Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編466. 私の小冊子から5. 湘南海岸2.

2021年07月16日 | field work

 

あとがき

 自宅から1時間でゆける湘南海岸が横浜時代の散歩コースだった。あるときはニコンF4に1000mmの超望遠レンズ、またあるときはEOS kissに100-400mmLレンズをつけ、ハスキーの三脚をかついで夕方の散歩だった。

 陽が暮れるまで鎌倉高校前の海岸でサーファー達を撮影していた。波の造形と人間の動き、そんなものに関心があったのだろう。予備にレンズヘッドが回るニコンクールピクス990という機材もリュックの中にはいっていた。これが結構活躍した。フィルムからデジタルへ移行する端境期だった。

 秋は台風の進路に関心がいった。台風が湘南海岸のはるか沖合を通過するときこそ好い波がきてくれて、撮影チャンスだったのである。これによって台風が接近し去ってゆく時間感覚がわかるようになった。

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番外編465. 私の小冊子から4. 夏の京都の祭

2021年07月15日 | field work

 

あとがき

 例年なら今頃から祇園祭宵山が始まる頃だが、コロナ過で祇園祭は今年も中止になった。

本来、都の疫病を沈めるために始めた祭だったが、その疫病で中止になる構図が面白い。

だから過去画像で。

平成のある夏は、祇園祭、送り火、弘法市、そして8月下旬の二日間だけおこなわれる六地蔵参りと続けて走り回った。

祇園祭は、御池筋の辻に脚立を立て、行列の正面からEF100-400mmのLレンズで撮影できた。手振れ補正が、このときほどありがたかったことはない。今では、規制も厳しくなりそんな撮影ができなくなってしまった。次第に撮影制限が出てくると、京都の伝統行事も興味が失せた。今は行事にでかけることも撮影することもなくなってしまった。

みたらし祭は、祇園祭の1週間後に下鴨神社でおこなわれる楽しい祭である。この日だけ流される疎水の冷たい水が蒸し暑い夏に心地よく、こうして街へ繰り出し、おばんざい屋で宴会だった。

五山送り火は、あるときタクシーをチャーターして五カ所の撮影ポイントを30分で走り回ったこともあった。これならば一度に全部撮影できる。ただし写りを問わなければだが・・・。

六地蔵参りは、毎年8月20日頃の地蔵盆の頃におこなわれている。京都につながる6街道の入り口にお地蔵さんが祀られてある。だから路線バスや電車を乗り継ぎ京都の街の外周を一巡した。もちろんシームレスに交通機関があるわけではなく。炎天下のなか1時間後のバスを汗だくになって待ったいたことが記憶にある。六地蔵巡り最後の山科の徳林庵まできたとき、子供達の表情に救われた思いがした。地蔵盆は、子供達のお祭りである。

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番外編464. 私の小冊子から3. 湘南海岸1.

2021年07月14日 | field work

 

あとがき

 こうして20年前に編集した小冊子の 画像をみていると、このときの私の置かれた環境、感性、物の見方を感じる。この年代の私がみたランドスケープであり、いま同じ風景を前にしても興味はない。この小冊子は、その時々の自分の物の見方や感性の記録なのだろう。

そんななかで、一つだけ変わらないのが、"美しいものを追いかけたい"、の一言。

そのために、季節を読み取り、どんな機材がベストかについて考えあぐね、足繁く通った湘南海岸である。

 今、この原稿のアップさせている京都は、梅雨の予報が出されている。梅雨前線が本州にあるからだ。予報では雨、洗濯物は乾かない、と予報されている。

 だが京都市内は、朝から晴天であり、まれに雨粒ぐらいはあるが、終日晴れている。だから洗濯物は2時間もあれば乾く。そんな風に天気予報は毎日外れている。

 時折小雨で湿り気を補ってくれるので、今がすごしやすい夏の日々だ。もう少しすると、ギリギリと照りつける太陽が登場し40°の日々だ。だから今こそ夏の快適さを肌で感じていたい。

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番外編463.  私の小冊子から2.

2021年07月13日 | field work

 

 

 

 横浜に移り住んだときから、再び撮影を始めた。そて横浜美術館で金村修さんのレクチャーも勉強になった。当時の横浜は、撮影する被写体に恵まれていたわけだ。それがいまは、もうなくなった風景の方が多い。横浜の街の変わり方はとても早かった記憶がある。その横浜をあとにして京都に移り住んだ。

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番外編462. 私の小冊子から1. Mt.Tsubakuro

2021年07月12日 | field work

 

あとがき

 古いハードディスクを整理していたら、20年前に編集した小冊子のデータがでてきた。

Indesignで編集したから、当時出力して本の形式に製本し、研究室のテーブルに置き去りにしていた。その後日々の大学の忙しさもあり、そんな事はすっかり忘れて今に至る。そんな小冊子10册分のデータを、編集した状態でそのまま順次ブログにアップさせてゆく予定。

 今日の冊子は、2009年の10月始め、燕岳に出かけた時のもの。紅葉が終わり冬の準備が始まる頃の天気だった。それでも初めて使用したデジタル一眼レフに135mmまで撮影できるズームレンズをつけて出かけた。それは被写体に恵まれた登山だった。

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ドローイング471. 小説:小樽の翆399. 幕間22. 巣ごもりのクリエイション

2021年07月11日 | Sensual novel

 

 最近の私のブログも、フィールドの話と官能小説!の2つに収斂してきた。

 フィールドワークは出かけなければならないから、コロナ禍で不要不急の外出はするなという時は出られない。

 だが官能小説と挿絵は、クリエイションなので、家にこもって書く・描くには好都合だ。コロナ禍の時、家でどうしていましたか?、と訪ねられたとき、官能小説を書いていました!、と答えるのはある種の痛快感があり、そして軽蔑されるかもしれない。

