地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

坂戸城のある稜線

2008年10月27日 06時01分50秒 | 新潟地理歴史

新潟地理歴史・写真撮影:2008.10.13

 

 雲洞庵を後にし、長尾政景公墓所を目指す途上で撮影した。坂戸城は上田長尾氏の城。山全体が城であったという。城跡へは山登りが待っているので、この日はあきらめた。目をこらしてみると何か赤い屋根の建物が見られる。富士権現が祀られていると言われるが、望楼があった場所であろうと見られている。

 

Photo-01

 

 

 

 

 

 戦国時代、山全体が山城であった坂戸山。上杉謙信ゆかりの城跡であり、上杉景勝、直江兼続の居城でもありました。麓には、殿様が銭を投げ込んだと言われる池がある銭淵公園があります。昭和54年国の指定文化財。
▲新潟県南魚沼市おまかせBOOKより

 

 

 

 

Photo-02

 

 

 

 

Photo-03

 

 

 

 

Photo-04

 

 

 

 

Photo-05 (反対側・魚沼丘陵方向)

 

 

 

 

 

直江兼続

 兼続は永禄三年(1560)長尾政景の臣、樋口兼豊の長男として生まれた。幼名与六。幼くして景勝の近習となる。長身にして眉目清秀、度量、才気、言行ともに優れ越後男児の天質を備えていた。二十一歳で上杉家の執政に任ぜられる。

 主・景勝とともに上杉謙信の遺風を尊び義を重んじ、民心を安んずる治世を第一とした。窮地にあっては、常に義の真理を貫き、強者に屈せず堂々と対峙して上杉家の威風を示した。

 学問を尊敬し、当代一流の高僧たちとの親交を深めた文化人としての素養に、かつて秀吉は「天下の治世を任じ得る人物」として兼続の人品を武士の典型と絶賛している。

 兼続は、「愛」の一字を兜に掲げた。これは「国の成り立つは民の成り立つを持ってす。」と言う師、通天存達の教えで、兼続生涯の理想であった。そのために兼続は生命をかけて戦い、命をかけて上杉家を守り抜いた。

▲直江兼続と南魚沼市(資料-1)より

 

 

 

 

資料-1 (直江兼続と南魚沼市)

 

 

 

 

資料-2 (グーグルマップ)


 

 

 

 

 

【坂戸城・関連サイト】

 

http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Hokuriku/Niigata/Sakado/index.htm
埋もれた古城

http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Hokuriku/Niigata/Sakado/Sakado.htm
埋もれた古城/坂戸城めぐり

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%88%B8%E5%9F%8E
坂戸城 - Wikipedia

http://www.yukiguni.ne.jp/mkanko/uesugi&naoe.html
六日町観光協会

http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/koushinetu/c-1-3-4-1-siro-SAKADO.html
ザ・登城

http://www.tky.3web.ne.jp/~ashigal/siro/sakato/index.html
バーチャル?城郭見学会(坂戸城)

http://www.tentijin.jp/2007/11/post.html
天地人、直江兼続生誕の地 新潟県南魚沼市

 

 

 

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写真撮影:2008.10.13 南魚沼市
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2008年 地理の部屋と佐渡島 
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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29 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (the-fuji)
2008-10-27 07:20:16
Photo-03でやっとみつけました。高いところにあったんですね。田園風景舗装してない道路を見ると珍しく感じ増すね。その昔場内カラン見晴らしは凄かったでしょうね。
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Unknown (the-fuji)
2008-10-27 07:22:26
↑訂正。城内からの見晴らし。
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Unknown (mitirin)
2008-10-27 08:13:09
おはようございます、大河ドラマって!
数年間、見た事が有りませんが、
天、地、人、見たく成りました、
出演者が素敵な人達だと嬉しいけど、
ちりさん、5枚目の画像素敵!
広大だいし、晩秋の風景ですね、
広島は寒い朝を迎えました
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坂戸城跡 (hiroshijiji1840)
2008-10-27 09:11:55
お早う御座います。!
爺のブログにお越し頂、ありがとう御座います。

写真より察するに結構高い所に山城はあったのですね。
この様な名所旧跡を紹介するサイトを閲覧するのは、小生のもっとも喜ばしい所です。
紹介に感謝いたします。!
来年の大河ドラマが一段と楽しく見られそうです。

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ホントに山城ですね (もみじ)
2008-10-27 13:33:07
この当時の山城は砦に毛が生えた程度の物で、戦時にのみ使用したものと思われますが、ここはどうだったのでしょうね。
平時にはこの山のふもとで生活し、いざ鎌倉という時にこもった城だと思いますが、「天地人」でどのように描かれるか楽しみです。
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こんにちは (mico)
2008-10-27 14:27:37
今の政治家に爪の垢を煎じて飲ませたいですね。
田園風景に日本の原点を感じました。
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殿さまになったことを・・・ ()
2008-10-27 19:16:46
こんばんは、地理佐渡管理人さん。

わが町の山城と云われるところに住んだとしたらどうだろうかと?と考えたことがあったのです。
殿さまになったわたしは、日々その居城で朝起きてどうしていたかなと・・・
朝起きたら、顔を洗い歯を磨く当時の習慣は?歯は歯磨き粉がなかったからみがかなかった?顔を洗う水は麓から運ばせていたのか??
朝、やはり排泄をもよおすのでは?どこでするのかその処理は??と・・・
山城は住みずらい???
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the-fujiさんへ。 (地理佐渡..)
2008-10-27 19:34:24
こんばんは。

そうですね。城からの風景は
最高であったことと思います。
しかし、この辺は昔は稲作を
するには大変だったかも知れ
ません。今でこそ、魚沼コシ
ヒカリの中心的産地なのです
が..。

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mitirinさんへ。 (地理佐渡..)
2008-10-27 19:36:18
こんばんは。

越後人が題材になる大河ドラマは
過去もありましたが、そうそうあ
りませんから是非見ていただきた
いとお願いしたいところです。

これから、越後は陰鬱な雲に包ま
れます。そんな冬があるからこそ
の越後です。今日は朝から荒れ模
様でした。

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もみじさんへ。 (地理佐渡..)
2008-10-27 19:37:22
こんばんは。

館はたぶん麓にあったと思います。
ご覧の通りの高さですから、毎日
ここに登城というわけには、さす
がに行かぬものと..。
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