世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
コロナに感謝している生き物もいる
コロナは困ったことばかりではない。愚策のキャンペーンにブレーキをかけ 社会のふたされ見えなかったところが明るみにし 星の数を増やし ジュゴンやくまさんのように生き生きしてきた生き物もいる。
成るべくして成る
緊急事態宣言を新たに出さなくても 日本は何年も前からjアラ—トを成り続けてはいなかったか?
眠りが深いから 聞こえないだけ。あの手この手で鳴らし続けているから 5~60年もしないうちに目を醒ますだろう と焦ってはいない。 成るべくして成るものだ。暫くは慣らし続けるようになるだろう。
世界的には自然と合理性
社会的な判断の基準は 利益中心の敵・味方と 自然の合理性に合致するかしないか この2つの型がありそう。
世の中は 前者が多いが 後者にとってかわる傾向にある。
政治や経済から人間関係まで人間活動の全体に見られる。
例えば パンデミックや温暖化の科学的対策は全体的には世界的な傾向。
やっとこさ!
当然ながら 大自然の自然と人の心や体の自然は同等に繋がっている。
大自然や自然無くして 人も社会も存在しない。 自然の崩壊は人や社会の崩壊と同義語である。
この事実が一般化したら今日のようなことは起きなかったはず。
このメッセージがどこかで発するのを希望し楽しみにしている。
5~60年とかからないとは思う。2020・11・17 PM 9時45分 dozi
分からない
結核であれ天然痘であれ 伝染病は昔からどの国も隔離して来たのではないか。
21世紀の今 十分調べもせず野放しにし 加えて 物見遊山 飲み食いしたらご褒美におまけが付く。
しかも 経済 経済と言いながら これから時代を担う子供たちに付けを回す私たち。 解からない。
自然と目が行く
自然が壊され人間の脅威にすらなっているが それでも本当に元気を貰い勇気づけられるのは やっぱり自然ではないだろうか。
皆 マスクをかけて戦々恐々としながらも ふと周りの草花に目が行き 空を見上げる
市民の仕事
問題は教育に遡る
現状認識を疎かにしているせいか 政治的仮説実験の多くが成功していないようだ。
仮説の相当するスローガン的な政策そのものが 的を外していることが多い。
ありのままを認識していれば こんな状態にはならなかっただろう。
問題は教育に遡る。
争いを好む人
親日 反日 等 親~ 反~の言葉が用いられるが、その根拠は曖昧で主観的ではないだろうか。
少なくても反~で良い気持ちを持ち納得できる人はいないだろう。
そんな言葉が 政治家や専門家 ジャーナリストやマスコミで やたら使われているようだが
どうしたら反~ではなく仲よく協力体制が組めるかが社会的には 将来の希望に繋がる意味を持つ。
過去の組に分かれて争っても 将来的には あまり良い事は無い。
自らを貶めないために
暮らしや地域の環境 教育 情報など市民の身近な生活に関係する事柄を 市民が話題にしたがらない向きを感じる。
仮にそんな雰囲気があるとすれば 市民は自分を語ることは 難しく自らを知ることが出来ない。
結局 社会的には 物言わぬ隷属した数値化された小市民として構成される。
これは 仮説による風景だが 実感しなくもない。
要するに 子どもも大人も ありのまま を語り合い 確認することなんだ。
論理的には 身近な所に5~60年先の希望を見出すことは難しが その探索は面白い。
早朝散歩時の見知らぬ人との挨拶は そうかもしれない。
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