「反省」を忘れてしまったマスコミ

自分のことを棚に上げて言うのだが、

マスコミの見識と良心を問う。
これまで取り上げた社説やニュースの予測結果が事実と違っていても、釈明したのを見た事が無い。

権力や社会的公器の無謬主義と言えようか。多くの世人が間違った情報であっても戦前のように それに従うことを良い事にしてはいないか。ここまで来ているにも関わらずである。

 

 

 

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事実と情報の乖離の表面化

西側政府や世論は プーチンやロシアが無くなるか悔い改めるかすれば世界は平和になる かのようだが、そのような展開にはならないだろうと思う。

世界は一部の論理では進まず、世界全体の論理で進む。今後陣営と世界の論理の乖離が表面化して来るだろう。本来はマスコミなどの情報媒体の仕事なのだが。明らかに視座が違ってる。 

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市民の役割

人が何に価値を置き何を信じるかは大事な事だし、簡単に変えられるものではないが 立場の違う多くの人が共生せざるを得ない現代社会においては 共有するものの確認は常に求められ必要だが、それが為されていない。

その作法を早く身に付けたいものだが、過去の産物である権力者や権威筋には難しいことかもしれない。

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どっちへ向かう?

多くの人や組織が屈する権威や権力も 自然には勝てず屈する。

この関係を人や組織が意識することなく判断し行動すればどうなるか。

現在のように行き詰まるのは当然の理。

人や組織は 今後 「明るい 道」と「暗い道」の どっちを選ぶんだろう‥

 

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社会的基礎学力

物事は視野の広さによって意味や価値が変わるが、各界で政治が論じられている現在、視野の確認をして論じられているんだろうか、聞いている限りバラバラの視野と視点が入り乱れ 噛み合った議論をなかなか思いだせず、知的な議論とは言い難い。この辺の調整はどこでどう成されるだろう。行き詰まっている現在、仕切りのところからやらないと始まらない。権威に依る盲人が多過ぎ不便を来しているのだから、社会は知的な水準を上げるべく急いで基礎的学力をつけ直した方が良い。結局は教育か‥

 

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事実の確認

誰もが現状をもっと良くしたいと願っている。

「良く」のところで立場や考えが変わり正誤の判断は難しい。

端的に言うと

問題を明るみに出し視座を確認して、より広い視座を基に事実やや現状を検証し判断すれば、今ほど 判断がバラつくことはないだろうと思う。

元々 人が共有出来ないものを「事実」とは言わないのだから。

 

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暗い

マスコミは侵略者の非人道的な戦闘と それと戦う勇士を喧伝している。

果たして 正当防衛の旗を掲げない国家の戦争は 過去にあっただろうか。

「侵略者」は立場によってその度命名され侵略者の基準は無く、

正当防衛と侵略を区別することは出来ない。

結局 武力を用いた外交の問題解決法を是とするか非とするかに掛かっているが、ウクライナ紛争では その観点がどこからも提起されない。

各国政府もマスコミも 戦争の起きる事を前提に事を運んでいる。

今は そんな呑気な時代だろうか、地球はもつのか?

 

 

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