世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
惰眠
街角で「憲法が希望」のポスターを見た。
本当にそうだろうか?
勿論 憲法を変えて云々も アメリカファーストも 一帯一路も 脱原発も 核兵器廃絶も究極的に目指す希望ではない。
グレタさんが言うように 希望は 唯一自然であり 科学であり 共生への道を探ることではないのか。
的を外すは 彼我の読み違い。 今日を招いたマッチポンプを繰り返すことになる。
人類は 惰眠からなかなか醒めない。 大人は グレタさんに恥ずかしくないか?
世界が通して見え出した
世界の田舎の感が強かった南米やアフリカが このところ舞台に登場することが増え、世界全体がプレーヤーとして一望できるようになってきた。
マスコミ報道の変化か 実際動きの変化かは分からないが 世界全体が見えやすなってきたのは 良い事だ。
多く人々が気づき易い状況が生まれてる。 全体が見えなくてはこれまでのように意味も価値も分からない。
「民主主義」を巡る争いの影
民主主義が持続不可能な経済社会を軌道修正できない今 「民主主義「」と「人権侵害」の問いかけは意味があるあろうか。
問いかけが 経済を牛耳る欧米先進国とそれに対峙する国との陣営の争いの具(プレー)にされている図が浮かび上がる。
民主主義を巡る国内紛争に国際的な陣営争いの影を見る。
イデオロギーくを論ずる物差しの整理が必要だろう。
尊敬する法王も外してる
以前よりフランシスコ教皇を偉人と仰いでいるが 人は誰しも限界はあるものだ。
全生命の共存のために核兵器の廃絶と資源の活用の在り方を世界に呼びかけている。
自然と人の関係を曖昧にしたままの 核兵器廃絶や資源の活用は 要点を外してるとしか この老人には考えられない。(勿論 この老人の外し方は論外は言うまでもない を前提にして)
神話 「軍事脅威論」
軍事脅威論が無かった時代があったろうか?
条件なしに脅威があるとすれば人間の存在が脅威であり 論理的にはこの世から人間が存在しないことが 脅威を無くす唯一の条件になる。
脅威の科学的精査が必要なのに具体的に聞いたことが無い。言葉に出来ないような事なのか 仕組みなのか。
仕組みなら それなりの対応がある筈。
今夜のニュース?
「自然も仲間の人間も目に入らずそれらを犠牲にして 金儲けに勤しむ人たちがいる。」
どんな人が頭に浮かぶ? 政治家?起業家? タレント? 隣のおっちゃん? 自分?
とにかく こんことをやってたら 自然は壊れ 人の姿は消えていく。
そんなことを子どもの頃から やらせやらされ 霊長類だと自慢する私たち。
だけど すこーしばかり 気が付き始めたようだ。今夜のニュースは如何に?
統合失調状態
世界のニュースの中心が行ったり来たり猫の目のようにくるくる変わる。
政治家やマスコミも同様で 全体を目配りもしない常識のない専門家がコメントし人々はついて行く。
世界が統合失調症にかかっているかのようだ。
何んたんたって 私たちは自分たちの立っている地球のことを忘れてる。
検査の持つ特別な意味
一般的に 目に見えるものの物証はいざ知らず、目に見えないものの物証は難しい。
不登校 発達障害 引き籠り いじめ とストレスの関係は一例だろう。
論理 経験は傍証的であり 観察 特に検査は 物証に客観性をもたらす重要な手法だと考えている。
検査の妥当性と信頼性は命 と教わった。
中心を変えると どうなるか
人類が問われているのは 民主主義か一党独裁か の統治の仕組みなんだろうか。
地球規模の自然の崩壊が進む今、それにどう対処するかが最優先課題ではないのか。
その面から 香港の民主化運動は 本質から外れてる と言える。
アメリカの議会や日本のマスコミに見られる一連の民主化支持の動きは 人類的な最大の課題より
勢力争いに傾斜し、さらにイスラエルのパレスチナ政策との不正合の問題も併せ持つ。
一定の枠内での中心の置き方の変更は 全体の意味や姿を変える。
写真や絵画の表現を見るまでもない。
科学捜査官の出番
不登校 発達障害 引き籠り いずれも過重なストレスがもたらしたものだと考えられるが物証が無い。
経験や傍証はあっても説得力が無い。ここは 科学捜査官の出番だろう。(テレビ「7女科学捜査官」の見過ぎによる)
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