目的に対して主体の距離

スケジュールをこなすのはミュージカルの第1幕。第2幕は目的のためにはどうしたら距離が詰められ伝えたい大元が伝えられるかが問われてる。伝わらないければミュージカルにならない。  第2幕は噛み合い始める段階。内容と順序・方法が問われる。                      ここでじっくり時間をかけても智恵の結集を! 

ドジはここで決まると思っているようだ。

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ミュージカル パートY

よく見ないと見えないが、アジアのはずれの小さな島の真ん中辺の日野市とか言うところで【ミュージカル市長選挙】が始まったようだ。
 ズーとズームアップすると、午後3時から3駅近くを練り歩くらしい。
 例のドジドジは朝から張り切ってどんな格好で歩くか、楽しそうに考えている。
 午後から娘と映画に行くと言うドジ妻にご相談などしている。
 ドジ妻はみんながつけるゼッケンの用意をして持って行ったら?という。
 ドジは更に考えた。形はともかく、書く言葉は何がいいか?‥
 そうだ! プラカードなら、前は(げんき?)うしろは(不登校児・障害児が
急増中)
 前は子供向け、後ろは大人向けだが大人は見落とすと大変なはず。子供がいようといなかろうと、保守であろうと革新であろうと、≪ほっとけない!≫はずである。
これなら周囲の人と、ドジたちのは距離が縮められるに違いない。

  少し勇んで確認すると、今日はデモの届け出をしていないから、難しいらしい。そりゃーそうだ、そんなとこまで手が回らないのは当たり前カも知れない。
 そこから先が面白い、(とりあえず、画用紙でゼッケンの用意をして、近くのおまわりさんに確かめて、つけるかどうかを考えたら良い。おまわりさんがセンターに確認して判断の迷いそうなゼッケン。ゼッケンが全部悪いはずはない。サッカーの練習チームの子供が困るはずだし、野球チームのおじさんんも町を歩けなくなる。どんなゼッケン?どんな言葉?‥
  やっぱり、ドジドジはミュージカルが好きなようだ。
 いそいそと、近くのイナゲ屋に出かけて行った。
   
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ついうっかりの研究

(ついうっかり)ば失敗した時に良く使う。
 しかし、それは俗説?
 生き物は良い状態のもとでは必ず自発的で、積極的な行動が出てくる。
 (探索行動)の言葉もある。子育てや教育、とりわけ自閉症や発達障害と言われる子どもとの付き合いではこの視点や感覚をなくしては殆どうまくいかない。
 しかしこれは子どのことだけではない。どんな成人も、どんな学者や専門家も、
 自閉症を論ずるお医者さんも、同じだろう。 間違いなく生き物なんだから。
 世間話も、選挙の話も基本は同じ。ついうっかり同士でないと、その人間関係そのものが意味がない。
 だからドジドジを誇りにし、惚れ込んでいる。 赤塚さんも言った。それでいいのだ!


