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番外編478. スケマティックデザインの世界6. 勝連グスクの創造復元

2021年08月17日 | Design&3DCG

図1.勝連城建築群の創造復元

 

図2.勝連城建築群の配置

 

図3. 一の郭建築群の配置

 

図4. 本殿建築軸組制作過程

 

 首里王朝が成立する前、琉球にも日本の戦国時代と同様の戦が続く時代があった。各地の按司達は覇権を競い、最終的には北山、中山、南山の3城主に集約されてきた。その一つ南山の勝連グスクは、一の郭から四の郭で構成され、海を望む150m程の山頂に設けられた山城である。現在は城壁が復元され、そして本殿とみられる礎石が発掘復元されている。

 建築群の創造復元をしてゆくうえで、この本殿跡の発掘は大きな手がかりである。首里城建築群をみると本殿を介して公私が分けられた空間であることから、勝連グスクでも同様の建築群の配置が見られたと考えられる。それは城壁内中央部に設けられ、城主一族の私的生活空間と交易やこの地域を納めるなどの公的な空間の中間部に本殿があったとみられる。

 その柱間が8尺2,464mmとわかっている。ここから当時の日本及び交易実績があったとみられる中国や韓国の建築様式を踏まえれば、構造的な検討を踏まえて本殿建築を復元することができる。

 さらに出土品をみると、4地点の発掘調査から13〜15世紀の青磁が2,003点出土している。当時の日本の技術では青磁は生産できなかったから、これらはすべて中国からの輸入品となり、この時代の琉球と中国の関係性を裏付けている。さらに屋根瓦や瓦片が2,355点出土していることから建築群の多くは瓦屋根だった事がわかる。こうした発掘調査の結果を踏まえれば、当時の建築群が復元できる可能性が大きくなってくる。そして建築空間量は、出土品同様に当時から大きさは変わらないのである。ここに建築復元できる意味もある。

 そして私的空間である一の郭の建築群は、城壁の大きさから建築空間構成上、このように配置するのが、防衛、そして季節風などの影響を受けにくいはずである。そう、それは中庭に雨端介して向き合い、外に背中をむけた建築群である。一の郭の建築群は、こうした考え方に基づいて復元してみた。

 勝連グスク城壁跡は世界文化遺産である。沖縄県には、首里城城壁をはじめ5グスクの城壁跡が世界遺産に指定されている。現在城壁が復元され。今後建築群が復元されることを期待している。今後他のグスクについても建築群の復元を試みるべく調査中である。随時研究論文として発表してゆく予定である。そうした事を通じて沖縄県の文化復興を果たすことができる。

 私の論文は、すべて公開されているので国会図書館の文献検索などを使えば、原文で読むことができます。

 

画像:想像復元した勝連グスク3DCG

出典:三上訓顯:沖縄県勝連城創造復元モデルに関する研究,芸術工学への誘いvol24.名古屋市立大学大学院芸術工学研究科紀要,2019,p3-12.

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