 それにしても、人間はなんで裸程度の事で物議を醸し出すか。例えば女優が脱いだだけで、大きなコピーが雑誌の表紙で踊りだす。女優って売れない頃は、絵画の裸婦モデルバイトをしていたと思われるし、最近ではチアリーダーを盗み見るというのが犯罪視されている。だがヨーロッパの古い建築の外壁には裸像の彫刻で過剰なほどに装飾されていたりするが。

 少なからず外へ出かけた時、手元にスケッチブックがあればコスチュームの上から類推して裸婦デッサンを描いている。マックで珈琲を飲みながらiPadに裸婦を描くこともある。そうやってデッサン力の維持に努めているが、意識の中で今日も勉強になりましたと感謝。

 人間の上位概念である生物は、子孫を残すという大仕事をするために生きている。そして男と女という二つのカテゴリーがありSEXが関係づけている。これに対して下位概念として生活を社会的に成立させるための膨大な社会構造や制度や仕組みがある。それが大方の人間の思考やライフスタイルを形成している。I.イリイチが最初に提唱したジェンダーという概念である。

 今ジェンダーは、下位概念である社会的カテゴリーにおいて男女やその他を区別や差別をしてはいけませんと定義している。そして上位概念と下位概念を整理して考えましょうというのが現代社会の知見だ。

 そんな事がわかれば人間も大したことがなかった。そんなお互いに大したことがない人間達の姿を描いているに過ぎないが。

 おかげで巣ごもりのストレスは少ないが、それじゃあお前は社会貢献しているのかって?。

 私の名前(漢字でフルネーム)で国会図書館の文献検索をすると148件の学術論文と著書が出てくる。100件ぐらいまでは覚えているが、あとは記憶にない。もう十分日本文化のために社会貢献したから、ええわなという気分だ。

 

 さて、描いたクロッキーをブログのイラストにするときに2つの方法がある。

 図1のようにクロッキーデッサンをスキャンし、水彩紙にプリントしてから、着彩してブログにアップさせる方法、あるいは図2のようにクロッキーデッサンを下敷きにして水彩紙にトレースし新たに描きおここしてから着彩しアップさせる方法とである。

 前者であれば線のタッチをいかすことができるがプリントのインクがにじむのでフィクサチーフで定着するが、それでも水彩絵具の水分が線を溶かすので着彩はしずらい。

 後者であれば、クロッキーデッサンを下敷きにして新たに描きおこしているからクロッキー時のタッチは活かされないが、ボディの立体表現が容易だし、骨格や筋肉を書き加えることもできる。

 そんなことを考えながらクロッキーをブログのイラストにしている。

 

図1.ドローイング464.小説:小樽の翆392.出逢いの感性(左が原画、右がブログアップ画像)

 

図2.ドローイング464.小説:小樽の翆392.その一言で・・・(左が原画、右がブログアップ画像)

 

 ちょうど幕間の話題がもう一つできた。6月24日のブログが、gooの掲載規準に反しているとする指摘があった。このときのドローイングは、描き損ねて描き直そうと考えているうちに忘却の中へ。

 確か2週間前にgooの紹介ブログにアップしませんかとするお誘いがあった。でっ了解した。これが起因していると思われる。

 数日後、突然1時間のアクセス数が100以上になり、1人のフォロワーが増えただけで、すぐにいつものブログに戻った。この頃フィールドワークから官能小説へテーマが変わる頃であった。それが多分フォロワー以外の読者の目にとまる切っ掛けだったんだろう。おそらく読者から、これは公序良俗に反しているとするクレームでもあったと推測。それが以下の図左側に挙げた訂正要求である。

 そこで当該ブログをすべて削除し、新たに作り直した。

 おそらくドローイングが問題と推測し、描き尚したのが右側。あわせて文章も訂正した。こうしたドローイングの場合、表現の許容範囲がある。といってそれは定性的なので、限界値を数量化はできない。まあ実験してみるほかないでしょう。

 それと指摘された当該ブログのドローイングは、人体ボディが立体表現になっていなかったという描きそびれがあった。そうなるとデッサンとしての基盤がなくなるのでクレームをつけやすかったんだろうと推測。

 そうしていたら。また7月1日の3DCG画像が公序良俗に違反すると指摘があった。えーーっ、デッサンに続き3DCGもあかんのか。つまり男女がハダカで重なっていてはアカンというわけだ。

 突然中国・香港のように厳しくなるgooの最近の風潮はなんだろうか。一つはブログ紹介にOKをだした事が起因し、その頃テーマが切り替わるときだったのだ。写真は面白いと思ったら突然濡れ場は、なんだ!、というわけだ。まずい!、毎日訪れてくれる読者以外の目にとまってしまった。

 そんなわけで、またつくりなおしである。3DCGだから、人物を入れ替えただけだが。あとはイメージに合わせて文章を手直ししたら、おや!、少しましになったじゃん。

 もう一つおこなったことがある。私がフォロー中285人、フォロワー158人とバランスを欠いている。私の世界に興味の無い人をまきこんでもしょうがない。できるだけフォロー中158になるように、私がフォロー中の人々を削除した。もし間違ってフォロワーを削除していたらゴメンなさいである。

 

図3.左側:gooの修正要求、右側:修正後のドローイング

 

図4.gooの修正要求にしたがい修正後のドローイング

 

