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こちら南極 ただいまマイナス60度(中山由美)

2006年05月19日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この本は、朝日新聞社記者の中山由美さんが第45次南極観測隊派遣者となり、2003年12月3日から2005年3月27日まで、朝日新聞社のホームページ「アサヒ・コム」に毎日連載した南極からの記者日記「ホワイトメール」を基に書き下ろしたもので、連載当時は書けなかった秘話や裏話を加えて再構成したものです。

 以下は、この本を読んで特に感じたことを箇条書きにしてみました。南極の実態が分かり、面白い本です。お勧めです!!

・2003年6月に長野県の菅平で4泊5日の合宿があり、そこで45次隊の初顔合わせがある。女性は夏隊1人で越冬隊は4人。身体検査は3日間に及ぶ。

・2003年12月3日にオーストラリアの西海岸フリーマントルで、南極観測船「しらせ」に第45次南極観測隊64人を乗せて、南極へ旅立つ。航海初日は豪華なご馳走と決まっているようで、「伊勢エビ」が出たとのこと。

・12月4日には午前中に溺者救助訓練、午後・航空機救難用具及び航空火工品取扱法の講義がある。

・12月5日には海洋観測が始まる。また南緯40度を通過し暴風圏へ突入する。激しい揺れで50度以上も傾くこともあるようで、緯度によってエスカレートし「吠える40度、狂う50度、叫ぶ60度」と言われるとのこと。

・12月7日に初めてオーロラが見える。南緯52度、東経110度、夏にしらせ船上でオーロラが見られるのは珍しいとのこと。

・12月10日に初氷山を見る。甲板の気温は0.3度である。高さ60m、幅380mあったとのこと。

・12月15日に流氷に囲まれる。氷の上には小さなアデリーペンキンやウェデルアザラシが見える。氷海航法に入る。しかし、氷に船が体当たりして砕いて進む「チャージング」をしないまま進む。昭和基地周辺の氷の厚さは1993年には3.5mあったのにここ3年は1.5m~1.7mとのこと。温暖化の影響かもしれないが、30年周期の気候変動かもしれないとのこと。ただ、数10万年単位の変動では氷河期に向かっているとのこと。太陽は今日から1月半ばまでずっと沈まない白夜の季節となる。

・12月16日に南極の日本の昭和基地まで13kmとなり、ヘリコプターで飛んで行ける距離に近づく。

・12月17日にヘリコプターで、南極大陸から4kmほど離れた東オングル島の昭和基地へ到着する。茶色や黒っぽい岩場の上に昭和基地のプレハブ小屋、アンテナ群が見える。越冬していた44次隊が10数人、みこしを担ぎながら出迎えてくれる。

・12月21日に「しらせ」に積んでいた11トンある雪上車やブルドーザーを氷の上に降し、昭和基地まで動かす。138センチの氷の厚さしかなく危険である。

・12月24日に昭和基地の住人となり、さっそく夏作業に参加する。2ヶ月足らずの南極の短い夏に、通信衛星設備や送油菅の建設、コンクリートプラント、氷上輸送など隊員総出で仕事を片付けなければならない。まず、太陽光パネルの補修を行う。

・夏作業の隊員の日課は以下の通り。
 6:30 起床
 6:45 朝食
 7:45 ラジオ体操と朝礼
 8:00 作業開始
10:00 中間食
12:00 昼食
13:00 作業開始
15:00 中間食
19:00 夕食とミーティング、入浴

・昭和基地の基本データは以下の通り
 位置 南極・東オングル島 南緯69度00分 東経39度35分
 標高 29m
 気温 最低-45.3℃ 最高+10.0℃ 平均-10.5℃
 建物 観測棟・住居棟 約60棟
 人口 12月末~2月中旬 約100人
     2月中旬~12月末 約40人
 時差 6時間(日本が正午の場合、昭和基地が午前6時)

・12月25日にインテルサット衛生通信アンテナの基礎工事を行う。

・12月26日に上空の大気を採取する回収気球の打ち上げを行う。直系40m・350kg白い気球は高度10~30kmの成層圏で、2時間余りで大気を収集する。

・「環境保護に関する南極条約議定書」が採択されたのは1991年で、この議定書と国内法が1998年に発効したのを受けて、ゴミの持ち帰りにも本腰を入れるようになったとのこと。

・12月31日の大晦日には45次隊はしらせへ帰ることになる。来年2月1日の越冬交代まで昭和基地の主は44次越冬隊のため、新入りの45次隊は「しらせ」で正月を迎えるのが伝統とのこと。

・2004年1月1日には、「しらせ」の汽笛で年が明ける。気温はプラス2℃で小雪が舞う。鏡割りに獅子舞、お年玉抽選会、そしておせち料理は豪華三段重ねで伊勢海老、鯛、数の子、黒豆、昆布巻き、伊達巻、栗きんとん、お赤飯などがあったとのこと。朝日新聞 南極支局の開設宣言を行う。

