新潟地理歴史・写真撮影:2016.05.09
出雲崎は元和二(1616)年、徳川幕府の直轄領(天領)となり代官所も置かれた。
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そのため牢屋も附属し、重罪人の斬首も行われたという。まさにそんな獄門の跡がここである。今はその跡に苦しみ刑死していった者達の、うめきを姿にしたような木が植わっている。それでも歴史をひもとくと、暮らしは天領の方が楽だったはずである。ここは、出雲崎の古い町並みを柏崎方向に抜けた直後にある。
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Photo-05 老榎
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Photo-11 振り返ると出雲崎の町の入り口である。
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写真撮影:2016.05.09 三島郡出雲崎町
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2016年 地理の部屋と佐渡島
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前橋は冷たい雨が降って居ます。
こんな時、尼瀬獄門跡の傾いた地蔵尊を観て心が痛みます。 合掌
曲がりくねった老榎は何かを物語るようですね。
今は静かな集落のようですが往時を偲ばせる出雲崎ですね。
無念の死を遂げた者も多かったことでしょう。
町はずれに、こんなところがあったのですね。
出雲崎は天領の地であることは知ってましたが、
この様な獄門跡があったとは知りませんでした。
柏崎方面に抜けた直後でしたか。
老榎、数々の石塔に心が痛みますね。
表通りばかりを走っていると、見逃してしまう物の方が多いですね。
でした。帰る頃にはおかげで涼しいほ
ど。やはり暑いのは苦手です。
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■つちやさんへ。
そうですね。さりげなく手を合わせて
たたずむお地蔵様。良いお姿をしてい
ます。
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■mcnjさんへ。
今はなにも遺すものはありませんね。
とにかく想像を豊にするばかりです。
ただ、その史実を伝え聞き、しのぶ
ばかりです。
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■紅さんへ。
はい。出雲崎はじっくり歩くと色々
出てきそうです。相川にちょっと通
ずるものを感じます。
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■多摩NTの住人さんへ。
名前だけ聞きますと恐ろしいです。
毎年の供養祭。やはり出雲崎では
続けてほしいものですねぇ。
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大勢の人がここで処刑されたということですね。
榎のかたち、こういうのはほかでは見たことがありません。
今日 これから結婚式に出掛けます
帰りましたら又宜しくお願いしますね
では行って来ます
いきなりでしたね。ですが、現地に行きますと
まずこれを見ますので、ついここからかなぁと
なってしまいました。
榎という木はよく分かりませんが、説明書きが
ありましたのでこれかなって撮影しました。
結婚式。身内の方のものですかね。
そういえば久しく結婚式なんて行って
いないです。
エノキは江戸時代から一里塚の目印に植えられたということで、大木になり、遠くから見ても目立つ樹木です。
風の強い海岸沿いだからでしょう。この様子はめずらしいです。