 最近私のブログも少しだけ多くの人々の目にとまる気配を感じている。といってアクセス数は変わらないが、見に来る人間が多様化しているといったらよいか。そうなると文章の練習だといって気楽に書いている状態ではなくなってきた。

 例えばこんなこともあった。中国製バッテリーの使用実感を書いたのだが販売業者から反論がきた。そういえば私の記述は実際に使用した経緯を書いたが、個体差もあるから複数の製品使用実績で書いたわけではなかった。そこで客観性に欠けていると判断し、当該箇所を削除したこともある。

 そうなると、このブログのアナリシスが唯一科学的視点からデータをもちいて書いているが、その他のブログにおいても、これと同様の依拠を示しながらといった書き方が求められてくるのだろう。

 それだけブログが社会性をもってきたといえるかもしれないが、それまでの仲間内の話として、「こんな裸婦書いた!」、「あんたもスケベねぇー!!」と笑われながらといった具合に、親しい人たちのコミュニティをイメージしていたが、どうもそんな気楽な状態とは違ってきているようだ。

 そうした茶飲み話から社会的発言に近づいてくる、つまり毎日学術論文を書くスタンスに近い状態で執筆する事が求められてくると、私的には、窮屈で退屈な状況だ。つまり書き滑り、あるいは描き滑りもありつつの茶飲み話のブログだが、最近は滑ってはアカンみたいだ。

 いつまでも文章とデッサンの練習の場として、筆のままに、時に滑りつつ、気さくに書いて、描いて、いたいと思う。それを失うとブログではないでしょう。 

 

Nikon Df,CarlZeiss PlanarF1.4/50mmT*ZF2

ISO200,露出補正0,f/8,1/30

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ドローイング470. 小説:小樽の翆398. 運命をつかみ損ねる女

2021年07月10日 | Sensual novel

 

 ベーヤンからスマホにメールがきた。

都心のホテルで昼飯を食べようだって。

さては情事でお泊まりだったんだ。

そんなわかりきった事は言わないことにして・・・、

「さて、なんだい?、お昼のテーマは」

ベーヤン「最近、わかったんだ。運命をつかむ女とつかみそびれる女の違いが」

「ほう、それは興味深い」

ベーヤン「運命をつかみそびれる女は、うちの上さんだ」

「上さんの愚痴かい?」

ベーヤン「愚痴は一杯あるが、ある時ふと思ったんだ」

「そうだ今度はこれにしようと面白い企画を考えて気分が乗っていたときに、上さんが掃除にやってきた。でっ、俺がじゃあ、ついでに空気清浄機の埃も取って、そういってカバーを外したところ・・・」

「あとでやって!。下にブラシがあるから」

ベーヤン「なんだ簡単な事なのに一緒にやればいいじゃんというのがこちらの根性だ。そういうやりとりをしている間に新企画のアイデアが消え去りそうだ。慌ててメモ、メモ・・・。それでようやく新企画はメモに留め置いたけど・・・。ふと考えると、これが運命をつかみ損ねる女だ、と思った」

「はあ!?」

ベーヤン「ところが前向きの女だったらしょうがないなぁ、と愚痴をこぼしながらかたづけてゆくだろう。これが社会だったら、その余計な事から仕事が広がってゆき、思いもしないところで運命が開けてゆくという例は数多い。そこだよ!、運命をつかむ女とつかみそびれる女の違いは!」

「つまり物事を真面目に考えてゆく女と、そんなことを気にしない女とがいるというわけだ」

ベーヤン「うん、細かいことを気にしない女の方が、運命に巡り会う確率が高いというわけさ」

「まあ、人間の近未来のことはわからんから、まあやっておくかとするお気楽根性の方が、いいわけねぇー」

ベーヤン「そこだよ、お気楽暢気な女の方が運命をつかみやすいということだね」

「ふぅーーん、人間は暢気な方が出世するというわけだ」

ベーヤンの理屈だから、あまり信用できない話だが・・・。

ベーヤンの家は仮面夫婦なのだろう。

自分の人生設計を描き、この男あたりが適当と狙いを定め、好きでもない男とセックスをし、これを恋愛という虚飾の言葉で飾り付け、子供をつくり、あとは我慢の日々暮らしで年老いてユクというわけだ。

そう考えれば、恋愛なんて言葉は小説の世界だけのことであって、男と女はオキトキシンの分泌で、たまたま手の届く範囲にいた者同士がくっついて所帯ができるのだろう。

セックスしたあとで、この女と相性がいいかどうかははわかるけど・・・。

今のところ代わりがいないから、これでいいやとあきらめ、あとはお互いの忍耐力があるのみか・・・。

そんな打算的な女のために、こちらは苦労したくないですねぇー。

一緒に暮らす意味がないじゃん・・・。

・・・

小樽は今日も晴天。さて午後はどこへゆこうか。

 

追記

 昨日のブログで、オリンピックは国家の実力を示す場だと書いた。そして来年冬季オリンピックを迎える中国から、どのように受け止められるかと懸念材料を書いた。

 そうしたらNHKの報道で、早速中国の庶民から「日本はせっかくの実力を示す機会を失って残念ね、来年は中国が冬季オリンピックを成功させるわ」、「今後日本の国際的地位は低下するだろう」とする発言を報じていた。実に冷静な見方である。

