あの只の愚鈍な殿様と言われていた浅野内匠頭の本当の意図をねずさんが何度も取り上げて教えてくれました。
その内匠頭のあの辞世の句が本歌取りだったこともねずさんが教えてくれました。こんな奥深い意味のあった忠臣蔵の本当を知らせない戦後教育の恐ろしさを改めて思わずにはいられません。
下賎の身では、あの辞世の句は即興なのか、それとも切腹を覚悟して準備していたのか気になります。これは、内匠頭に失礼にあたりそうです。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう 日本より 2021/03/25
花さそふ比良 の山風吹きにけり
・・・略
桜の季節になりました。
宮内卿の歌をご紹介したいと思います。
花さそふ比良の山風吹きにけり
漕ぎ行く舟の跡みゆるまで・・・中略
この歌を本歌取りして詠んだ歌があります。
ご存知、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の辞世の句です。
風さそふ 花よりもなほ 我はまた
春の名残を いかにとやせん
ここでは「花誘ふ風」を、「風誘ふ花」としています。
つまり誘う側である主役の男性が強調されています。
そんな爛漫と咲き誇る桜花よりも、自分はもっと春の名残をとどたいのだ、どうしたらそれができるのだ?
というのが、この歌の趣旨です。 ・・・以下略
歴史を学ぶことでネガティブをポジティブに。 今日のねずブロは《花さそふ比良の山風吹きにけり》です。 八百年前も、三百年前も、今の日本も日本です。 その日本人の心に明かりを灯す。 それは、何も大上段に振りかぶることではなくて、ほんのちょっぴ...
小名木善行さ んの投稿 2021 年3月24日水曜日
それにしても、和歌を敬遠して来たことに今更ながら後悔します。勿体ないことをしたものです。
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