む
話は前後するが、1997年に名古屋の大学に赴任した。
当時最速の東海道新幹線は、名古屋駅を通過した。
しかも名古屋嫌いが世間の話題になっていた頃である。
それでも嫌われて結構です、と名古屋人は毅然としていた。
それは古いというよりも奇跡的に残っていた近代化の街だった。
えっ!、恥ずかしくもまだ近代を引きずっていたのか、西麻布のオフィスで最先端のデザインの仕事をしていた私には、カルチャーショックだった。
しかも名古屋人達がそうした街を当たり前のように自慢しているではないか。
何故だろうか?。
およそ媒体の話題にすらならない、名古屋市内の古い街を徘徊するようになった。
凄い、これは近代の遺産ばかりじゃないか。
有松に至っては、本格的な昔の豪壮な民家が建ち並び東海道街道宿の風景を残しているが、当時伝統的建造物群保存地区に指定すらされていなかった。ある当主の家へ招かれて古い民家を訪れてびっくりした。本格的な庭を持つかっての日本の民家がいまだに生活のなかにあることに。歴然と生活の趣向を反映して空間が生きている。
だから日本の重要文化財が生活を伴わず、抜け殻のようであり、とてもちゃちな存在だということに気がついた。
そんな世間一般の先入観念を覆してくれる、実力都市名古屋の底力を見る思いがした。
もちろん、その後名古屋は素早い早さで現代の都市になってしまったから、こうした風景もなくなってしまったものが多い。
名古屋で最後の近代遺産を発見できたことは幸運だった。
学生達との遊郭見学で、
「君たちを1人30万位で遊郭へ売り飛ばすと、僕は500万位の臨時収入になるなぁー」
学生「先生、それって安すぎませんかぁー」
そんな与太話をしているうちに、次第に名古屋の学生と街が好きになってゆく。