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ミュージカル パートX

今朝、年とったあるドジが市長選挙の応援だと言って最寄の駅頭に立って窪田さんのビラ配りをしていた。 1時間近く立っていて、通行人は100人に一人、全部で4~5枚も受け取っていただろうか?ほとんどわき目も振らず通り過ぎる。 ミュージカル的に見るとそれはどうでもいいことで、あの駅頭のあの空間の意味は何だろう?  通るヒトと、配るヒトの心の距離の何と離れてる事か? よく見ると、配ってるビラの中身ややマイクを持って話してる中身も離れ離れでバラバラである。通行人がバラバラなのは言うまでもない。あの空間で動く全てがバラバラにあってバラバラに動いてる。 何て言うミューザカルだろう?    道行くヒトは、出てきた家のこと、これから行く職場や学校の事で頭が一杯カも知れない。政治に不信感を持っているからかもしれないし、支持している人が違うからかもしれない、単なるいつもの癖になった動きかもしれない。 この朝っぱらから町の事を考えてる余裕など殆ど無い。 そこでドジはどこを見てどう動けばいいか考えて動いた。結局道行くヒトをしっかり見ることだけだと分ったようだ。 すると、頭の中の想像が広がり見た目には動きは変わらないけど、頭の中は配るヒトと通行人が繋がり始めた。 例えば、急いでいるヒトが来ると、ビラまくヒトは黙って早めに1歩下がって道を空ける。 ビラをまくヒトが(大変だね)と気遣って一歩下がると、どうしたの?と脇目で見るヒトも出てくる。何だかダンスのよう。  それはともかく、通行人と駅頭宣伝するヒトの心の距離が遠すぎる。 これは対立する現市長さんの方の駅頭宣伝もそれほどかわらないだろう。何故なら、過去2回の選挙は10パーセント程で大した差はなかったのだから。  問題はどちらの候補者にとっても、住んでいる町のことに振り向く余裕のない圧倒的な市民が住んでいる町だという事である。 本当に町のことを考えるなら、両候補者は勝ち負けを考える前に、どうしたら市民が自分の住んでる町のことに目を向けられるかを考えることだし、選挙運動の基本の基本はそれかもしれない。 これまでの選挙は保守対革新のような構図で選挙が争われてきた。結果今日の社会や地域になった。政治文化はどうなのか? 両者が基本を忘れ、悪い癖をつけて《ついて》いないか?  ほとんど無視されるかのような動きの中で、ただ一人、「おはようございます。」と挨拶された中学生のような女の子がいた。通ったヒトの中でただ一人ユニークな動きだ。ドジは挨拶を交わしてやり過ごした後、見ると遮断機が下りてそこで電車の通過を待っている。急いで駆け寄り、「七生中?通ったヒトの中で1番礼儀正しかったよ。」と持っていたビラを丸めて肩を叩いて言うと、中学生ではなかったようだがにっこり笑顔を返した。かけた言葉が良いかどうかはかどうかは分らないが、最大限の気持ちを伝えたかったのだろう。 立っていた場所に戻って考えた。彼女はランドセルを一方の肩に引っ掛けていたけど、ランドセルなんだから中学生であるはずがない。飛びぬけて背の高い小学生だ。 彼女は珍しく挨拶したけど、ヒトはすれ違った時《町のど真ん中とか場所にもよるが)ビラの受け取りとは別に会釈するぐらいは普通かもしれない。海外旅行や山へ行った時のことを思い出していた。  通行人のあのひたすらうつむき加減に歩く姿は自分の映し鏡に見えてきた。 どうしたらつい脇見?を、どうしたらつい会釈を‥   ドジには現役時代特に自閉症の子供と付き合った頃の事と目の前のことが重なって見えた。  ふと顔を上げると目の前でいつものスズメ達は俯かないで、パタパタぴーぴー跳ね回る。  ミュージカルも良い線行ってるぞ!さー第2幕の準備をしなくちゃ ね!   
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それは変

あそこでも変なことをやっている。

そこは日本。
西松建設から小沢代表の政治団体に対する政治資金がどうのと検察が入っている。
 この類の話は、子供の頃から絶えない感じ。
小沢氏も以前は与党幹部だからあってもおかしくない。
 ところで献金する方は、自分の商売を有利に取り計らってもらおうとしてやっている事への検察の目の付け所は合っているだろう。
だが、献金する方は政権を持たない野党より権力を持った与党にはるかに大きな保険をかけるのは、時代劇を見るまでもない。
 そんな大きな構図が検察には見えないのかなー?
 与党関係者は返金で済ませ、調べが入らない、どうした?
物には順序があるだろうに、仕組みの中で判断できなくなっているようだ。
 
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そこはスズメの学校

スズメが面白い。
1年も前は道を人が通っても、どこかのドアのしまる音がしても、すぐさま一斉に飛び立った。
 最近は、道で立ち話をしていても、車が通っても、夏みかんの木に隠れる程度で遠くへ飛び立たない。
 以前は家の中の人の動きの影をガラス越しに見て逃げていたが、今日なんか、家の中からおじいさんが出て来てもご挨拶程度に夏みかんの木に隠れるぐらい。
 家に入ると、待ってましたとばかりに降りてきて、コシヒカリを食べている。
 スズメが学習している。そこはスズメの学校か?
 ヒトの学校は学習しに来た小さなヒトが逃げよる。怖いから逃げるのは良いが、
 大きいヒトは怖いのを放ったらかして、大食いし、馬鹿笑いし、ハデハデやっている。
   ヒトもスズメの学校へ入れてもらうといい。
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市長選ミュージカル(パート?)

