愛国心と人類愛



      時代の変化の速さについて行くのが難しいのは 自分だけだろうか?

  時代のグローバル化の動きと変化について行けないのは 国々の経済や政治など 全体的にではないだろうか。

  人類愛が求められる時代に 愛国心を求める声が沸きるのは 皮肉かもしれない。

   ある意味では 人類愛も愛国心は別のものではなく 人の自然な本性に関わる重要な価値だが 「場」」とする所は違う。

    人類愛を感じさせる政治家が なかなか出て来ない。政治家だけでもないけれど…


   

  

  

  


    
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「まさか!」を宿す




EUのマイナス金利の効き具合と「サーカス」のようなアメリカ大統領選には 世界の経済縮小の速さを印象づけられる。

   (想像する)日本のの敗戦の1年ぐらい前と現在とが イメージ的に重なって思い浮かぶ。
   
 原爆投下・東京大空襲・沖縄戦… 1年前に戦争を止めて居れば あの犠牲は出さずに済んだ。

  昭和20年8月の敗戦、福島原発事故、ソ連崩壊、日本やアメリカの突然のバブル崩壊、黒人大統領、 …  何れも「まさか」の出来事だった。

  政府やマスコミからの情報と現状との 想像を越えた隔たりは 一般国民は勿論 政治家も有識者も 状況判断が出来ずにいた ことを意味している。

   世界が「経済戦争」の感を強める現状と 伝えられる情報との隔たりは  現在も多くの「まさか」を宿していると考えるのは 

歴史的に見て ごく普通なこと。

   


   
      
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )