世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
先ずは言葉の整理を
「自由」や「民主主義」の国際的な意味はどうなっているんだろう?
一般的には個人の自由を尊重する意味でつかわれるが、他の国家に対しても同じような意味でつかわれるとしたら、他の国家がどんな社会体制を選ぼうとそれを尊重するすることになる。民主主義と専制主義を対峙させ他国の選択を否定するのは論理的に一般的な意味合いとは異なる。
世界が融和するにはその辺の概念の理念の食い違いを整理することが先ずもって必要では無いのか。一市民の常識的な発想ではあるが。
一日一つは
何となくではあるが
一日に一つは世の中の明るい変化や希望が具体的に見つけられそうな気がして来た。
半年前は 5~60年先の話で、生きてる間は無理だと思っていたが‥明日はどんな❣❣
まずまず好い時間
今は 何をやってる時も ほぼ自分と向き合い全てが繋がり 良い時間が過ごせているような気がしている。
朝の散歩時の周囲と社会が溶け込むように繋がって見える景色が 特に好い。暗い世相も明るく見える。
一般市民の政治的立場
今政治にも最も必要な人材は社会的感覚は専門家によって汚染されていない生活感を持った一般市民ではないだろうか。
専門知識だけでは社会も生活も成り立たない。社会の行き詰まりは社会の全体的認識を欠いた専門家の言説の押し付けが 原因していないだろうか。
マスコミが多用し過ぎるのはマスコミの責任回避のためか。
支配体制の限界
政治権力によって社会が作られるとしたら 社会の出来具合は権力者の仮説の正しさを検証する直接的な材料になる。
目の前にしている世界の行き詰まりは これまでの基本的な仮説の誤りを明かしてる。
世界の現状は 富と武力によって支配する社会が 権力をも維持持続できないことを天下に知らしめてはいないか。教訓を引き出しているだろうか?
間違った教訓を引き出しているとしたら 何故だ?
新旧の狭間
民族を異にする人類は 何時の頃からか 富と武力によって権力を得 他を 相対的な力の差で支配・被支配の関係を生み、続いて来た。
現在はその関係の持続不可能性が表面化し行き詰まっている。
自然の摂理か人為によって新たな持続可能な関係を生み出すことになる。
今は、その新旧の狭間にあり、私たちは新旧のどちらの地点に立つかが問われてるが、今の国際関係にそれを見ることは出来ない。
喧嘩で力付く?
他の生き物は 「人って内輪の喧嘩が好きな生き物だなあ」と思っているだろうな。
あっちへ行ってもこっちへ来ても争いが絶えない。争わない人は珍しがられてる。「争って力が出る」という人もいるが、潰れる人や国が多いんじゃないか。調べて見ないと分からないが、喧嘩で力を付ける人もいるけれど力が尽きる人もいる。どっちが多いかは見れば分る。競争社会の限界か。
アフリカ等へのエール
連日ウクライナの戦況が伝えられるが 個人的にはずーっとアフリカの人々の暮らしを気にしている。5輪の中で唯一オリンピックが開かれていない 開かれていないと言うより、開く経済的な力が無いことを意味している。
世界は、己の利益のために アフリカを食い物にしても貧困は放置して来た。
アフリカなど貧困国に付いては情報すら不足し世界と共有出来ないでいる。
世界的な戦時下で アフリカなど極一部ではあるが 貧困国が注目され始めた事もあり、貧困国が新たな時代の要請に答えて力を蓄え やがて発揮するだろうことを願っている。
今しばらくは この調子で
あの世の天国を色々想像し、良いかなと思うけど、 臭いや体温が無く ちょっと物足りないか。
この世は コロナやウクライナがあっても 生々しいものがいっぱいあって 私にとっては天国以上に良い❣ でも あの世はお金無しに飲み食いできるし
まあ どっちでも良いけど 今暫くはこの調子で行こう‥
時代転換期における明暗
ウクライナ紛争そのものも古い時代の産物であり、報道も前時代的に扱われ世相は暗い。
時代転換期においては、 自ずと古きは廃れ新しいものが増えるのだが、古きに拘っては 時代から取り残され 苦杯を浴びかねない状況。
新たな時代から展望すると明暗は逆転するが、今は旧式の発想や行動 社会的活動が多過ぎ 危うさを伴うものが多いから一段と気を付けた方が良い そんな時代。