写真撮影:2005.08.19
新潟日報の3月3日(日)第一面の片隅に表題の囲み記事があった。「ついに来た路線バス廃止」とその内容を示す見出しが目にとまる。35面にある本編を読んだ。
西谷川という川沿いに半蔵金地区に通ずるバス路線はある。そもそも人口減少が進む長岡市栃尾地区の中にあってさえ、また更に奥深い地のことである。小さな集落が点在はするが、その大半が限界に近い集落と失礼ながら感じている。
地理佐渡は2004年10月10日にサイトを開設し、それから約二週間後に中越地震に遭遇している。それ以来サイトの主たる記事構成は震災に関わる物が中心となった。深刻な被害は各所で報じられ、山間部に通じる道は各所で寸断されていた。半蔵金に入る事なんて当初考えてもしていなかった。
次第に各地で道路の仮復旧、そして立ち入りが許可される頃となって各地へと出向くようになった。工事関係の知人の好意から立ち入り禁止期間中でも旧山古志に入ったりしたのも懐かしい思い出である。
半蔵金はその立ち入りが許された後、仕事の合間に出向いたのがきっかけであったと思う。あの時既に典型的高齢化した過疎地域であったので、いたましい風景を見るのと同時に、これからこの村はどうなっていくのだろうという重苦しい印象を得ていた。そのため、個人的にいくつかの主要取材地を設定しつつも、その後の変化を取材するメインはしだいにこの地となった。
震災発生から3年もした頃にはその取材活動にも区切りをつけたと思うが、それまでは月1~2回は確実に通ったはずである。そんな思い入れのある半蔵金が、昨日新聞の記事となって報じられていたのだ。
バス路線の廃止についてであるが、地域の高齢化率81.7%(2018年4月現在)という現状に、平日は朝昼晩の三便(休日は朝晩二便)の平均乗車率は1.4人/便と言う数字だ。もちろん誰一人として客の乗らぬ空気を運ぶバスとなることも多いらしい。この路線の年間赤字は700万円という。越後交通としてももはや限界であろう。そのことに理解をしつつも、どこかその現実に寂しさと悔しさが入り交じる。記事の最後に、地区の代表(77歳)が会合の場でこう述べたという。
「春になると集落には山菜採りが多く訪れる。バスでツアーをやってもらえないだろうか」
この考えがすぐに路線問題を解決するのは難しい。しかし、その前向きなアイデアを80に近い方が提案すること自体が嬉しい。あきらめられないのだ。新聞記事を読んだ日曜日はまた仕事であった。一日仕事でありながら、ふと気づくと以前通ったこの地区のことが気になってしようがない。
古老の言う通りで、西谷地区は雪深い山間地ではあるが、この地にはこの地の生活上の風物はある。そのことは取材した自分も十分分かっているつもりだ。山菜もそうだし、米も棚田の風景も良い。黒紫米を作っている農家すらある。春の芽吹きと秋の紅葉、そして本物の豪雪地の雪深さ、春夏秋冬の風景の変化と小さな村の神社などにもそれなりの特徴だってある。
どうであろう、最も奥に位置する田代地区までを一つの区間とし、西谷地区の路線全体をひとくくりに何かできないか。むしろそれらを歩いてみてほしい。つまり山間の農山村を歩くツアーだ。行きか帰りはバスでねって..。今一度西谷地区取材をメインにしてみようか。○○街道なんて名付けたり。なんとなく密かにそんな思いがわき始めている。
さて、3月10日(日)は東谷地区の下来伝で「ほだれ祭り」がある。話題にしている西谷ではないが、山間農村の奇祭である。ほだれ様とは男根(いわゆるおちんちんのこと)を指す。これを祭神としていて村の豊穣をはじめ様々な願いが込められ祭りが展開される。もちろん小さな村の小さな祭りであるが、個性的だ。興味があったら是非。下記URLがご案内。
http://tochiokankou.jp/hodare/index.html
今年のポスター
以下の写真は2005年8月19日の撮影である。
130~150万画素程度の粗末なカメラを片手に地理佐渡が走り回っていた頃のものだ。
Photo-01 前震災で壊れた家屋がその年の深い雪につぶされた風景です
Photo-02 旧半蔵金小学校のグラウンドに工事車両
Photo-03 村の神社へと向かう道 崩れた崖を守る土嚢の上は村の神社
Photo-04 参道にあたる石段のほとんどは崩れています
Photo-05 神社前(写真右側)には欅の巨木があったのですが..
