世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
見えないもんでもあるんだよ
5~60年先の光を 今 見出すのは難しい。
しかし、「見えないもんでも あるんだよ」である。
今の仕様では持続不可能なのだから 新しく新調せざるを得ない。
準備が遅いだけ。「見えないもんでも あるんだよ」
ショーウインドーの幸福
市民=消費者 だろうか?
あちこちに 商業主義に染められたような現代社会の矛盾が露呈している。
本来 市民は 幸せな暮らし 自然な幸福を望んでいたのではないだろうか。
何時しか 豊かさや便利さ 絵のように美しくショーウインドーに並べ 買ってもらいたくなるような幸福を求めていないだろうか? 恋愛も結婚も衣食住の生活も消耗財になってはいないか? とつい思ってしまった。
それはともかく 世界観と同時に 幸福って 何? を考える時かもしれない。
警鐘乱打
色んなことが地球規模で意味を成す時代なのに 人類は「おらが村」で世界を見る。
バイデン氏は仲良しで陣営を張って敵と戦い 菅氏は キャンペーンでコロナと戦う。
木を見て山を見ず 森に入ったら森が見えず 山に入ったら山が見えない この姿を晒しながら グレタさんと共に警鐘を鳴らしてるから 目を醒ますのに あと5~60年もかかちゃう。
人類の歩み
「アメリカファースト」の旗を上げるぐらい だから チャイナファースト ジャパンファースト そして全ての国が自国ファーストと考えるのは普通かもしれない。 国家間がそのような関係にある現在
国境を越えた課題を解決するのは難しく事実 多くの面で困難を来している。
地球規模で見ると 人類がやってることが尺取り虫のように歩みの遅いのはしかたないかもしれない。
まして 「地球無くして人類無し」は意識することも行動するも困難だろう。
今 そんな状態で歩んでる。
市民の暮らしの最前線
市民の暮らし最前線 と言えば 衣 食 住 老人介護 教育 医療 かな。
市民にとっては 重要なポイント 中でも食はその中核か?
現在 全人類にとって食料は 間に合っているか? 将来の備えは?
備えの苦手な政治や社会だから気になるなあ!
市民の力
市民の力 それは パスカル的な意味で「疑う力」であり 今風に言えば「情報を選別する力」とでも言えようか。
認識は自らに問うことから始まり 他者と問答し続けることによって真偽に近づき極める そう言うものだろう。
自然災害をはじめ 感染症 異常気象 経済の悪化 原発事故 社会不安 等の頻発によって
否が応でも事実に直面せざるを得ない。学びの機会は反面教師を含めて増えている。
このような環境にあって 市民は鍛えられ力をつけつつある。
この時代の転換期を担う無名の市民一人一人の 一日一日の暮らしの意味の輝きは増してくるばかり。
寄り合い
75年前 国土は戦火で荒廃していたが既に敗れ終戦していたが
現在は ある意味では あの時以上に世界中 人類対自然で戦い人心は荒廃しながらも戦争は終わっていない、これが私の現代の心象風景である。
戦災は一般市民に特に犠牲を強いるが、市民に力はなく成す術も無い。そんな風景が続く。
成す術が無くても 市民には暮らしがある。本当に術がないのだろうか?
昔「寄り合い」があった。今 必要ではないか。
お喋りでも歌でもゲームでも良い。3人寄れば「文殊の知恵」 今こそ必要を感じる。
聞くことの難しさ
ここまで人間関係が壊れると語り合うことは 難しい。
一方的に喋りかみ合わない は珍しくない。
相手の話を引き出し聞く心と技術はより難しいこと。 なかなか出来ずにいる。
先ずは 自らを語る
台風もコロナ感染も被害は語られるが温暖化や自然破壊は語られず、ゴーツーキャンペーンは語られても経済は語られない。
木を見て山を見ず を繰り返している。
出来事の末節的な現象に目を奪われ原因や背景を見ないから 被害を繰り返して止まない。
そんな暇はないのだが 誰がどうしたら改善されるか? の答えは無い。
結局は 被害を受ける一人一人の市民が自らの事として他人に下駄を預けず対峙し 言葉を交わさずには 始まらない。 事の根は深い。先ずは自らを語る。
整理術
近代思想を成した大元に「天賦人権説」なるものがある。
万人が生まれながらにして持っている権利のことだが それをめぐっては諸説あり定まらないことが多い。
人と自然の関係は 混乱した議論を整理するのに役立つ。
自然無くして人の存在は有り得ないことを原理にして検証してみてはどうだろう?
世の中の出来事を「自然の法が人為に優先する」 この原理で検証したら今よりは整理がつくような気がしてる。
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