 そう世界は、日本の実力をみたかったのである。もう中国の庶民にまでいわれてしまった。情報伝達の早いこと。

 国際的地位の低下は、今後貿易立国日本にとって痛いダメージになるだろう。それは庶民の暮らしにまで影響を与えそうだ。優れた技術を持った中小の企業は、いずれ中国資本に飲み込まれるかもしれない。そうした事態に日本の論理や制度は通用しない。大量の日本人職人の解雇につながる事態だって考えられそうだ。それに食料の過半を輸入に頼る日本で、もはや日本の力のなさを見透かされてしまったのだから、今後大豆を買ってもぼられるだろうな。それは物価に即跳ね返ってゆく。

 そう世界は、ものすごくえげつないのです。それが国際社会です。

 既にオリンピックは、スポーツ競技の枠を超えて国家の実力を示す場になっている。難局だからこそ、そして感染者数の少ない日本だからこそ、その実力を世界は見たかったのだろう。

 世界は日本に失望したのであり、中国は諸手をあげて拍手した事だろう。

 そうした見地から国民を説得できる指導者がいなかった事が日本にとっての不運だった。残念ながら、みんな作文棒読みの役人ばかりでした。安心、安全、子供達の将来のために、といった作文用語の羅列では、何だ!、お前達は自分の国のことしか考えていないのかよ!、この地球をどうするんだよ!!、なにも提案がないじゃないか!!、と各国からつっつかれそうだ。

 オリンピックは世界各国から選手達がやってくる舞台だ。だから世界に対して困難な状況の中で何を発信するのか、世界は新しいコンセプトを求めているが・・・。そこが今問われている。

 私は開催時期をずらして、ワクチン効果が上がる秋にフル開催すればよいのにとする意見だが、これも外れちゃいました。

 日本も、運をつかみ損ねたといえるでしよう。

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ドローイング469. 小説:小樽の翆397. 幸せな人達

2021年07月09日 | Sensual novel

 

 翆が病院勤務から帰ってきた。

夕飯の時に・・・

翆「ねぇーアチキー、一つの街のなかで働いて、暮らして、一生暮らすというのはどう思う?」

「ウーーン、それができれば・・・素晴らしいことジャン」

翆「だよねぇー」

「だって生まれて、学校にいって、仕事もできて、恋人もできて、生活もできて、だろ。それでスープの冷めない距離に親族が暮らしていて、一つの街で暮らせるなら最高じゃん」

翆「だよねぇー、それが当たり前かと思っていたけど・・・」

「だって、学校だ、仕事だで、遠くの街どころか、生まれ育った街を離れて大都会へゆかざるを得ない、というのが今の普通のライフスタイルじゃん。なにか教育上の特別な目的があるなら、大都会や海外へというのもあるけど、せめて仕事や生活ぐらいは生まれ育った街にしたいよね。小樽だったらせめて列車で30分の札幌ぐらいだろうな」

翆「だって、この町内の世話係の会合にいったら、みんな小学校の同級生達ばかりなんだよ。だから会合=同窓会だよ。みんなこの街から離れない人達ばかりなんだ。それで宴たけなわになると小学校の校歌を歌い出すわけ。それからカラオケ大会になるんだけどさ・・・」

「それが普通だよ。現代社会は、そうさせてくれないところが悩ましいよね」

翆「小樽の人でも、精々積丹ぐらいしか出たことがないという話も聞いたよ」

「今時、幸せな人達がいるんだ」

同じ街で暮らし続けられる。

インターネットで世界と結ばれている時代に、いやそうした時代だからこそ、それがどんなに幸せなことかと思う。幸運にも街から出ることがなく暮らせる幸せな人達なのだろう。

・・・

小樽も晴天日が続いている。

 

追記

 IOCのバッハ会長が陣頭指揮で乗り込んできた。昨夜の5者競技の結果、東京都は無観客、神奈川、千葉、埼玉も同様、北海道は検討中、他方で宮城、茨城、静岡の各県では観客をいれておこなうことが決定したと、メディアは報じていた。

少し古い認識だが、オリンピックは世界の国家、そして国際社会の実力競争である。

来年中国で冬季オリンピックが開催される。そのとき以下のような言葉が発せられたならば、それは私達の敗北を意味するだろう。

「中国政府は、国力、そして中国が持っている科学・技術力をあげて新型肺炎の感染を封じこめることに成功し、自由主義経済圏ではなしえなかったオリンピックを、ここに開催する・・・」

そう考えれば、東京オリンピックは開催する方向しかなかったのである。せめてワクチンが効果を最も示す秋にずらして、フル開催すればよいのにと私は考えていたが・・・。それでも観客をいれて開催する実績は確保できたようだ。

オリンピックを中止すればよいという発言は多いが、オリンピックが国家の実力を世界に示す競争だということを、踏まえての発言なのだろうか。

まさに日本の実力が試される機会であり、日本人の大好きな言葉、背水の陣で望む、といわけだ。

今頃、スーパーコンピュータ「富嶽」を駆使して、あらゆるシミュレーション・解析がおこなわれているはずである。それは表に出ることはないだろう・・・。あるいは、広告代理店の担当者は閉会式で、どんな感動を起こそうかと知恵を絞り尽くしているはずである、と私は推測しているけど。

それにしちゃ、大会前の政府の発言も稚拙だ。某役所の大臣の発言なんか、どこにでもいる科学や学問の不勉強な輩としかおもわれないのだが。

どんな事情があるにせよ、スポーツという競争の背後で、日本の科学、技術、マネージメント、の実力に世界が注目しているはずである。

最近各国の新幹線建設で評判が悪い中国政府は、「ではでは、日本の実力というものをみせてもらいましょうか」と、笑いながら腕組みして眺めているはずである。

IOCバッハ会長は、ソンナ消極的ナコトヲイッテテハ、日本ノ国力ハ世界ノ笑イモノニナルヨ!、と危惧して日程を早めてやってきたのかもしれない。なんだWELL CAMEが全然ないじゃん、おいおい、という気分かもしれない。

