世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
クラス会
皆が大きく素敵に見えた。
毎年一回集まるが、今年初めて、挨拶の言葉を全く考えないで行けた。 そういう自分が嬉しかった。 「先生」のしみ込んだのが幾分でも薄れたのだろう。
子供やお母さん達が「先生」だったころは見えなかった所で初めて見えたように感じたものがいくつかあって面白かった。
やっぱり、「先生」などと表札をつけていると、見えるものも見えなくなる、そういう死角ができるのだろう。
頭を空っぽにする事の大切さを改めて感じた。
生活習慣
ヒトは本人が意識する以上に生活習慣で動いているのではないだろうか?そういう点で、ヒトは周囲や環境へ合わせて行動を変えるのは元々難しいのかもしれない。
日本の政治・経済・教育・そして社会の状況を伝えるメディアも、変化についていけないでいるように見える。
日本はこの20年近くで膨大な赤字を抱えてしまったが、20年前、日本の社会は今日ほどあちこちで困難な状況だったろうか?
何事も先手先手で問題を処理していれば、少しずつでも事態は良くなるはずだが 実際はどうも逆のようだ。
あれこれ政策的なことが論議され実施されているが、ひょっとすると発想そのものが環境に遅れた生活習慣病的な内容を議論し実行してきたのではないだろうか。そうしないと今日を理解することが難しい。
目の前のニュースで、官房長官が政権支持率の急降下について、「100年い1度の世界的金融危機とねじれ国会云々。」
こういう政府の公式見解そのものが、生活習慣病的な発想からしかでない無責任な言葉。依存的な(不良少年?)の言い訳に似ている。
だから、環境の変化ををいち早く読み取る生活習慣を身に着け変化を認識し、言葉にするようにしないと、間に合わない。
脳の大きさは必ずしも学ぶ力を意味しないで、惰性と欲の大きさかもしれない。 脳は切羽詰らないと本来の力を発揮しないようだ。
チェンヂのいろいろ
世界は、ブッシュ氏と共に、舟を漕いできた。
今、[WE CAN CHANNGE]とアメリカは方向を変えだした。アメリカが動けば世界も動くからやがて日本もチェンヂを迫られるだろう。 大まかには、そういう流れで、大歓迎だが、少し詳しく見ると、そう簡単ではないようだ。
地球や世界の抱える問題を考えると、1度や2度のチェンヂで解決できるとは考えられない。恐らくオバマシ氏はチェンヂのトップランナーであり、その役割はかなり限定的にならざるを得ないがこれは止むを得ない。
私は世界が産業構造の大転換をしない限り、根本的な解決はないと考えており、今はそういう状況にはないから、オバマ氏はせいぜい、これまで産業資本主義から行過ぎた金融資本主義から、行過ぎた部分を戻すことではないかと思う。
ともかく、これまでアメリカが先頭になって走ってきたが、そのリーダーがブレーキをかけ、進路を変えようとしているのだろうと期待している。
報道などから想像すると、ヨーロッパなどかなりそれに追随し始めているようだ。
ところで、我々の住んでいる日本の動きはどうも緩慢というより、これまでの惰性を変えられず、ブレーキどころかアクセルを踏み続けている感じだ。
日本の政界・財界・メディアの論調などを見ていると、与野党関係なく政策は批判しあうほど発想的な違いはないし、いずれも、これまでのやり方が足りなかったかのように世界も地球も見ないで夫々がアクセルを更に強く踏見込もうとしている。これは「チェンヂ」ではなく「どうにも止まらない」かのようだ。
必要なのは、政権や政策集団のチェンヂではなく、どの党も踏み込んでいるアクセルから足を離し、周りを見てどっちへ行くか向かう方向を考え直さない限り、チェンヂは難しそう。
資源の乏しい貿易立国が外需の不調の上、内需拡大したらどうなる?
赤字大国として、たっぷり経験済みではなかったのか?