これですっきり

仏教は性善説、キリスト教は性悪説と分類される事があるが、出来ればまとめたい。
   
地球人= 間違いを余儀なくされ、それも合わせて理にかなった存在(善人)

     なんて言うのはどうだろう?

             生まれたての純粋無垢な赤ちゃんも
              その世に生まれた以上、その中で生きる。  
       その世に間違いがある限り、間違いの中で生きるしかない。
       だから、生まれながらに間違いは避けられない。
      しかし、地球も人も自然(理)そのものだから、上記のようにまとめると、すっきりした。
 (善・悪の二元論のままでは、人間観として整理されているとは言えない。宗教が対立する)
   
  
      
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見ーつけた!

子供の頃、(かくれんぼ)していて、隠れるのが上手い子や、見つけるのが上手い子がいた。
下手な子もいた。中にはさっさと諦めてしまう子もいるから、見つかってあげたり、鬼ごっこならわざと捕まってあげたりもする。
 「見ーつけた!」あの嬉しそうな声や捕まえた時の感触がいい。
 あの感覚だよ。あれがいつのまにか無くなっていないか?
 別に同じ事をしなくても良いけど、(探して見つける。)あの感覚は全ての生命体の生命維持になくてはならない感覚ではないのか?
 我々、その辺が怪しくなっているような気がする。
 
 
 
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虫やスズメが驚かないか?

地球の温暖化を防ぎたいのなら、その原因の経済成長路線を止めマイナス成長路線に積極的に転換すれば良いだけではないか?
 現在、産業構造の転換が至上命題だろうに、基本的な発想の転換すらせず従来の形で経済成長路線をとりながら、温暖化対策を論議している事自体、矛盾していないか?
実際、過去の約束は実行することなくリーダーシップを取るかのような主張を展開し論争を繰り返している。
 問題は温暖化をどれだけ本気で考えているかが問われているだけである。
 自分達の生命や存在を脅かすと考えるなら、経済は生きるためにあるのだから
 そこを変えれば良いのであって、他人<他国)のことをあれこれ言う前に己<自国)に問うはずである。自分の事としてどれだけ考えているだろう?
 どうも世界の国々がそうはなっていないように見える。
 新インフルエンザに対しても同様で、ほとぼりがさめると視界から消え、「経済だ、選挙だ、防衛だ。」に走る。
 これも世界的な事のようだ。
 
 要するに世界中が安全に対して鈍くなりまともに反応していない。
  
目の前の草花や虫やスズメを見てみたら?
      
 鉢植えや水槽のメダカだっていいから、見てみたら?
 
 
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