曖昧な政策の検証

「日本 1億総活躍」はスローガンだが
 経済社会の実感は「日本 一億総崩れ」であってもおかしくない。
政治の諸政策の検証を曖昧にしていては実態は判明せず 結果を目にするのは幾年後の事か? と考えている。社会を科学していない。  
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議論のあり様

現代社会において 人類の安全は政治形態や地球との関係で論じられるべきだろう。
 安全は主観に依らず 客観的な事物の関係によって保障されることを考えると
  定義のはっきりしない曖昧なイデオロギーを優先した議論には空中戦のような危うさを感じる。
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エール

ドイツの前衛芸術家であるヨーゼフ・ボイス筆跡の「来るべき地球の姿」展 が東京芸術大学美術館で催されていると言う。
「どんな人間も社会と言う彫刻に加わる彫刻家なのです」1084年に来日した際の講演での言葉。
あれから36年後の現在 私たちは地球をどう彫っているんだろう。
 彼は彫刻の規模を説き 地球と人の主客の関係には触れなかったが、現代社会への大きなエールである。

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「民主主義」への疑問

民主主義は近代史思想の到達点のように考えて来たが、近頃の実際の世界の変化や動きを見ると、「民主主義」に違和感を感じるようになって来た。
 社会的な理念や法よりも「自然の法」に合理性を強く感じる。「民主主義」の名で弱肉強食が正当化されたり 選挙の投票が マスコミの支配や 直前のルール変更によって左右されては 前提になる「民」の理念が問われることになる。
 
  
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パレスチナへの思い

 世界にまたがる難民の中でもパレスチナの難民には特別な思いがある。
  今の国際関係では解決の糸口すら見つからないが、これも地球上の出来事だから、長い目で見れば良い方向へ向かうとは思うが複雑だ。
 このような犠牲者を出しながら進化する人類や民主主義って何だろうと 自分を含め つい思ってしまう。

 
  
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