地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

10.23新潟県中越地震108「榎トンネル・小千谷側」

2005年02月05日 09時54分34秒 | 新潟県中越地震
 JR上越線・榎トンネル・小千谷側。今まで紹介した榎トンネルの写真はすべて長岡側であった。

 1月29日(土)、反対(小千谷市)側にはじめていくことができた。この日は天気も良く、現場は雪に覆われてはいるものの、被害の全容をある程度確認できる状態であった。幸運。残念なのは、地震発生後比較的早くに、近くまで行っていたが、写真撮影がかなわなかったことだ。

 写真の左から、右の方へと線路が確認できるが、そのままトンネルに入っていくようになっている。国道は左手に見える家屋よりもさらに左側で、その国道は信濃川に沿うようにその先長岡へ向かっている。しかし、今はその道路も斜面もろとも崩れ落ちている。

 この付近の斜面が大きく崩壊したのには訳があろうが、新聞などで中小の採土用の穴がいくつも掘られていたとの報告を見た。
 浦柄地区の道沿いには、確かに小さな穴が掘られているのが確認できるが、大きな穴ではない。ただ、奥行きがどの程度のものかはわからないし、その密度もわからない。崩壊している範囲が広いので、それだけを原因とは言えないと思うが、関わりはあるのかも知れない。良質な土が採れるのだそうだ。

2005年2月5日(土)毎日新聞
・手紙でつなぐ復興の思い ~共感与えた被災前の写真~
・「慈眼寺再建を」 ~薩長から支援の輪~
・山古志村・長島村長の記者会見
・有志が公共施設中心に雪下ろし・山古志村

 小千谷市の慈眼寺については戊辰戦争にまつわる歴史的価値がある。官軍の岩村と長岡藩家老の河合の会見の間があるのだ。是非再建をと願う。写真奥山上は榎峠古戦場、撮影場所背後には朝日山古戦場など、付近はかつて長岡藩と官軍が激しい戦いを繰り広げた場所である。

2005.2.6追加 「炎と水の物語2」サイトへのトラックバックを致しました。防災関係を中心に多彩な記事が掲載される、楽しくも為になるサイトです。管理人様も時折本サイトにご訪問頂いております。
下記は、炎と水の物語2へのリンクです。
http://blog.goo.ne.jp/rgriggs1915/


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4 コメント

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TBありがとうございます (U-1)
2005-02-06 12:40:52
と思ったら、多分なお言葉、恐縮です。

URLは、1915/まででけっこうですから、直しといて下さいませ。



どんな土を採集していたんでしょうか。

http://blog.goo.ne.jp/rgriggs1915/
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U-1様へ (管理人)
2005-02-06 15:46:22
コメントありがとうございます。

迷惑でないようですので幸いです。



URLはご覧のようにいたしました。



 さて、土についてですが、何とも言えないのです。済みません。ただ、稲作等々農業の場での使用目的があったと記憶しています。



 ちゃんと、それを記憶しておけば良かったのですが、困ったものです。こちらは震災後、落ち着いては来ていますが、まだ、震災関係の報道が続いています。新聞やニュース等、報道されたものの断片は極力記録がてらに、震災関係の記事に付け加えておこうと、最近になって取り組み始めました。



 何かわかりましたらコメントにて付け加えておきます。
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Unknown ( U-1 )
2005-02-06 19:54:45
大変なところすみません。

田んぼの水漏れ防止用の粘土でしょうか。

いずれにせよ、よく崩れております。
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U-1様へ (管理人)
2005-02-06 20:57:53
今晩は。



 用途は違う様に記憶しています。現場は本当によく崩れています。色々撮りだめている写真をお見せしたいくらいです。



 記事では確信がありませんでしたので、書きませんでしたが、あちこち穴が開けられていて、網の目のようになっていたのかも知れません。まるで相川金山のようにです。



 全国各地で、同様の採掘がなされている場所があるとしましたら、今後の震災のためにも点検が必要と思います。原因が一つに特定できないとはいえ、無関係とも言い切れませんので..。



 申し訳ないです。いつも確信のない返事ばかりです。
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