最も一夜でオリンピックムードにするのは、お祭り国家日本のお家芸だけどさ。

そうしたオリンピックの背景を忘れてもらっては、幸せな人どころか脳天気な人達と世界から笑われるだろう。それは国際社会の一員である日本人としては、やだね!。

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ドローイング468. 小説:小樽の翆396. 職員紙でネタ

2021年07月08日 | Sensual novel

 

 ボッキマン君がスキップしながらナースセンターにやってきた。

日勤の翆達と休息時間の雑談だ。

ボッキマン「病院の裏話ですぅー」

翆「また、職員紙でネタを仕込んだな。でっ?」

ボッキマン「先ずはこんなのから・・・」

『患者さんのオムツの中からトカゲが出てきた』

翆「それやだぁー、どうしてそうなるの?」

『机の上のティッシュの上に置かれた、かりんとうを排泄物だと思った。食べる?、とすすめられて焦った』

翆「それいわれると、かりんとうを食べられなくなるよね」

『深夜帯にナースコール頻繁でバタバタしていて、一息ついてステーションに戻ってきたら、 認知症の患者さんがパソコンの前に座って私の夜勤用おやつを食べていた』

翆「それ、超迷惑!」

『高齢者女性の夜間緊急入院依頼。外来から申し送りを受けて病室へ。トイレに行きたいとナースコールがあり、 排泄介助をしようと下着を下ろしたら陰部に男性のシンボルが…?。 女性の大部屋だったので、慌てて男性の空き部屋を探すことに。時々いますけど、おばあさんみたいなおじいさん(逆パターンも)』

翆「だって急患の患者さんって会話できないときがあるのよ。だから機器をつけるときに、それとなく股間を触って確かめるんだけどねぇー」

『あっ、それ僕もやります!。次は術後、ポータブルのレントゲンを撮る際、技師『写真撮りますよ』患者さんが『えっ?笑うの?』ほっこりしました』

翆「そのギャグは古い!」

『歩行訓練で一緒に歩いているのに早すぎておいていかれた』

翆「元気な患者がいるんだよ。看護師は疲労困憊なんだけどさ」

『病棟のカンファレンス中、1人の看護師さんが居眠りをしてしまい、 ガタッと音がして起きた瞬間『寝てません!』と立ち上がり大きい声を出した』

翆「それ看護師の処世術・・にもならないか。みんな激務だってわかっているからさ」

『朝寝坊をして、パジャマにコートでタクシーで通勤してきたこと』

翆「勤務が終わったときはどうやって帰るんだろうね」

『手術室で麻酔科の先生のバックと患者さんのバックを間違えて 麻酔科の先生のバックに患者さんのショーツを入れてしまった』

翆「最近カバンって黒が多いじゃん、それありえる。先生がそのまま学会にいって書類だと思ってショーツをだしたら、みんなどんな顔するかねぇー」

『患者さんと食事の雑談をしていて、自分がよだれを垂らしてしまった』

翆「自分で食べた記憶がないと、あるよね。特に海外のお食事!」

『ノロウイルスの影響で人手不足だったとき、病棟メンバーでおつかれ様会をおこなったが、翌日牡蠣にあたり全員ノロにかかった』

翆「食い気タップリのオバカ看護師だもん」

『日勤だと思い朝早起きして出勤すると休みだった』

翆「逆もあって、寝てたら起こされて病院へ出勤してさ・・・」

ボッキマン「今日は、こんなところかなぁー、じゃ!」

翆「やっぱり、溜まっているときにセックスをして助けてくれた。それでスッキリと元気になった。ここだなぁ、彦星と織姫がカップルになるきっかけは。やっぱ和子さんとうまくいってんだ」

・・・

今日は、七夕だ。

さて星空が見えるかなぁー、そんな小樽である。

 

追記

ようやく1年ぶりに中年体型から脱出し、標準体型に戻った。もう何十年ぶりかの体型だろうか。体脂肪率も20%に近づいた。あと少しのところまできた。回りをみると中年太りのまま、という人間は大変多い。やはり痩せないと体に負荷がかかりすぎる。

ダイエットしてダイビングをしたらどんな感じで潜れるんだろうという好奇心があった。それに沖縄グスクの調査もある。だからダイビングが16時頃に終わると県立図書館にでかけて文献複写やデータ入力をして閉館時迄すごしている。それからゆきつけのスナックに立ち寄って長い那覇の夜が終わる。

じゃあ沖縄の自粛期間が終わったら一寸だけ出かけてみようと目論んでいた。だが感染者数はいっこうに減らないどころか、緊急事態宣言になってしまった。そうなると、ゆきつけのスナックで1日の〆をするのは不可能になってしまった。

それにダイビングは、いつでもできるが、沖縄グスクの原稿が先に進まない。原稿の締め切りは来年1月頃。データが集まらないので困った。一気に原稿を書き上げようとしていた矢先だっただけに口惜しい。といって全くダイビングもお酒もない、地味にデータ収集ばかりでは、でかける気分にならない。これらはトリプル・セットで気力を養っていたのだった。

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ドローイング467. 小説:小樽の翆395. 普段着の距離

2021年07月07日 | Sensual novel

 

