団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

圧倒的教養

2008年09月07日 | 日本再生

  

漢詩は読めない、詩や俳句もできない、古典の知識も無い、世界や日本の歴史にも暗い。能や歌舞伎もわからない。茶や花も武術もやらない。ピアノも弾けない演劇や歌も駄目。英語は話せない。その他、教養と言うものが全く無い。我ながらみごとな駄目人間です。このうちのどれか一つでも身に着けていればそれなりに自信にもなったのでしょうが今更後悔してもチョッと遅すぎです。

  それにしても、昔の人はこうした教養を結構身につけていたようで、きっと子どもの頃から大変な努力をしたのでしょうね。その点、これらのどれ一つも身につけなかった私は結構のんびりと過してきたような気がします。テレビの見過ぎだったのかも。今の、負け組みも自業自得というところでしょう。

 ところで、突然の辞任をした福田さん。私は最後に一番良い仕事をしたと評価しています。あの人を総理にさせた人達にこそ本当の責任はあると思います。その人たちが又麻生さんを総理にしたくないのでうごめいているようですが、自分達の利益だけで総理を選ぶのじゃなく国のために選んで欲しいものです。そんなことを言っても反省するような人達じゃないでしょうが、9月3日、読売新聞コラム「アングル」にあった藤原正彦さんの言葉を聞かせたいですね。

 サプライズ辞任(1)惜しむ声なし それが悲劇 藤原正彦さん65

 今回の「アングル」のテーマは、福田首相の「サプライズ辞任」です。政局が一気に不透明感を増す中、退陣劇を通して、宰相に求められる資質などについて識者らに意見を聞きます。・・・中略

 ―― 真のリーダーに求められる条件とは

 まず第一に圧倒的な教養と、それに根ざした大局観があること。第二に、いざとなったら国家のために命を投げ出す気概。必要なら外国のトップにも激しく迫るくらいの人でなければ、国益は守れないし、国民もついてこない。

 真のリーダーがいないのは、官界や経済界、学会も同じ。その遠因には、活字文化が衰退し、第一の条件である教養が昔より低下していることがある。祖国に対する誇りにあふれ、教養も気概もある人が出てきたら、党派を超えて国民がついてくるだろう。

  私ほど酷くは無いでしょうが、それでも「圧倒的な教養」を備えた人が今の日本の政治家の中にいるのでしょうか。その上に、「それに根ざした大局観があること。」となると絶望なのじゃないでしょうか。それとも、私が知らないだけなのでしょうか。
  日本中探しても今の時代こんな条件を満たす人は数えるほどしかいないような気がします。そして、そんな人は政治の世界には飛び込まないのじゃないでしょうか。

そんな人に会ってみたい!