民主主義や秘密どころの話ではない

 

       世界も日本も子どもたちにとっては (民主主義の危機)どころの話ではないだろう。

   大人は 民主主義の旗を振りながら、元に戻せないほど大地を壊し 無断で返せなくなったツケを残し、子どもの安全をも脅かされ続けてていると言うのに

   大人は誰もそれを見ようともせず   口を閉ざしている。 

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 特異な動き   


       【秘密法案参院で強行可決 民主主義の否定】は 12・6の東京新聞朝刊は1面トップの大見出しである。

   これから他紙の取り上げ方を図書館へ行って見てくるつもりだがテレビは この件に全く触れない局をはじめNHKを含めおおむね(国会内における与野党の激突)のような形で軽く触れる程度である。

 長年、教育現場に携わってきた者として 困った事だと思いながらも 新聞の1部であっても「やっと(民主主義の否定)に警鐘をならす時代が来た」と心のどこかにホッとしている自分がいるのも事実である。

経済の行き詰まりは世界共通だが 動きの特異さは際立ち 自ら孤立化へ向かっているかのようだ。

       

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今さら

 

   連日、機密保護法案を主要な問題として政治やマスコミを舞台に論ぜられている。この法案に組するものではないが(率直なところ)「今さら」と言いたい。

   長く現場で教育公務員の経験を通して「大人社会の現状は 子どもの事がほとんど分かっていない」ことを何よりも知らされた。

   それは公務員の守秘義務などとは関係なく、世の中に出回る教育に関係する学校や子供たちの実態とかけはなれたマスコミ情報が教育行政や保護者を含めた多くの市民を動かしている事実を嫌と言うほど見・聞きしてきたからである。

  子どもの情報は子供から発せられるのだが、どれだけの人が子どもから直接情報を得ようとしてきたか。子どもの悲鳴に誰が耳を傾けてきたか?

 子供の悲鳴に耳も貸さず蓋をしておいて、「機密保護法」を進めたりもの言わぬ人は言うに及ばないが今さら「反対」とのたまうのも、褒められた話ではない。

   

    

 

    

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   所かまわず狭くて浅い話題

「それが 自然」と言いういい方の「自然」はある枠内で用いられる(正しい)以上の(本来)とか(真実)に通ずる普遍性を感じる。

 同様に「違和感」は漠然としているが(間違い)以上の深さをかんじる。

 学力テストや政治の論議は 狭くて浅い後者のレベルの話に思えてならない。

 世界は議論されてるような狭い空間の関わりで動くものなどあるのかなー。 目先の事は 話題としては良いかも知れないけれど、(本来)や(真実)を求める話とは区別しないと,訳がわからなくなるならないか。

 

  

  

 

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  他人の話をよく聞けるといいのだが

 

  古代遺跡の検証を現在の国家的な立場にとらわれないでする事の大切さを日韓双方の歴史学者が延べているのをNHKが伝えていた。

   その意義の説明に幾度も(世界のグローバル化)の言葉を用いていた。

   きっとその学者は従来やって来た一つの遺跡(事実)を1方向から検証するのではなく、地域やグローバルに検証する事の大切さを伝えたかったのだろうと聞いていた。

   古代遺跡に関わらず、それは近現代史の出来事や時事問題も同じだろうし 政策決定などの今後を想定する場合も同じではないかと思う。 

  一方的な見方や解釈は従来の考古学や歴史学だけでなく現在の政治や経済の検証においても同じようだ。

   広く視座をとって無数の彼我の関係で物事を捉えようとすれば、 対話では否が応でも他人の話を傾聴しなければならない。

   自分を含めそんな人がどれだけいるだろう?

