無限にある科学的根拠

子供の頃から【科学的!】と言うと絶対的な真理・真実であるかのようにずうっと思ってきた。
 パンダミックに対する反応の悪さを見て改めてそうではないと思った。
 科学者もメディアも、権威のある人も無い人も、それぞれ自分の思っている事が
 真理・真実であり、真理・真実は人の数ほどあるのではないか?
 一つの問題もそれを入れる視野や視座によって科学的な結果や結論は異なる。
 目に納める所は人によって異なり、答えも違う。
 唯、言えることは、小さな視座を内包したより大きな視座に納めたものがより科学的な妥当性は高いだろうと思う。
 細切れになった社会の仕組みの中で夫々の見ている所は狭くなっている。
 ちょっとしたら、この反応の悪さは、そこに起因しているかもしれない。
 当然ドジも視野の狭められた人間の一人である。
 この理屈は、科学だけでなく芸術、文化、道徳も同じだろう。
 問題は視界に収める広さではないか?  これは囲碁と同じだから、これから
 修行に行こう。ウム‥。
 
 
 
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冷静に見ていよう

WHO 新型インフル 世界的大流行(パンデミック)を宣言
 同時に「冷静に!」とのコメントも付け加えられていた。
 ここまで来ると、バタバタしてもなるようにしかならないから、結論的には成り行きに従わざるを得ない。
 世界の経済活動は生物の呼吸か脈拍のように色々な動きと1体化している。にも関わらず、ニューヨーク市場はこれに何の反応もしないどころか、5月の消費が増えたとして株価は上昇した。本当にパンデミックは関係ないのか?翌日の日本のメディアも形だけ主要ニュースとして取り上げたが、他のニュースの陰に隠れ、特にテレビはどの局も、宣言された事を伝える程度だった。
 60数億の人類の安全を考えたら(毒性は時間の問題だと考えられている。)この宣言は外国から宣戦布告以上の異常ウイルスの宣戦布告を一方的に突きつけられたようなもので、国連もWHOどころか緊急に安全保障会議を招集されてもいい。にも関わらず、厚生省は「ここで特別な措置はいらない。」との談話も出された。
 これらは冷静な対応と言うより(反応しない人間)を感じた。
 何故なら、パンデミックの警戒宣言を受けながら、先に医療体制の不備を経験したばかりなのに、その後どうなったか?、今、対応する医療体制が整ったのかどうかのチェックもしない。
 経済もそうだが、反省するどころか次の危機を大きくしてそれを招くような事ばかりやっていないか?
 「パニックにならないように!(落ち着け!)」の言葉とかけ離れたこの現実に余計に怖さを感じる。
  成るようにしか成らないし、成るように成るのが自然だから、慌てず成り行きを見ていよう。
 
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