今日午後、1ヵ月後の市長選挙で現職の馬場氏に対抗する形で立候補した窪田さんを応援する、昔同僚だった教員の集まりがあって行って来た。懐かしく満たされると同時に、現在の自分の社会的な責任と役割の思いを新たにした。
 何よりも、立候補された窪田さんの話が良かった。仕事や経験してきたものはかなり違うのに、思いは殆ど重なった。
重なったと言うより、
 (自分の生き様を褒めている私だが)私より若いのに彼は凄いと率直に思った。
 そうだ!これが期待していた【市長選挙ミュージカル】の感じだ。いつの間にか自分もミュージカルをやっている。
自信満々に「それでいいのだ!」の声が聞こえてきそう。
 
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市長選ミュージカル(パート?)

今日午後、1ヵ月後の市長選挙で現職の馬場氏に対抗する形で立候補した窪田さんを応援する、昔同僚だった教員の集まりがあって行って来た。懐かしく満たされると同時に、現在の自分の社会的な責任と役割の思いを新たにした。
 何よりも、立候補された窪田さんの話が良かった。仕事や経験してきたものはかなり違うのに、思いは殆ど重なった。
重なったと言うより、
 (自分の生き様を褒めている私だが)私より若いのに彼は凄いと率直に思った。
 そうだ!これが期待していた【市長選挙ミュージカル】の感じだ。いつの間にか自分もミュージカルをやっている。
自信満々に「それでいいのだ!」の声が聞こえてきそう。
 
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「底堅く力強く成長している」

「いざなぎ以来の好景気、底堅く力強く成長している。」
これは1昨年日本政府の公式な見解として、メディアを通じて繰り返し広く国民に伝えられた言葉である。
 その当時、G7でも同様の内容が共同声明として世界にアピールされた。
 その時既に100年1度の世界不況の実態は深く進行していた。
今担当大臣は率直に「予想していなかった事態」と明言する。ハプニングで済むだろうか?
 政治やメデアの責任って何だろう?
 その責任を口にするヒトは誰もいない。
 情報の間違いは過去のものではなく今も、景気対策と称して行っている施策は間違っていないか?正当性の保障はない。むしろ過去の日本の経験や、海外の経験、(私なりの)常識からすれば、現状認識や今後の予想は正反対に進むだろうと考えられる。
 
膨大なお金をかけて景気対策?をしているが、景気対策は情報の如何が重要だろう。今急いでやるべきこと事実に符合した情報管理かもしれない。
 
 
 

 
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俯瞰の始め

今日、あるヒトと世間話の中で、(日野市が出したデーターを見ると日野市は不登校や障害を持つ子供の増え方が大きいようだよ)と話したら、【相模原市と日野市は前の革新市政で、そういうヒトが集まってきたんだ。」と持っている情報を話してくれた。
 これだけ認識の違う人達が一緒に暮らしているんだと改めて思った。
 自分の認識との距離の大きさを感じたので、納得したように頷いて聞いた。
 何時の日か、この話題でお互いにもう少し俯瞰できればいいなと思う。
 少なくても、認識に大きな隔たりがあることが分った。違いを否定しては俯瞰の作業は始まらない。
 今日の世間話《俯瞰》のままで良いとは思わないが、
物事の基本のような気がした。
 こんなことを考えながら、空を見上げると、頭上を黒っぽい雲が覆っていた。
 雲間から、白い光が見えた。いつか飛行機で雲の上を飛んだ時の雲の白さが浮かび、見てる雲に分厚い立体感を感じた。すると、道行くヒトも一軒の住宅も写真屋さんも分厚いものを感じて見えた。
俯瞰の練習はスケッチに似ているのかもしれない。《絵のことはよく分らないが》
 見え方が面白い!
 
 
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