 本州は梅雨だが、小樽は晴天だ。

今は感染症対策で看護師もとられているから、在来病棟は休みなしの忙しさだ。

だから昼の僅かな休息タイムで荒唐無稽な話に、花をさかせるのがストレス解消。

翆「最近和子さんとやってるからボッキマンが元気だよねぇー」

和子「感染病棟のメカニックだもん、いま一番活躍して欲しい人」

翆「夜もぉー?」

和子「だってジムで体を鍛えているでしょう。精力が有り余って大変よ。抜いても、抜いても、チャージしてくるのよ」

翆「和子さん、山女だから、スタミナバッチリじゃないの」

和子「うん!、スタミナだな、男と女の相性は!!。もう一つ相性があって、家の近さだよね」

翆「あっ、そうか、和子さんのアパートとボッキマンの下宿は、歩いて行けるんだ」

和子「家が近いと、幼なじみと会っているみたな親近感ってあるのよ。だから、いつもフランクにやってくるの」

翆「家の近さが熱々にさせてくれるってあるよね」

和子「絶対フランクさって男と女の必需品。昔の村の感覚じゃないかな」

翆「男と女のラブラブの距離は、距離の二乗に反比例するという法則があるよ」

和子「近ければ近いほど、熱々になるって感じかな。近いから普段着でいいし構えることもないしさ・・、そんなところが気楽だよ」

翆「普段着の距離ってあるよね。今日はデートだといって着飾ってゆく必要がないもんね」

和子「普段着の親密感!。色気はファッションじゃなくて、オキトキシンが分泌する生理現象だからね」

翆「スープの冷めない距離にみんなで暮らす快感があるね。だから遠距離恋愛なんか破局もんだよね。私ならあり得ない世界」

和子「一つの街のなかで、出逢って、一緒に暮らして・・、と人間の一生が完結してゆくって必要な事だよ。いまはネットで世界とつながっているから外の世界のことなんかいつでも見れるでしょう。だから身の回りのこととか人生が、ひとつの街のなかで完結してゆくことに、絶対価値がある!」

翆「うん!、負荷のかからない生活ね!・・・、あらっ!、もう投薬の時間だぁー、ゆ・き・ま・す・かぁー」

・・・

大都市の雑事が嘘のように、小樽では湿度の低い快適な毎日が続いている。

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ドローイング466. 小説:小樽の翆394. 海の家へ

2021年07月06日 | Sensual novel

 

 たまにはアチキは、海へ絵を描きにゆこう。

"海へ絵を描きにゆく"、このフレーズが好きだ。

そんなわけで銭函海岸で波の絵を描いて、翼君がいる海の家を訪れてみよう。

海の家は、夏のシーズンの準備で忙しいだろう。

翼「コロナだもん、暇だよ!」

「あちゃー、ここもか・・・」

翼「でまあ、僕は海の家の管理があるからバイトが続いている」

「光凛さんとの仲も?」

翼「もち!、光凛は池江璃花子を目指して水泳の練習に没頭している。県大会にでるんだって」

そうかあ、ここは彼らの根城だったな。

「でっ、翼は?」

翼「これ!」

そういって黒くて厚い手帳を持ってきた。

「なんじゃ、これ、ダイビングのログブックじゃないですか。ちゅうことはオープンウォーターはとったんだ?」

翼「もち!、うちの店が積丹でダイビングスクールやっているから、とっちゃった。あとはショップのマスターと潜っているうちに、30本もぐっちゃったよ。今度アドバンスの資格を取るのさ」

「高校は?」

翼「小型船舶操縦士の勉強中ですぅー」

なんでも素早いやつらだ。

翼「高校を卒業するまでにダイビングの指導員の資格も狙ってまぁーーす。夏休みに一ヶ月半特訓するんだって。なんと沖縄でだよ!!」

すげえー、高校出たらもうプロのダイバーじゃん。

翼「まあね(笑)」

そういって翼君が熱い珈琲をいれてくれた。

夏が近いとはいえ北の海の風は、まだ冷たいのだ。

・・・・

遠くの空があかね色に染まっている。

小樽も一番好いときだな。

 

追記

昨日の感染症のブログをアップさせたところで気になる情報があった。

京都市の発表

「・・・この危機的な状況を乗り越えるため,国に対し必要な量のワクチン供給を強く要望するとともに,2回目接種,高齢者の接種を確実に実施していくため,7月12日から7月31日までの間,全ての医療機関,集団接種会場で,65歳以上の高齢者を除き,新規,1回目接種者の予約の受付を行わないこととします」

(2021年7月5日、京都市情報館 https://www.city.kyoto.lg.jp/hokenfukushi/page/0000280084.html)

ワクチンが足りないので、一般接種を先延ばしするというわけだ。

一方で日本へのワクチン配送量は、ファイザーで既に1億回分が届き、7月以降7000万回分が届く。

他方でこれまでの日本のワクチン接種回数は4,500万回(2回接種2,250万人)である。

既に届いているファィザーワクチンだけでも過半の5,500万回が未接種である。

7月以降ファイザーワクチンだけをみても、1億7千万回、2回接種で8,500万人分(日本国民の7割近く)が確保される。

そのほかにアストラセネガのワクチンも届いている。

とてもワクチンが足りない状況ではない。

にもかかわらず、何故こんな情報が出てくるのだろうか?。

推測できるのは、感染が広がっていない地方の町村で全員接種を終えたとする情報もある。

この情報が正しければだが、町村は感染のメカニズムを理解していないことになる。

急ぐべきは感染拡大傾向にある首都圏や大阪府などである。

ちなみに昨日の京都府の感染者数は、6人。

後回しにされたのかな?。

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番外編461. 新型コロナウィルス17. 日本の感染収束時期の予測 

2021年07月05日 | analysis

 

 日本のコロナウィルスの収束時期について、現時点でのデータを用いて探ってみよう。

 