Photo-06 その巨木があったところに立って下を見ています
Photo-07 あの当時の山肌は地が滑り落ちて傷だらけでした
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写真撮影:2005.08.19
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2019年 地理の部屋と佐渡島 yokoso_1198
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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過疎化が進んでいますね。
我が団地も同じで年寄りが多くなりました。
私が組一番の高齢者、31年度の組長です。
2日夜の懇親会で抱負を述べて来ました。
頑張ります!!
素晴らしいです。
「山間の農山村を歩くツアーだ」
行って見たいと思います(^^)/
路線バス廃止は残念ですね~。
写真を拝見して思うのですが、
日本の震災などの復活力も凄いと思う時もあります。
2日に東京駅大丸デパートであぶらげ「小林総本舗」さん発見!
長ネギをたっぷりと入れた商品もあり。
マップですと豆庵さんのそばですね。
貴重な画像を拝見させていただきました。
もう、15年になるのですね。
信州人の一人として、北信被害状況を気にしていました。
その30年ほど前にあった、新潟地震と合わせて、
地震の多い地形だなとは思ったのですが、他人事ではありません。
当地方も、東南海トラフの上にあって、いつ来ても、おかしくないと言われています。
阪神淡路、熊本、北大阪と、地震大国日本の中でも、大きな地震に、見舞われ続けております。
ご無沙汰しておりましたが、やっと復帰しました。中越地震からもう15年でしたか。大きな爪痕を残しましたね。皆さん、頑張っていただきたいです。
ただ若い人が入りいろんなイベントをしていました。
此方の80才の方なかなかたいしたものです。
私の使っている阪急バスもどんどん便数は少なくなっています。
その代り一人に1台の車ということになってしまいます。
ここだけでなく日本中どこにでもある問題です。
若者がいれば車を頼むこともできます。
その若者がいなければ年寄りは住めないという
ことでしょうね。
限界集落を超えると終末集落というそうです。
なんともさびしい話です。
これがわが国の現状なのですね。
気温はそんなに低下していません。
雨が降っても春を感じるものでした。
さて、今回のネタはいかがでしたか?
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■つちやさんへ。
>31年度の組長です。
ご苦労様です。組長と言いますと
何か別の言葉のようにも..(笑)。
地域のために頑張って下さい。
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■メロンさんへ。
>「山間の農山村を歩くツアーだ」
はい。自分としましてはインスタ映
えする農山村風景をいかに創造する
かなんて事も発展的に考えています。
>東京駅大丸デパートであぶらげ
「小林総本舗」さん発見!
おおっ。すごいですねぇ。
当方はまだ試していない店ですよ。
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■mcnjさんへ。
そうですね。もうずいぶん前のこ
とです。つい、このネタと言うこ
とで引っ張り出しました。
そうそう、東南海トラフ。
南海トラフと合わせまして、連動
するやっかいなプレート境界です。
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■多摩NTの住人さんへ。
そうです。15年です。早い物です
が、被災地の大概が過疎地域です。
震災がと言うのもありますが、そ
もそも過疎化という現実もあった
のですから難しいです。
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■hirugaoさんへ。
>その代り一人に1台の車..
それはまた笑える内容です。
佐渡でもそんなことあったなぁ。
自分しか乗っていないバス。
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■山小屋さんへ。
終末ですか。せめて終末集落
程度にとどめたいですねぇ。
ただ、自治体としましてもイ
ンフラの維持等に限界ありま
すからねぇ。
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■ディックさんへ。
>これがわが国の現状なのですね。
残念ながらそうですが、たぶん日
本と同様にこの事態を憂う国は他
にもありましょう。良い知恵募集
したいですねぇ。
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半蔵金で起きている過疎化のために
発生する問題は80歳の姉の住む
ところでもおきています。
私が住んでいた頃の故郷はなぜこんな
になってしまったのでしょう、、、。
私は昭和39年の新潟地震を新潟市で
経験しましたが、その後の2回の大地震、
これからもまだ地震は起こると覚悟して
いなければいけませんね。
この辺りも高度成長期時代の住宅地や団地で高齢化が顕著です。