今回は、報告3の続きとする。
中小の地震が時折起こる中、町内の皆はそれぞれ待機する態勢を整えたが、基本的には衣服をたくさん着込んで椅子やマットの上で過ごすものと、自家用車を近くの安全な場所に移動して車中で過ごすものが出てきた。我が家は、幸いにして妻の車も私の車もガソリンの量は十分である。
日が暮れてから時間とともに冷え込んできたので、寒がる妻子は時折車の中へ入れたがエンジンだけはかけさせなかった。本人たちは口々に文句を言ったが近所の人へのせめてもの配慮だ。ぎりぎりまで我慢。
幸いこの23日は晴天。明日も晴天の予報で雨に打たれたりする心配がないのは幸いであった。ただ、その分放射冷却気味で冷え込んできている。いずれどこかで判断は必要であろうが、まだ緊張感が解けないので、やはり外で人と話している方が気が紛れる。互いに持っている菓子類等の食料を融通しあう。夕食前であった我が家にとっては大変ありがたかった。
さて、近所にすむ母親であるが、隣り合う近所の人たちと屋外で徹夜を決め込んでいたようであるが、近くの宿泊施設であるアトリウム長岡が、避難所として解放されるということで、そちらに行くことにしたという。助かった。少なくともこれで心配の一つはある程度消えた。近所の方々には面倒をかけるかもしれないが、気丈な母のことであるからそう大きな迷惑はかけないだろうと見送った。
アトリウムには対応の早さに感謝するが、我が町内にはアトリウム開放の連絡はない。情報伝達の難しさである。我が家付近にもお年寄りはいるのに...。
とはいえ、この辺の新しい家の造りには耐雪用の高床式住宅というものがあり、床下とはいえ人がたてるような作りになっている。私の家も同様の作りで、向かいのお年寄りは我が家隣のお年寄りに誘われ、隣の床下車庫へ入った。ストーブもそのまま持って行くようにさせたので、完全とはいえないが、外にいるよりはより寒さが防げたであろう。後にわかることであったが、この家の構造は揺れに対する強度があるそうで、まずは家屋の倒壊を防いだという意味では効果的であったという。また、寒さをしのぐ避難場所としても有効で、揺れたら逃げ出すのにも対応は素早くできそうである。
こうやって、それぞれ思い思いに待機していたが、日付が変わった頃を境に揺れる回数もずいぶん減ってきたので、玄関に布団を持ち出してすぐ避難できる態勢で屋内待機をすることになった。我が家も、私は玄関でパイプ椅子(リクライニングできる)で、家族は玄関からすぐの部屋でという体勢で寝ることにした。私はほとんど寝られなかったが、4時過ぎには少しうとうとしてしまった。とにかく、こうやって地震初日の夜は明けた。
ちなみに、このとき家族一人一人に次のことを指示して寝させた。
・必ずポケットライトを持っていること(アウトドア好きが高じてマグライトだけはいっぱいある)。
・同様に家の鍵も必ず。
・いざというときに持ち出すものは最小限鞄に詰め、玄関におくこと。
・妻と娘はコンタクト使用者なので、コンタクトケースや必要器具は一緒にそろえて鞄に入れておくこと。
・寝るときの服装はそのまま飛び出してもよい服装で寝ること。したがって外套着用・靴下もはいたまま。
・玄関へのドアは開けたままにし、揺れたら私が玄関ドアを開けるので、まっすぐ飛び出してくる。
等々を指示した。結果的には飛び出すまでの事態には至らなかったが、この様な体勢をしいた。
写真はJR見附駅前の風景である。長岡よりは震源から遠い見附であるが、揺れは相当であったと聞く。市内各地に家屋や塀の破損が見られる。また、先の水害の現場となった刈谷田川近くの町内では液状化が起こったのではというような場所もあった。
中小の地震が時折起こる中、町内の皆はそれぞれ待機する態勢を整えたが、基本的には衣服をたくさん着込んで椅子やマットの上で過ごすものと、自家用車を近くの安全な場所に移動して車中で過ごすものが出てきた。我が家は、幸いにして妻の車も私の車もガソリンの量は十分である。