1.日本の感染者数は全国値では収束、特定の都府県では拡大傾向

 図1は、厚生労働省が毎日発表している全国の1日毎の感染者数の推移である。

 全国値でみれば下げ止まりから、僅かに拡大の兆しがみられる。拡大の兆しは東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪の緊急事態宣言が発生された地域の感染者数増加がグラフに繁栄されている。それ他の道府県は低減傾向にある。ちなみに京都府は、宣言が出された地域だが現在では低減傾向である。

 このようにみると政府・自治体やメディアが盛んに報じている第5次感染の現象は、今日時点の全国値ではみられず、むしろ先5都府県に限っての話だということがわかる。つまり地域によって感染状況が、拡大傾向と収束傾向とに現時点で二極化していることになる。

 メディアは感染拡大地域しか報道しないから、あたかも日本全国に感染が拡大するかのようなあおり報道が多い。

図1.1日単位の感染者数推移

出典:厚生労働省:新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について(20202月〜5月31日)

 

2.ワクチン接種の効果について  

 図2は、1日の感染者数推移とワクチン接種回数累積値の推移をみた2軸グラフである。感染者数の低減と逆にワクチン接種回数が増加しているから逆相関の構造であり、はたしてこの二つの指標間に関係性があるのか、についてみたのが図3の相関係数である。逆相関だから、負の相関係数が出現すればワクチン接種効果が感染者数を低減させていることになる。

 2月から半月ごとの相関係数でみてみよう。3月前半から5月前半は正の相関であるから、ワクチン接種との関係性はみられない。むしろ緊急事態宣言による自粛の方が効果が大きいのだろう。しかし5月後半以降、負の相関が続くので、このあたりからワクチン接種の効果がでてきたといえる。今後負の相関が続く事が予想され、ワクチン接種効果が次第に社会へ敷衍してゆくものとみられる。

 図2.1日単位の感染者数とワクチン接種回数の推移

出典:厚生労働省:新型コロナウイルス感染症の現在の状況と厚生労働省の対応について、20201月〜6月4日、https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00254.html Oxford Univ.Our World in Data、https://ourworldindata.org/covid-vaccinations

図3.月単位の感染者数とワクチン接種回数の相関係数

 

3.日本における社会的免疫獲得の時期はいつか?

 日本のワクチン接種回数は、6月30日時点で4,561万回である。日本の総人口は2021/04/14時点で1億2616万7千人であり、2回の接種をおこなうと、全国民の60%の2回の接種回数は1億4,800万人・回である。全国民の60%の2回接種が終わる時期を回帰分析(線形行列)で求めてみよう。

 図2.のデータを用いて、回帰分析で予測したのが図4である。2回のワクチン接種をおこない全国民の60%(社会的免疫は70%)が接種完了となる時期はいつかを回帰直線で示した。青の破線がそれである。破線中央に回帰式と決定係数R2乗値(ズレ量:値が大きいほど適切性ある)を示した。この回帰直線は過半の適切性を持っている。

 その結果、今日時点で日本の人口の社会的免疫60%に到達できる時期は、2回のワクチン接種数に換算すると、1年後の2022年8月30日頃という結果になった。

 回帰分析はこれまでのデータの推移のなかで一番説明力が高いところに直線を引く。図4をみると青の実線がワクチン接種回数累積値であり、接種開始時が2月中旬〜5月中旬までの3ヶ月が始動期の横ばい推移であり、それ以後1ヶ月半が急角度で接種が進む拡大期にはいったばかりである。そうした始動期の影響が出ているため、社会的免疫60%の時期が1年後になっている。

 現在のワクチン接種速度が、このまま急角度で維持されてゆけば60%到達時期は年内あたりに前倒しされるが、それがいつかは現時点のデータではわからない。来月あたりにそうした兆候が予測できると思われる。

 

図4.現時点での感染収束時期の予測結果

 

追記

 既に2回のワクチン接種も済み、私の頭の中でコロナ禍は終わった。コロナ禍でしていたことは京都アクアリーナに通いエアロビクスとウェイトトレーニングでダイエットをしていた。おかげて昨年夏より体重が9kg減少し、病院の血液検査の結果も体脂肪率が少し高いほかは、全ての値が標準値に戻っている。

 もう一つ外食をやめたことも大きい。先ずたっぷりのサラダなどの野菜を多く摂取し、肉を減らし植物性タンパク質の摂取に心がけた。そんな生活を続けていると、外食がいかにハイカロリー食材が多いかということに気づいた。つまり現代人は、食べ過ぎ、その結果太りすぎといえそうだ。

 飲食産業が不振だからといって、協力する意志よりも自分の体調維持の方がはるかに重要だということに気づかされたのもコロナ禍を経験してからだ。だから最近では、飲み会などに誘われると警戒心が先にくる。これで1kgは体重が増えそうだという具合に。

 感染の知識をハーバード大学のギゼックさんの本で勉強し、社会データを用いて収束時期の見通しまで得た。マスメディアの一喜一憂の無益な報道にかき回されることなく、客観的な情報から私なりの視座ができたと思われる。

 最近感染力が強いデルタ株などの報道もあり、オリンピックもあるなどの予測し得ない事態もあるから、一ヶ月後にまたアナリシスを執筆する必要がありそうだ。

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ドローイング465. 小説:小樽の翆393. 大都会の妄想

2021年07月04日 | Sensual novel

 

 人間の頭のなかが見えたら、面白いと思うけど・・・。

・・・

大都会の高層ビルの眺めの良い会議室でプレゼンテーションにつきあわされている。

席に着くときにデスクに置かれた資料を斜めに眺めれば内容が理解できるので説明はいらないのだけど、あえてプレゼンテーションしたいという無駄なことに精をだすのがリーマン社会の特徴だ。

