60年先を楽しみに日々好日を探す

このパンデミックを全人類的な文明病とするなら 社会のあらゆることが
  その意味が問われる。
 その是非は客観的なコロナの趨勢が教えてくれる。
 その論法で現状を測ると 止むことなく 不適さが露わになる。 
 人の動きを止めるのは現状の人間活動を止めることであり 否定している。
 
  否定しているのは現状の活動であって本来の動きを否定している物ではなく 新たに求められているとも言える。
  その求めに意識的に答えようとしているようには見えないが 時間はかかるが試行錯誤的に 探し当てるだろうと期待している。 「失敗は成功のもと」がやっと始まった。  60年先を楽しみに日々好日を探そう。

 
    
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60年先を楽しみに日々好日を探す

このパンデミックを全人類的な文明病とするなら 社会のあらゆることが
  その意味が問われる。
 その是非は客観的なコロナの趨勢が教えてくれる。
 その論法で現状を測ると 止むことなく 不適さが露わになる。 
 人の動きを止めるのは現状の人間活動を止めることであり 否定している。
 
  否定しているのは現状の活動であって本来の動きを否定している物ではなく 新たに求められているとも言える。
  その求めに意識的に答えようとしているようには見えないが 時間はかかるが試行錯誤的に 探し当てるだろうと期待している。 「失敗は成功のもと」がやっと始まった。  60年先を楽しみに日々好日を探す。

 
    
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時間のかけ過ぎ


  今回のパンデミックを人類がどう捉えるか? は大事だろうが
  納得できないことが 多い。

 全人類的な文明病 と理解してはどうだろう。
 今 日本は 一時的な流行病の感染拡大を抑え 犠牲者を少なくしようとしている。
 この程度の認識だから対策としても不十分なものになってしまう。
 例えば 外出を減らし3蜜を強調するが、テレビでは 一日中コマーシャルや娯楽番組で 外出や買い物 飲み食べ歩き  オシャレやお化粧 旅等消費を煽っている。 片方ではステイホームどころか 出て歩きたくなるのを煽ってる。

  コマーシャルが日本の経済にとって 放送局の経営に重要ではあるが
  その事とパンデミックを抑える事のどちらをとるか の選択が社会は求められている。

  だから パンデミックは 人類の価値観や文明を問うていることになる。
  それに答えないでは 感染拡大の収束も難しく まして将来の人間活動も展せずして最終的な収束は無理だろう。
  今のところ 関心は前半のところに集中しているが 後半との同時進行が
  必要なはずだ。
  自然と人の関係を逆転している人間の限界なのだろうか。世界も日本も時間をかけ過ぎている。


  
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