◎ローマ法王になる日まで(2015年 イタリア 113分)
原題/Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente
監督/ダニエル・ルケッティ 音楽/アルトゥーロ・カルデルス
出演/メルセデス・モラーン ホセ・アンヘル・エヒド パウラ・バルディーニ アレックス・ブレンデミュール
◎第266代ローマ教皇フランシスコの半生
映画の途中で日本へ赴任するしないっていうくだりがあったんだけど、それってどうだったんだろうって興味はあったものの、なんだかいつのまにか語られなくなってた。でも、ん~っておもってたのはそれくらいで、あとはきわめてスムーズに観られた。ただ、もちろん、この物語はたいへんな半生のほんの一部分でしかないんだろうけど、それでもよくまとまってたな~って印象だわ。
ちょっとだけ戸惑ったのは、若き日の法王つまりイエズス会士ベルゴリオ神父を演じたのがロドリゴ・デ・ラ・セルナで、就任前夜の法王を演じたのがセルヒオ・エルナンデスなんだけど、どうせだったらメイクで老けさせた方がよかったんじゃないかな。だって、かつての恋人で、かつ初老になるまで政治運動をして、最後には逮捕されて睡眠薬を打たれそのまま飛行機から海へ落とされてしまう恩師の娘を演じたムリエル・サンタ・アナはひとりで若いときも老いたときも演じてるわけだから。
ちょっとだけおもえば、この殺害されるときがあまりにも淡々としてて、この事実を知ったときのフランシスコの絶望感がもう少しほしかった。自分は無力なのだというどうしようもない絶望感が。そのせいで地方の農村に隠遁するわけだから、なおさらほしかった。
でも、そうした体験が大司教に迎えにこられてその補佐となりスラムの立ち退きを防ぐべく奔走していく起点にもなってることはよくわかるし、やがてバチカンが認めるところとなってローマに呼ばれるのもよくわかった。かれと対極にいるのだといいきる秘書の婆さんもいつまにか崇敬者になってるしね。物語の構成上からスペイン語に誘われるのはよかった。
というのは、ドイツ・ババリア地方アウグスブルグのペルラハ聖ペトロ巡礼教会(ペルラハ教会)にあるヨアン・ゲオルグ・メルチオ・シュミトナーの『結び目をほどくマリア』と出会うくだりことだ。見えない糸つまり言葉が繋がってるんだね。
あ、あと、音楽、よかったなあ。