日が暮れてから時間とともに冷え込んできたので、寒がる妻子は時折車の中へ入れたがエンジンだけはかけさせなかった。本人たちは口々に文句を言ったが近所の人へのせめてもの配慮だ。ぎりぎりまで我慢。
幸いこの23日は晴天。明日も晴天の予報で雨に打たれたりする心配がないのは幸いであった。ただ、その分放射冷却気味で冷え込んできている。いずれどこかで判断は必要であろうが、まだ緊張感が解けないので、やはり外で人と話している方が気が紛れる。互いに持っている菓子類等の食料を融通しあう。夕食前であった我が家にとっては大変ありがたかった。
さて、近所にすむ母親であるが、隣り合う近所の人たちと屋外で徹夜を決め込んでいたようであるが、近くの宿泊施設であるアトリウム長岡が、避難所として解放されるということで、そちらに行くことにしたという。助かった。少なくともこれで心配の一つはある程度消えた。近所の方々には面倒をかけるかもしれないが、気丈な母のことであるからそう大きな迷惑はかけないだろうと見送った。
アトリウムには対応の早さに感謝するが、我が町内にはアトリウム開放の連絡はない。情報伝達の難しさである。我が家付近にもお年寄りはいるのに...。
とはいえ、この辺の新しい家の造りには耐雪用の高床式住宅というものがあり、床下とはいえ人がたてるような作りになっている。私の家も同様の作りで、向かいのお年寄りは我が家隣のお年寄りに誘われ、隣の床下車庫へ入った。ストーブもそのまま持って行くようにさせたので、完全とはいえないが、外にいるよりはより寒さが防げたであろう。後にわかることであったが、この家の構造は揺れに対する強度があるそうで、まずは家屋の倒壊を防いだという意味では効果的であったという。また、寒さをしのぐ避難場所としても有効で、揺れたら逃げ出すのにも対応は素早くできそうである。
こうやって、それぞれ思い思いに待機していたが、日付が変わった頃を境に揺れる回数もずいぶん減ってきたので、玄関に布団を持ち出してすぐ避難できる態勢で屋内待機をすることになった。我が家も、私は玄関でパイプ椅子(リクライニングできる)で、家族は玄関からすぐの部屋でという体勢で寝ることにした。私はほとんど寝られなかったが、4時過ぎには少しうとうとしてしまった。とにかく、こうやって地震初日の夜は明けた。
ちなみに、このとき家族一人一人に次のことを指示して寝させた。
・必ずポケットライトを持っていること(アウトドア好きが高じてマグライトだけはいっぱいある)。
・同様に家の鍵も必ず。
・いざというときに持ち出すものは最小限鞄に詰め、玄関におくこと。
・妻と娘はコンタクト使用者なので、コンタクトケースや必要器具は一緒にそろえて鞄に入れておくこと。
・寝るときの服装はそのまま飛び出してもよい服装で寝ること。したがって外套着用・靴下もはいたまま。
・玄関へのドアは開けたままにし、揺れたら私が玄関ドアを開けるので、まっすぐ飛び出してくる。
等々を指示した。結果的には飛び出すまでの事態には至らなかったが、この様な体勢をしいた。
写真はJR見附駅前の風景である。長岡よりは震源から遠い見附であるが、揺れは相当であったと聞く。市内各地に家屋や塀の破損が見られる。また、先の水害の現場となった刈谷田川近くの町内では液状化が起こったのではというような場所もあった。
>この辺の新しい家の造りには耐雪用の高床式住宅というものがあり、床下とはいえ人がたてるような作りになっている。私の家も同様の作りで......
●人がたてるような....とは人の背丈より高いと言うことですか、南洋では床高式建築が多いのですがこれと一緒と言うことでしょうか.......?
過去記事へお越し。ありがとうございます。
改めて読み返すと、あの時のことを思い出します。
さて、質問に対するお答えですが、「はい」です。
鉄筋コンクリート製で、入口部は約170Cmく
らいで、内部は180Cm以上はあります。
したがって、人は立っていられます。入口部170
Cmくらいというのは、シャッターのせいです。
乗用車などはそのまま入れますから、まるで三階建
てのように映りますよ。