってるんですけどね」とのこと。
帰って来てネットで調べてみると、有りました。
「フシコウコウEZ錠」という商品。

失礼しました。
隣に住んでいて知りませんでした。
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わたしの性格は

2023-08-16 19:28:56 | 本・雑誌
『マイバースデイブック』ですが。
約30ページにわたって、おもしろいことが書いてあります。
基本的には、読んで嫌になるようなことは書かれていません。

これは8月16日生まれの人の「性格」について。

嘘ばっかりとは言いませんが、わたしはこんないい性格ではありません。
ちょっと当たってるところがあるのがミソですね。
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8月16日生まれの人は

2023-08-16 19:00:44 | 日記
川柳作家のN野さんが誕生日のプレゼントとして贈ってくださった。



「バースデーブツク」とのこと。
8月16日生まれの人の、性格判断とか、運命判断とか、いろいろ載っている。



最初のページにこんなことが。
「この日生まれのあなたに贈る言葉」として、

熱い正義感と冷静なおだやかさ、
その絶妙なバランスが魅力。
負けず嫌いで面倒見がいいあなたです。


ほとんど当たってないと思いますが。
まあ、おもしろいです。
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F本さんが

2023-08-16 10:59:37 | 懐かしい話
少し前のことになるが、少なからぬショックを受けた。
F本操さんが亡くなったというのだ。
長く会ってはいなかったが、御主人とはちょこちょこ会っていて、その度に「奥さん元気?」と尋ねていたのだった。
その都度「元気です」と言っておられたが。
主人が外出から帰宅したら倒れていたとのこと。
あまりにもあっけない。

F本さんは、わたしが小学校のPTA会長していた時の副会長さんで、すこぶる元気のいい人だった。
細身の体で生き生きと務めを果たしてくださっていた。
わたしにはPTA活動の中での敵も多かったが、彼女はいつもわたしの味方だった。
「会長…、会長」といつもわたしを立てて下さっていた。
彼女がいなければわたしは大いに苦労させられたに違いない。
お陰で苦労しながらも楽しいPTA活動をさせてもらえたのだった。

PTAが終ってからの彼女は自分の信じる宗教に力を注いでいた。
わたしとは道が分かれたのだが、よく頑張ってる様子は知っていた。
あんなに元気だったのに、思いがけないことだった。
この歳になると、自分の身の回りから、わたしの人生に強い影響を与えた人が次々に遠い所へ行ってしまう。
淋しいことだ。
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「のじぎく文庫」はね

2023-08-15 16:20:47 | 安水稔和先生
神戸新聞、夕刊にこんな広告が。



「のじぎく文庫をご存じですか!」と。
はい、よーーく知っております。
そしてその広告の中にこんな文言が。

そうなんですね、たしかに。
そのことも『触媒のうた』にはちゃんと書いてます。
しかしこれは表の事。
実はほぼ99%、我が宮崎修二朗翁のお力で誕生したのでした。
その宮崎翁の「宮」の一字もここには載っていない。
いや、それでいいんですけどね。しかしわたしは何となく悔しいんですよね。

『触媒のうた』 「のじぎく文庫」誕生秘話も詳しく載ってます。
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何度ものバカ

2023-08-14 09:17:16 | 本・雑誌
もう何度こんなことをしたか!
ある本を探していたら、「あれ?」と目に入ったのが、ついこの前買った本。
出久根達郎さんの『百貌百言』。



もう随分前に買っていたもののようだ。
まあ、よくあることだが、今回はちょっとたちが悪い。
先日買ったのをわたしは初めて読むように読んでいる。
前に読んだはずなのにすっかり忘れているということだ。
買ったことを忘れていたのは仕方ないとして、その内容まですっかりと忘れているようでは…。
しかし、おもしろい本だ。
今読んだところにはこんなことが。
手塚治虫さんについてのところ。
作家の星新一さんのコメントが紹介されている。
《文学や映像への影響だって計り知れない。こういう人はめったに出ませんよ。その彼に何の報酬があったでしょうか。文化勲章も出なかったし、芸術院会員にもならなかった。日本って国は文化の価値を見極める力がないんです。》

『触媒のうた』出久根さん推薦の本。
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妻の誕生日

2023-08-14 08:54:56 | 日記
昨日はちょっと忙しかった。
西宮市内を駆け回り、知人宅5軒を訪問。
その後、大阪まで走り。


これは海ではありません。淀川河口付近です。



それからイチヂクなどを買いに広田の農園に行き。
夕方は森具の丘までお墓参り。
元気になれて良かった。
もちろん、自分の足で走ったわけではなく、車でですが。

また昨日は妻の誕生日だった。
息子や娘、息子の嫁さん、そしてそれぞれの子どもたちからメールや電話で「おめでとう」と言ってきた。
妻は「えらいこっちゃ!○○歳にもなってしまいましたよ」と返していた。

息子からは「ならば、100歳までまだ○○年もある」と返事が。
妻は「がんばるわ」と返事していた。
誕生日を覚えてもらっていてまんざらでもない様子。
わたしもがんばろう。
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『ぼくは…』の解説

