エリートの資質は何か



     社会の中で育ち生活せざるを得ない人間は 「自然を前提に社会や個人が存在している」ことの知識を得たからと言って     

        簡単に自然への感覚を身に付け 自然を前提に判断し行動出来るものではない。 

            この認識を血肉化させて初めて能力として機能する。 それは水泳や自転車の練習と同じだろう。

         また能力は学力テストや偏差値で測ることは出来ない。
         
          人間がまともに発達・成長し 幸福を求めるなら 幼児から生涯 持続的な自然との関わりが求められる。

          社会のエリートはこの力を備えていなければならないはずだが 実際はそうはなっていないようっだ。

         自然と付き合い エリートコースを歩むのは 難しのか (テレビを見ていても)エリートらしい人から 自然感覚を感じることはほとんどない。

         資質を持たないエリートによって 今日の行き詰まりと混乱を招いているとしても なんの不思議もない。

          知識と知性の違いもここにあり 知性は測れない。
        


           
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最大の問題パート1




人は誰も 自然である地球上で 自然の生物として生まれた事実を 知らないで生まれる。

     果たして この事実は何時どこで教わっただろう?

   

    私は 親や学校で教わった経験は無かったのか覚えていない。

      大学でも 教員になってからも教科書や指導要領でも指導内容として見た事が無いし それを目標に意識して指導したことは無い。

     この事実を言葉に出来たのは退職15年後の今朝だった。

     他の人は同なんだろう? 外国ではどうなっているんだろう?

     多分、自分とあまり違いは無いのではないかと思う。

     全ての人間活動の前提として重要ではないだろうか。

      特に経済活動や人の発達に直接関係する教育では 最重要な条件だと思う。
   
    経済や教育が行き詰まっている最大の問題は 教育されないで来た人間の内外の自然に対する認識や感覚の欠如が 最大の原因だと

     思う。

   
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霊長類の弱点




① 地球(の自然)あって はじめて人間や社会が存在する。

  ②人間は自然の生物。

      社会生活を営む人間は本能のままには生きられないから 上記の2つは 全ての人間活動の前提としてを学ばなければならない。
    
        現在 どこで学び どこで教育されているだろう。

      小中学校のカリキュラムに それは無い。現実は基礎教育として 自然の法理は取り上げられておらず学習しておらずそのことを認識し

       能力として 用いるのは難しくなっているのではないか。昼夜構わずの過重な残業や子供の過重な勉強は  人間が生物でないかのようだ。

   
      かつては常識として前提を学ぶ場が常識として与えられていた。 現代化 都市化の中で 基礎基本の学習をしてこなかったことが 今日の行き詰まりと関係は無いのか?

     この事は日本だけではないようだ。  

      国家のグローバル化よりさらに人類が自然との関係を認識し調整するのは遅れるだろうと思う。

       これをクリアしない限り世界は晴れないだろう。

       人間は当たり前のことに気付くのが最も遅いようだ。 これが「霊長類」の弱点だろか。

     

      

     
 
     
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