◎愛を読むひと(The Reader)
けっこう身を入れて観ちゃったもんだから、レイフ・ファインズの行動に腹立たしさばかりおぼえる。それも2度、いや、3度。というのも、過去、戦後まもないときに童貞を失って、ケイト・ウィンスレットの身体に溺れているとき、朗読させられつづけたら嫌でも文盲かどうかはわかるってもんだが、それのかけらも気づかないってのは、ちょっと物語上の都合が良すぎないか?
それをまあ百歩ゆずったにせよ、チンチン電車の車掌から事務方に昇格できる機会があったのに逃げるようにいなくなり、やがてレイフ・ファインズが大学生になったときそのゼミの実習で裁判を傍聴するんだけど、そこでケイト・ウィンスレットと再会し、ナチスの戦犯にさせられ未必の故意を疑われてるんだけど、ここでようやく文盲であることに気づく。だったら、そこで証言して助けようとしてやれよっておもうんだな。というより、物語の上からいってもその方がドラマチックになるし面白くなるっておもうんだけどな。これは作り手に対しての怒りもあるな。
で、最後のひとつだけど、年老いたケイト・ウィンスレットの出獄直前に面会できたとき、そこで希望を持たせるんだが、ケイト・ウィンスレットとしては頭が悪い分、レイフ・ファインズが自分の身柄をひきとってくれて一緒に棲んでくれるものとおもっていたらそうじゃなかったっていうときの絶望感といったらないわけで、結局、そのせいで首つり自殺をしちゃうわけで、いったい、ケイト・ウィンスレットの人生ってなんだったんだよって。そういう怒りを生ませる物語は大したもんだけど、でも、せっかく感動できる要素のある作品を1段低いものにしちゃった観はある。これじゃだめだ。