2023-08-12 14:44:01 | 出久根達郎さん


『ぼくもいくさに征くのだけれど』ですけど、わたしの知った人が多く関わっておられて驚きました。
そして極めつけは、解説を書いておられる出久根達郎さん。
本書を読み終って最後に出久根さんの解説を読ませていただきました。
なんでも読んでおられますねえ。
6ページにわたっての丁寧な解説です。
わたしが印象的だったところをかいつまんで記します。

《竹内浩三が、「骨のうたう」で脚光を浴びたことも、私は不幸な出発だったと思う。「戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ」で、反戦詩の代表作とレッテルを貼られた。竹内は反戦詩人とみなされ、そのように読まれた。間違っているわけではなく、悪いのではないけれど、読者を狭めた、という気がしないでもない。竹内浩三が「青春の詩人」と見られたなら、もう少し若い人たちに受け入れられたのではないか。》

《何よりこの全集(㊟2001年に発行された『竹内浩三全作品集 日本が見えない』)がすばらしいのは、2001年夏に発見された詩「日本が見えない」と、「よく生きてきたと思う」の二篇が読めることである。 稲泉連さんは、この全集で竹内浩三を知ったのである。そして、「日本が見えない」に感動した。その時、稲泉さんは23歳になろうとしていた。竹内が戦死した年である。(略)稲泉さんが竹内に興味を抱いたきっかけが、「日本が見えない」と知って、これぞ正統の竹内浩三入門と、ひそかに快哉を叫んだ。私の考える、「青春の詩人」への正しい入り方なのである。》

《竹内浩三の作品を、色眼鏡で読んでほしくない。色眼鏡は竹内の世界を狭めてしまう。何の先入観もなしに、ある一篇を読んでみる。自分の心に訴えるものがあったなら、もう一つ読んでみる。次第に竹内浩三という男に興味が湧いてくるはずだ。竹内が生きた時代を知りたくなる。その関係書を調べてみる。いつのまにか、戦争というものを勉強し、その実態に戦慄している。 稲泉さんが、そういう読み方をしたわけだ。いってみれば、竹内浩三という詩人の、正しい読み方を本書で伝授してくれたのである。戦争を知らない世代が、どのような形で戦争を知るのか、本書はその良き見本でもある。》

このあと、感動的な話があって解説は終わっている。
さすがに出久根さんだ。

『触媒のうた』出久根達郎さん絶賛の本。
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イマムラキンジ

2023-08-12 13:12:09 | 足立巻一先生


全日空、御巣鷹山の事故から38年。
その時の乗客名簿。
http://www.snet.ne.jp/milk32/123meibo.html
この中に「今村欣治」という人があります。
事故当初、メディアで報道されたのは漢字ではなく、カタカナでした。
「イマムラキンジ」と。
わたしと同姓同名。
しかも年齢まで同じでした。
わたしが死んだと思われても仕方なかったのでした。
しばらく我が家はざわついたものです。
入院中の足立巻一先生も「教え子が乗っていた」と嘆いておられたと後日聞きました。先生は、その二日後の8月14日に急性心不全でお亡くなりになったのでした。
いつまで経っても忘れられません。

『触媒のうた』 足立巻一先生のことが詳しく。
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『ぼくもいくさに征くのだけれど』の足立巻一先生と桑島玄二さん

2023-08-11 18:39:09 | 足立巻一先生


『ぼくもいくさに征くのだけれど』の中に、著者稲泉さんによるこんな記述がある。
《(略)高橋庸治さんを訪ねた。彼は2002年現在、松阪市の本居宣長記念館の館長をしていた。》
ここからあと、20ページほどにわたって、足立巻一先生と桑島玄二さんの話が詳しく出ている。
この高橋館長さんは、足立先生の著書『戦死ヤアワレ』にも登場する。
ほかにもわたしの知る詩人、たかとう匡子さんまで登場している。
参考資料のページを見ると、東秀三さんの名も見える。あら、知った人いっぱいだ。

因みにわたしが本居宣長記念館を訪れた時の写真。

若いですって?そんなことないでしょ。ほんの32年前の1991年2月のことです。

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稲泉連さんの取材スタイル

2023-08-11 10:09:26 | 本・雑誌
今、基本的に読んでいる本はこれです。
ちょこちょこほかの本を読みながらですので、なかなか進みません。



『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(稲泉連著・中公文庫・2007年刊)。
元々は中央公論新社から2004年に単行本が出ています。
稲泉さんは1979年のお生まれ。お若いです。
この本を書かれた時はまだ二十歳を過ぎて間もない頃。取材に時間を要しておられます。

今、4分の1ほどのところを読んでいるのですが、取材力が素晴らしいです。
浩三のお姉さんへの取材、描写力も素晴らしいし、著者の心の動きも興味深く読みごたえがあります。
評伝文学にもいろいろありますが、これはこの稲泉さん独特のものでしょう。




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