    残りもあまりないが、少しでもそんな人に近づけたらいいと思う。

 

 

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  見守ろう

 

     幸せを求める2人が協力すれば幸せになる可能性はあるが 二人が力を競い争っていては二人とも幸せになるのは難しいだろう。

    それは地上の70億の人間の願いも同じで、現在のように弱肉強食とまで言われる競争社会にあっては 世界全体が平和で繁栄するのはより難しいことになる。

それどころか、地球環境を破壊し、自らの存否すら危うくしているのが現実。

    次代の準備の整わない現在は 混迷し時代末期の退廃的な文化(政治・経済・教育・文化)が 支配し世相をなしているようだ。

   しかし、次代の準備は整ってはおらず理念や生み出す力も弱いが 確実に新しい小さな芽は吹きだし育ってはいるようだから、静かに見守りたい。

    

   

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 心もとない幸福観 

 

    地上にいる70億の誰一人として 幸せを願わない者はいない。 しかし、どれだけの人がそれを実感しているだろう?

  「他人の不幸は蜜の味」とも言われるが、実際目の前で 他人の不幸を見て喜ぶ人がいるだろうか。

   弱肉強食の競争社会の仕組みは 「他人の不幸は蜜の味」を正当化して成り立っているかのようだ。

      個人的にどれだけ幸福になる事を願っても この仕組みにあっては 実現しにくい。

 

   

 

   

 

 

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 今や教育は(社会の安全管理)の問題

 

    現在政府や地方の教育行政は(学力)や(道徳)の強化と それを図るべく教育行政の改編を教育の中心課題と考えているよう

        だが、現状が抱えている教育問題は次代を担う子供たちへの(安全管理)ではないだろうか。

        ここ数年、不登校や発達障害等のデーターが以前のようにはマスコミは公にせず、教育問題の後景に退き、現状の把握が困難になっているが、諸般の情報を基にすると、データー的に増加しているだろうと推測される。

     以前、教育を担当する政治家が上記の対象者を「経済における一定の欠陥商品は (物作り)のリスクのうち」 と述べ、多少マスコミの一部を騒がせたことがあった。

     次代を担う子供たちを商品に例える見識も問題だが、これらの問題から目を逸らし 他に問題を転化している現在の政治やマスコミはさらに教育の現状を悪化させ、教育問題は子供たちの病理や安全管理の社会問題の範疇になっていないか。

     例えるなら、日本の農薬大国振りと同様、子供たちに農薬や化学肥料を強化するのに似ている。

     今の行政の処方箋は 本来の成長発達を阻害するから、データーの変化を追いたいのだが…データーが依然のようには提供されなくなっている。

   
   

  

    

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マスコミを対象にした世論調査が必要

 

  地上の およそ70億人全ての安全を第Ⅰ考えられたらどんなに良いだろう。

  国外からの武力による脅威もさることながら、人々の安全を脅かすものはそれだけではない。

  世界中が 食・エネルギー・疫病 ・環境の異変 等は進行形の形危機を増大させている。

  社会が生み出したストレス等に因る自殺やいじめ犯罪も人々の安全を損ねてもいる。

  今朝、番組表の{どうする安全保障」と題した政治討論会は外交や軍事関係の専門家?ばかりが集まって安全保障を論じていた。

 果たして、人々であれ国家であれ 安全は軍事に特化して論ぜられるものだろうか? 

  世界や過去の例を見るまでもなく、武力衝突はそれ自身が目的ではなく、必ず他の安全との兼ね合いで引き起こされる。

   にもかかわらず、安全保障で軍事だけ取り出すとタコ壺の中の(オタク的)な話になる。まさに今日のNHKの討論会はそのように展開された。

    仮に(安全保障で心配していることは何ですか?)と世論調査したら、どれだけの人が総合的な観点で答えるだろう? 

   これまでのマスコミが伝えた情報によって多くの国民が 今日の政治討論と同じように、安全保障=軍事 の図式のような既成概念ガ既に出来上  

         がっている事が 明らかになるように思えてならない。 

     マスコミには都合が悪いだろうが、マスコミの果たすべく本来の世論を知る上からも 自らを対象にした 世論調査を実施したら良い。 

    そうでもしないと、実際の言葉の意味と 政治やマスコミが使う言葉が 乖離したまま 現在のように(世論))として 一人歩きし、繰り返してきた『こんなはずではなかった』 を繰り返す。

  

  

 

   

 

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