世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
芯から納得出来たり出来なかったり
今日は新井橋のところから多摩川の土手を府中まで行ってきた。
地球の芯と自分の芯を重ねると 親父やお袋 じいちゃんやばあちゃんが 身近に感じた そんなもんなんだ
こっちの土手から向こうの土手まで100メートル以上ありそう。
明日は向こうの土手をもっと先まで行ってみようかな。
地球の芯と自分の芯を重ねると 親父やお袋 開拓に入ったじいちゃんやばあちゃんが 傍にいるような気がして来た そんなもんなんだ
帰り際 教会にの掲示板に 「コロナウイルのために日曜礼拝はお休み」とあった
そりゃあそうだよ
(芯)と言う漢字は 草冠に心だが 神や仏もコロナの言うことは聴くんだと芯から(地球規模で) 納得した。
帰って来たらテレビでコロナの事を伝えていたが、芯から納得出来なかった。
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芯と芯
地球の芯を感じながら歩いていた
植物は根を張りその上を生き物がうごめき さえずりながら飛び回る
山は はるかに 川は静かに 雲はぽっかり
極地の白さ 海原の青さ 果て地の星空
砂上の瀟洒な家と浮き足立った人の群れが コロナと向き合う
地球の芯を感じながらきょろきょろ歩いていた
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間違いは間違い
補正予算案は 青天井の
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ツアー支援
何れも政策の表紙には
GO TOキャンペーン 海外向け大規模プロモーション 国立・国定公園 温泉地でのワーケーション と消費オンパレード
国会では種子法も用意されている。
この段になっての 児童虐待やDV相談窓口設定
テレビは相変わらずコマーシャルと娯楽 「専門家」を利用した世論形成
これでどうして 80パ-セントを本気にする気になるだろう?
これだけ失敗を繰り返して成功の緒にも就けないでいるかに見える。
天罰とでも言いたくなるようなコロナ禍だから これでは許されまい。
それでもここを出発点と見れば希望もわく。
世界的には間違いなく安全に対する概念は変わってきているし経済の先行き
不安は増しているから出口を探してはいる。
早く地球が自然であることに気が付けば良いだけなのだが
不安は
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ステイホームを無駄にせず
感染症の拡大は 自然界における人や社会の在り方が問われてる。
結局 ステイホーム(在宅)で人は動かないことが求められている。
そもそも 人は自然に対しどう行動すべきか?の問いは
感染症拡大を防ぐだけに矮小化してはならないだろう。
今は火事場で躍起になるのは仕方ないが 早く平常心を取り戻して欲しい。
ステイホ=ムでゆっくり考えたい。
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うっすら見える
現代の社会は
権力や権威 お金との付き合い方に偏っていた人間中心の活動を
自然と どう合理的に付き合いうか が問われてる。
今回の世界的な感染症の拡大は 大きな役割を果たすだろう。
人間の文化と化した行動様式の転換は難しいが、社会を持続させるには
他に道はない。
立場を越えて全ての人間が1チームで 向かうべきで 今回のパンデミックで
うっすらと山の頂上が見える。 偏った商業主義から目を上げてはたてを臨もう!
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自然との付き合い方
NHKはじめ印象の悪いマスコミだが テレビ朝日のモーニングショーのウイルス対策の報道は 認識を一新した。
特に岡田教授や局員の玉川さんの活躍は 目を見張るものだった。しばらく見たことが無かった。
自然との付き合い方が問われている現代社会で 科学や論理の大事さを明らかにして、国家や専門家などの権力や権威を 白日の下にさらし、理に沿った流れを衆目の目にする形を作った。
勿論 今は 日本の感染拡大への貢献と言う限られた範囲だが 今後 多くの人が見習い 経済や政治 国際関係をはじめ教育や文化など多方面に拡がることを期待している。 繰り返すが 問題は 自然との付き合い方である。これまではお金との付き合い方に偏り過ぎていた。
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時には弱音
これだけのパンデミックを経験しても経済や政治には反省が見られないのは解り易いが
芸術 文化 科学や学問 も宗教はさらに 後回しになりそうだ。
自然との関係が問われているのだからこれらも例外ではないのだが
商業主義の強さがそうさせている。
歌も踊りも芝居もお笑いも絵画や小説などの文学もスポーツも 列挙したら切りがない どう変わって行くだろう。
そう考えると なかなか道は遠く見えない。
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教育の見直し
パンデミックを期に各分野で振り返り新たに展望を切り開いたら良いと思うが
基準は 地球規模の大自然との関係である。
例えば教育
世界の学校教育は全体知を育てるカリキュラムになっているだろうか?
生体としての子どもに対し 生体の健康を損なうカリキュラムや仕組みは無かったろうか?
子どもの成長の健康を損ねている実態を見たとき 誰が問題なしと言えよう。
教育は論理を欠いた人体実験をしていないか。
パンデミックの対応の拙さは全分野の論理を欠いた仮説実験の結果ではなかったのか。
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編集や番組の見直しを
新聞やテレビは この機会に編集や番組の見直しをしたらどうだろう?
パンデミックが文明病のような様相を呈していることから
どこに問題があったか どうしたら良いかを 各界各層がそれぞれの立場で
掘り下げ それを取材し情報化する。
持続可能な時代への転換期であることを考えたら 社会的な作業が必要になる。社会的な役割を担うのは 新聞やテレビの情報機関になる。
今 そんな動きは ほとんど見られないが 少しずつ変わらざるを得ない。
最近は報道機関に手持ち無沙汰や 暇つぶし 不真面目さすら を感じることが多い。
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自然知
断片的な知識ではなく 自然の 知識 経験 感覚が大切ではないか。
パンデミックの対応を見ていて 世界は 特に日本は 教育の体系を転換する必要性を強く感じる。
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