地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

地理の部屋と佐渡島 回顧④ 中越地震後 国道17号

2020年10月24日 05時00分29秒 | 趣味と管理人から

写真撮影:2004年 月日未確認


 中越地震が発生した後、すぐにはあちこちへと出向いての取材はできなかった。なぜなら主要道路が不通あるいは通行の規制があったためである。次第に道路網は復旧するもののもどかしいほどであった。また鉄道は別で、上越線や信越線などの在来線の復活はすぐには叶わなかった。

 今回紹介の写真は越後川口(旧北魚沼郡川口町)である。国道17号と上越線が信濃川に沿って通る地である。この地点は段丘面上を通る17号が、段丘崖の崩落と共に国道と線路を崩落させた現場である。17号だけかろうじて通れるようになったと聞いたので取材した。このように、しばらくは震災の爪痕を後々の記録のためにと撮影して廻っていたのが懐かしい。あの頃はまだ40代。気力がみなぎっていた時代である。

 

 


Photo-01 一車線だけ確保された国道17号です

 

 

 

 

Photo-02 その17号の直下に上越線です

 

 

 

 

Photo-03 線路もはがされて土を盛る準備段階でしょう

 

 

【かんりにんより】

新サイトの開設準備。

この土日でできるか。

ワークライフバランスの悪い生活。

できる限りのことはしたいが..

 


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写真撮影:2004年 年月日未確認
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2020年 地理の部屋と佐渡島 yokoso_1278
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (つちや)
2020-10-24 06:16:32
お早うございます
地震後の大変だった昔を思い出しての記事ですね。
今ではすっかり復興して綺麗になって居ることでしょう。
その復興後の写真も見たかったですね。

今朝も東の空は明るく良く晴れるようです。
カミさんの着物とお出かけは? ・・・・。
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中越地震 (mcnj)
2020-10-24 06:27:13
お早うございます。

あれから、16年なのですね。
実家が松本ですから、大勢の親戚がありました。
被害はありませんでしたが、大きく揺れたようなことを言っておりました。
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Unknown (サイモン)
2020-10-24 09:21:13
おはようございます☆
中越地震がブログスタートのきっかけになったようですね。
親戚が転勤族で、当時そちらに有る工場で居てて、大変だった様です。
日本海側の地震はマグニチュード値は小さめながら、軟弱地盤で被害が大きくなります。
昔の記録を見直す、と云うことがブログの意味合いでもあります。
その点では1ブログ継続が意味の有ることです。

虎の世代交代。名優が去るのは辛いですが、
後進に道を譲る
と云うことも大事です。
引き際が肝心!🍀
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Unknown (山小屋)
2020-10-24 10:35:05
震災直後は混乱しています。
最優先は生活道路でしょうね。
もうすっかりきれいになった
ことと思います。

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こんにちわ~(^_-)-☆ (安人(あんじん)の日記)
2020-10-24 14:11:48

こんにちわ~(^_-)-☆

 こうして見させて頂くと 大きな震災と解りますね

 完全に復帰まで相当の日時が罹ったのでしょうね

 こうして見させて頂くと大変だっと事が良く
 解りますね

 ここ1週間は晴れそうでしたね
 楽しみです
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お越しの皆様へ。 (かんりにん..)
2020-10-24 18:25:45
こんばんは。雨が降り続く一日でした。
今も断続的に激しくなります。皆さん
の所はどうでしたか。かんりにんは一
時過ぎに帰宅。なんとなく疲れていた
ので午後はごろごろしていました。休
みがなかなかとれないので、たまには
何もせず、雑誌などを眺めながらくつ
ろいだりしたいのです。

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■つちやさんへ。
そうですね。サイト開設直後のしばら
くは、どうしても記録のためにも震災
風景の取材ばかりでしたので、自ずと
記事も多くなります。
なお、その後の現場はきれいになって
いますが、現在の風景は取材にも行け
ず、また写真データがありましても、
データ容量があと四枚分なのです。
そこは本サイト最後の記事のためにも
確保しておきたいのです。

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■mcnjさんへ。
そうです。あの揺れは結構でしたので、
広域に地震波は広がったようです。
わが家は震災をへましてもそのままで
すが、壁紙などが一部亀裂が入ってい
ます。構造物としては耐雪構造なので
かなりしっかり作られているので助か
りましたが、揺すられはしましたので。

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■サイモンさんへ。
本当は西三川の写真でスタートしたん
ですよ(笑)。そもそも地理的視点で
地元にこんなものがあるという地元学
(当時はやりの)的サイトにしようと
していたのですよ。

>1ブログ継続が意味の有ることです。

確かにそうです。ただ、色々な思いも
ありまして思案していますし、この際
名はともかく、新しい構成もあるのか
なと思ってもいるんです。

昨日のT軍団は守備の崩壊が敗因でし
たね。Mさんの守備練習を手伝いに行
きたいくらいです(笑)。

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■山小屋さんへ。
はい。言われますとおりで混乱しまし
た。電気・ガス・水道・携帯。
携帯は程なく回復しましたが、直後は
すぐにダメになりました。
写真の現場はもうすっかりきれいです
よ。

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■安人さんへ。
相当量の写真を撮影しました。さらに
は長い年月に取材もわたりました。
よく半蔵金の風景を紹介すると思いま
すが、ある意味その延長なのですよ。
16年経ってずいぶん変わってきました。

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Unknown (ディック)
2020-10-24 18:46:58
これほどに被害が大きくては、道路も鉄道も簡単には復旧できませんね。
当時のニュースとか、16年前の記憶はあまり残っていません。私は私なりに、仕事と健康の両面で大変な時期だった頃と思います。
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■ディックさんへ。 (かんりにん..)
2020-10-24 21:28:06
こんばんは。

震災も水害も一気にたくさんのことに
大きな被害を与えます。たくさんのも
のがそうなると、風景としては何から
手をつければ良いのかと言いたくなる
状態になります。

気がつくとそれぞれの分野の人たちが
それぞれの場所の復旧をしていきます。

避難所に入った経験があります。
あの時思ったことは、たくさんの人が
それぞれの家の事情で、職場に出向く
のと、被災した家のどちらかに行くと
言うこと。
支援物資の中でも飲食に関する支援が
冷たいもの主体と言うことです。

避難所はそうした被災者の情報入手の
場所であり、職住を提供する場であり、
ほっと息をつける場でもあって欲しい
と思っています。

体験したところでは、食に関しては温
かいもの。普段自宅で食するような味
噌汁のように温かいものが提供されて
欲しいです。
避難所支援で感じた一部のことですけ
どね。

中越地震の時は支援を受ける側。
続く、中越沖地震では柏崎に支援に行
った側としての体験からです。

あと、ありがたいのは全国から支援が
入ってくることが励みになります。
二度の震災では本当にそれを見てあり
がたいと感じました。


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こんばんは (karin)
2020-10-24 22:43:02
地理佐渡..さん こんばんは

地震のため新潟の家のブロック塀に亀裂が
入ったという連絡が入りましたが、新潟まで
しばらく帰ることができなくて困ったことを
思い出しました。本当に大変でしたね。

地理佐渡..さんは中越地震の時は佐渡では
なくて長岡にいらしたのですか?
新潟はこの後また中越沖地震が発生するの
ですものね。
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Unknown (YAKUMA)
2020-10-24 23:34:49
震災の復旧は大変ですね。
鉄道や主要道路の復旧は早期開通も望まれているのですね。
この辺りでもいつ起こるかわかりません。
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