翆が病院勤務から帰ってきた。
夕飯の時に・・・
翆「ねぇーアチキー、一つの街のなかで働いて、暮らして、一生暮らすというのはどう思う?」
「ウーーン、それができれば・・・素晴らしいことジャン」
翆「だよねぇー」
「だって生まれて、学校にいって、仕事もできて、恋人もできて、生活もできて、だろ。それでスープの冷めない距離に親族が暮らしていて、一つの街で暮らせるなら最高じゃん」
翆「だよねぇー、それが当たり前かと思っていたけど・・・」
「だって、学校だ、仕事だで、遠くの街どころか、生まれ育った街を離れて大都会へゆかざるを得ない、というのが今の普通のライフスタイルじゃん。なにか教育上の特別な目的があるなら、大都会や海外へというのもあるけど、せめて仕事や生活ぐらいは生まれ育った街にしたいよね。小樽だったらせめて列車で30分の札幌ぐらいだろうな」
翆「だって、この町内の世話係の会合にいったら、みんな小学校の同級生達ばかりなんだよ。だから会合=同窓会だよ。みんなこの街から離れない人達ばかりなんだ。それで宴たけなわになると小学校の校歌を歌い出すわけ。それからカラオケ大会になるんだけどさ・・・」
「それが普通だよ。現代社会は、そうさせてくれないところが悩ましいよね」
翆「小樽の人でも、精々積丹ぐらいしか出たことがないという話も聞いたよ」
「今時、幸せな人達がいるんだ」
同じ街で暮らし続けられる。
インターネットで世界と結ばれている時代に、いやそうした時代だからこそ、それがどんなに幸せなことかと思う。幸運にも街から出ることがなく暮らせる幸せな人達なのだろう。
・・・
小樽も晴天日が続いている。
追記
IOCのバッハ会長が陣頭指揮で乗り込んできた。昨夜の5者競技の結果、東京都は無観客、神奈川、千葉、埼玉も同様、北海道は検討中、他方で宮城、茨城、静岡の各県では観客をいれておこなうことが決定したと、メディアは報じていた。
少し古い認識だが、オリンピックは世界の国家、そして国際社会の実力競争である。
来年中国で冬季オリンピックが開催される。そのとき以下のような言葉が発せられたならば、それは私達の敗北を意味するだろう。
「中国政府は、国力、そして中国が持っている科学・技術力をあげて新型肺炎の感染を封じこめることに成功し、自由主義経済圏ではなしえなかったオリンピックを、ここに開催する・・・」
そう考えれば、東京オリンピックは開催する方向しかなかったのである。せめてワクチンが効果を最も示す秋にずらして、フル開催すればよいのにと私は考えていたが・・・。それでも観客をいれて開催する実績は確保できたようだ。
オリンピックを中止すればよいという発言は多いが、オリンピックが国家の実力を世界に示す競争だということを、踏まえての発言なのだろうか。
まさに日本の実力が試される機会であり、日本人の大好きな言葉、背水の陣で望む、といわけだ。
今頃、スーパーコンピュータ「富嶽」を駆使して、あらゆるシミュレーション・解析がおこなわれているはずである。それは表に出ることはないだろう・・・。あるいは、広告代理店の担当者は閉会式で、どんな感動を起こそうかと知恵を絞り尽くしているはずである、と私は推測しているけど。
それにしちゃ、大会前の政府の発言も稚拙だ。某役所の大臣の発言なんか、どこにでもいる科学や学問の不勉強な輩としかおもわれないのだが。
どんな事情があるにせよ、スポーツという競争の背後で、日本の科学、技術、マネージメント、の実力に世界が注目しているはずである。
最近各国の新幹線建設で評判が悪い中国政府は、「ではでは、日本の実力というものをみせてもらいましょうか」と、笑いながら腕組みして眺めているはずである。
IOCバッハ会長は、ソンナ消極的ナコトヲイッテテハ、日本ノ国力ハ世界ノ笑イモノニナルヨ!、と危惧して日程を早めてやってきたのかもしれない。なんだWELL CAMEが全然ないじゃん、おいおい、という気分かもしれない。
最も一夜でオリンピックムードにするのは、お祭り国家日本のお家芸だけどさ。
そうしたオリンピックの背景を忘れてもらっては、幸せな人どころか脳天気な人達と世界から笑われるだろう。それは国際社会の一員である日本人としては、やだね!。