それでも時間ギリギリに出社してきたばかりのキャリアのお姉ちゃんが、もくもくと資料の説明をはじめた。

キャリアのお姉ちゃんは、時折目線が虚空をさまよう。

アチキは、さっきまで彼氏とセックスしていたと見込んでいる。

多分ショーツに精子の残渣がにじみ出しているのを感じているのだろう。

それでしらっとプレゼンテーションをしているあたりに、大都会の白々しさを感じるけど・・・。

そう考えていたら、プレゼンテーターの説明は無視して、股間に眼がゆくは、コスチュームの上から裸体のデッサンが頭の中でできあがってゆくは、で説明など聞いちゃいない。どうせ見ればわかるじゃん。見てわかることをなんでプレゼンするかなぁー!。

ブラの形から乳房の大きさを計測し、後ろから見た左右の大臀筋が股間に向かって逆V字型に切れ込んでゆくなんざあ見応えがある。そこには男の骨盤がピタッと納まり、後ろから入れやすい!。そんな風に最悪の聴取者だ。

あやうく会議資料の裏にプレゼンテーターの裸体のデッサンを描くところだった。

なにしろビジネススーツは、女の体のボディを観察しやすくつくられている。

ファッションデザイナーの配慮とスマートに見せたいという女心が、大臀筋の形を浮き立たせてくれる。アチキにとっては退屈な会議の眼の肥やしだ。

まあ、頭のなかは見えないので、そんなことは相手にわからんのだが。

なによりもプレゼンテーターは真剣に聞いてくれていると都合の良い解釈をしてくれる。

欲望渦巻くリーマン社会だから、そんなことは日常茶飯事なのだろう。

さて、アチキのコメントを求められた。

頭は、妄想で一杯だから、まあ適当に言葉を並べて・・・。

それでも学識経験者だから、凡人では思いつかない言葉がツルツルと出てくるのがおぞましい。

なぜそんなことができるかって・・・?。

多分沢山のレフリー論文を苦労して書いているから、頭の構造が人より先を走っているのだろう。

そんな努力の違いが凡人達とアチキとを仕分けているだけだが。

さて、大都会の妄想をお土産に、午後の飛行機で小樽に帰ろう。

夜は、翆と熱く燃えようっと・・・。

・・・

夏の空気が心地よい小樽の気候だ。

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ドローイング464. 小説:小樽の翆392. 出逢いの感性

2021年07月03日 | Sensual novel

 

 さて、出逢いの感性ってものがある。

相手の評価をすれば100%ではなくても、60%で及第点だけど、まあいいか、これで。

こっちだって100%じゃないからなぁー。

でもセックスの相性はよかったぜ。

それって最良のカップルじゃん。

でっ大体現代社会は、そうした神が与えてくれたチャンスを反故にする傾向にある。

だからあとで、約束が違うじゃないということでもめるのだろう。

約束なんかした覚えはないというのが人間の意識だ。

何が欠落していたか?。

多分お互いに時めく感性の時間だろう。

感性に従って行動できる従順さと言い換えてもよいか。

そんなことは歳をとってあとから気づくことが多いけど。

あっ、この女いい感じじゃない、それで良いのではないかい。

それは素直に感じられる感性があった証拠なのだ。

だから出逢いの感性って大切。

感性は忠実に、これ!、これ!、といっているのだ。

でも、あれこれと知識や理屈をつけて大概は感性から外れてゆく。

惜しかったな。

相性が良い男と女がくっつくチャンスは数多いが、知識と理屈が邪魔をするんだ。

そんな男と女の世界を眺めながら、手元のスケッチの着彩をしている。

・・・

さて小樽も夕方になったまった。

そろそろ、翆が帰ってくる頃だろう。

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ドローイング463. 小説:小樽の翆391. 灌木のなかで青姦

2021年07月02日 | Sensual novel

 

 北海道は、梅雨がない。

翆「森へゆこう」

そんなわけで1時間ほど車を走らせて、人のいない森へ。

道があるわけではないから、こんなところまで人は来ない。

道の外れに車を止め森の中に入ってゆくと、その先に平原が広がっている。

日の光が数知れず枝をさしかわしている低い灌木の間に分け入ってゆく。

翆「きもちいい!、ここで青姦しようよ」

そらきた、そんなわけで翆が地面をネコのように転がっている。

灌木の枝を払いながら翆のウェアをはいで、じゃあ前戯もなく膣に入れてみるか。

経産婦の膣は緩いから、難なく皮膚の隙間にズルっと入ってゆく感じだ。

そこがまたいいのですね。

翆「アウッ・・・・気持ちいいですぅー・・・」

太陽の眩しい光を浴びながらのセックスに欲望や色気を感じない。

翆の膣が緩く濡れてきて、それがナメクジみたいな感触であり即物的だ。

一体いつから人間は、セックスに過剰な色気や快楽の意味付けをしたのだろうか。

自然の中でセックスをしていると、そうしていることがまるで昔からおこなわれてきたように自然に感じてくる。

翆「アアアアアアアアアア、太陽の中で不思議な感覚ーーーーー」

太陽の光が眩しい。

翆の中へ射精しても、それが生物の当たり前の営みのようだ

野生動物感覚といったらよいか。

まあ、人間の性行為はその程度の事なんだろう。

脱力した二人の体に太陽の光が暖かさをわけている

いつまでも灌木の間で、こうして入れておきたい気分だ。

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