余力のあるうちに




特に日本は産業構造の見直しと農業への転換が求められているのだが 轉換への余力は 何時までも残ってはいない。

    余力を無くしては轉換への方向転換を図ろうとしても難しい。

     トランプ現象の間接的に伝えた宿題は この事だと考えている。

      今は 政府もマスコミも国民も ソッポを向いている。
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  国家運営の調整力




国家運営の調整力は国によって違うだろうが 日本は どうなんだろう?

    アメリカの連邦制や三権分立は 日本の中央集権的な縦割り体制とはかなり違うようだ。 

     歴史や国情が異なるから簡単に是非は問えないが 世界がグローバルに動きだしている今日 国調整力は 国家運営の重要な土台になる。


      単なる感覚だが トランプ現象を見ても アメリカの国家運営の調整力により高さ(幅広さ)を感じる。

      アジアは別にして欧米先進国の中でも日本の国の調整力は高いとは言えないようで「思う一念 岩をも通す」のよく言えば几帳面さ 信念の強さ 


悪く言えば自己中心的な頑固さを感じる。 

       グローバルに変化する時代にあっては よほど目配りしないと 国際的に難しいことになる。 偏差値学力では 時代的に難しいかもしれない。

       ついでに補足すると ある教育学者は 外国には「学力」に当たる概念の言葉が無いと言う。
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北方領土




    日本では「北方領土」のことが連日取り上げられている。

       結果的に来月どうなるか分からないが、歴史的には単なる商取引ではないだろうか と思う。

       双方が それぞれ国益をはかろうとしているが 国益に適ったかどうかは 歴史な長いスパンで見ないと判断できないだろうと思う。

       「良かった❕良かった! 「参った!参った!」の話ではないが… その辺があやしい。
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