個人情報はパソコンで扱わないのが望ましいのだが、例えば自宅でパーティーをするときに友達に送った案内状に、住所や地図や電話番号ぐらいはメールやスマホで送っているでしょう。Deleteしても情報は回復できるので、PCがクラッシュしたときにHDを抜いて破壊したりする個人ってどれぐらいいるだろうか。世の中のPCの台数を思えば、相当数のPCがそのまま捨てられている可能性が高いのではなかろうか。
賢い回収業者がPCを回収し、データを拾い出し、裏のルートで個人情報を販売していたりもするだろう。だからすでに個人のプライバシーに関する情報は、WEBの世界に流れていると理解した方がよかろう。実際私も初期MacG5がクラッシュし備品がないために修理不可能で廃棄したし、iMacに至っては修理不可でそのまま廃棄した。個人でパソコンを開けてHDだけ取り出す作業は結構面倒くさいし、HDのディスクは容易には壊れない。それに壊したHDをどうやってゴミにだすかということも悩ましい。
だから個人情報は、既にWEBの世界に流れていて、既に秘密の概念ではない。Googleは個人情報にリンクしないだけであり、それが存在しないことを示しているわけではない。そのことを私たちが知らないだけ。
であれば、流れている個人情報にどれだけの価値があるのかが問われる。大概は、一人一人の個人情報では価値がないが、それが一定量集まると価値が生まれる。問題なのは、それがどれぐらい把握されているかが、私たちでは追記できないことだ。
そして個人情報は、本来社会で共有されるべきものである。氏名、住所を隠したら宅急便や郵便物が届かなくなる。だから個人情報を守るのではなく、悪用や名誉毀損から守るアグレッシィブな法律が必要だというのが、「青柳武彦:情報化時代のプライバシー研究、NTT出版,2008」の論説だ。
スカシテンジクダイの群れをみていて、そんなことを考えていた。あの1匹1匹が私たちや個人情報であり、群れになって社会を形成し、大きな魚の餌になる!?・・・。人間とは何か!。それは大きな存在の餌だ。そういうのを人をくった話というのだろうか・・・。
沖縄県石垣市竹富島ビタローの根
Nikon AW130,ISO125,焦点距離18.1mm,f/4.8,1/200