・1月6日に水が出なくなる。昭和基地では、雪解け水がたまる池からポンプでくみあげて、凍らないように太陽熱で温めて、フィルターでろ過して飲料水を作る。貯水タンクは6立方メートル。残量が1割を切ると警報がなり、給水装置が緊急停止する。

・1月8日に賞味期限が3年等過ぎた非常食を食べる。南極は気温が上がってもせいぜいプラス5℃で、常に乾燥して雑菌もいないので非常に長持ちするとのこと。

・1月21日に2004年初日の入りで、先月半ばから昇りっぱなしだった太陽が零時19分に初めて沈む。

・1月23日にヘリコプターで南へ50kmにある南極大陸の沿岸スカルブルネスへ行く。「B4池」と呼ばれる池にゴムボートで繰り出すと、薄緑色のモコモコとした20cm~30cmのナシゴケの塊がある。数100年かかって成長したらしい。

・1月24日から2泊3日で昭和基地南へ80kmにある南極大陸沿岸のスカーレンへ地学観測へ行く。降り立ったスカーレンは冬になっても雪が積もらないいわばで透き通った水をたたえた池が点在している。全地球測位システム(GPS)を設置し、地震計をチェックする。昭和基地とスカーレンとの距離のミリ単位の変化を調べる。

・重さ300kgの絶対重力計では、重力加速度の10億分の1の変化をとらえて南極大陸の上下動を探ることができる。1995年と2001年の観測と比べると、2004年の観測では重力がわずかに減っているとのことで、高さなら2~3mmの上昇とのこと。氷期に南極大陸を覆っていた氷が解けて南極大陸が浮き上がっているとも考えられるとのこと。

・2月1日に越冬交代式があり、45次隊が44次隊から観測業務や管理棟などの施設や車両を引き継いで昭和基地の主となる。45次隊は個室に住めるようになる。

・2月11日にパソコンが壊れる。ここでは雲母のかけらがパソコンに入り込んだり、乾燥で静電気が起きやすいための模様。

・2月15日に44次隊が帰国の途につき、昭和基地は42人だけの生活が始まる。

・2月20日に越冬成立式を行い、1年越冬する決意を新たにする。石の塔ケルンの前に整列し、半世紀近くに及ぶ日本の南極観測において亡くなった唯一の隊員、「福島紳さん」に祈る。「福島紳さん」は1960年10月に基地のすぐそばでブリザードにあい、方向を見失って遭難したとのこと。

・2月26日に昭和基地でインターネットが見られるようになる。これまで使っていたインマルサットの衛星通信を、今回建てたインテルサットに切り替える。高速データ通信が可能になってインターネットは常時接続されることになる。

・2月27日に火災訓練を行う。訓練は毎月行う。

・4月6日に初ブリザードが到来する。視程1km未満、風が毎秒15m以上となったのは4月5日午後5時50分で、それから12時間たった4月6日午前5時50分にブリザードと認定された。初ブリザード到来日時当てのクイズに当たり、賞品の特製ワッペンと「1日昭和気象台長券」をもらう。気象隊員の指導のもと天気解析を実施し、明日の天気情報を解説する権利を与えるものだった。

・5月4日夜から皆既月食があり、皆既が終わった5月5日午前0時8分過ぎに、突然強い光のオーロラが現れる。赤い光のひだをつけたカーテンが激しくゆらめきながら、天空を一気に駆け上がる。

・5月31日から極夜が始まる。あと43日待たなければ太陽に会えない。またブリザードとなり外出禁止となる。

・6月20日に南極越冬隊最大のイベント「ミッドウインター祭」が開幕する。6月21日の冬至を祝うもの。秩父屋台ばやしで開会式を飾り、もちつき、スポーツ大会、夕食はフランス料理のフルコース、21日の2日目はバンドや笛、ピアノの演奏、合唱のコンサートも行う。夕食は松花堂弁当で、フィナーレは光のショーで燃料を入れた一斗缶に火を灯し、45の文字が浮かび上がる。祭りの最終日の22日には、人間すごろく、居住棟対抗演芸大会があり、しめくくりは露天風呂であった。

・7月13日に43日間の極夜がとうとう明ける。しかし小雪が舞って太陽の光はちらりとも見えない。7月20日に太陽が顔を見せてくれる。

・7月31日にマイナス37℃を記録する。シャボン玉を飛ばすとすぐ凍る。手に受け止めたシャボン玉は割れずにくちゃっと少しつぶれたままで凍る。またマグカップに入れたお湯を撒くと、お湯は瞬時に凍って、煙のように広がる。真っ白な粉砂糖のように糸をひいてさぁーと流れ落ち、花火みたいになる。

・9月5日に「氷山流しそうめん」をする。そうめんの前に人間が滑り落ちて「人間流しそうめん」となる。下にたまった残りを食べようとするとすでに凍っている。

・9月22日から8人で南極大陸沿岸のスカーレンへ5泊6日の旅に出る。GPS測定や地震計の保守、海や湖の採水、人工衛星データの地上検証のため。

・10月11日から、昭和基地から1000km離れた標高3810mにあるドームふじへの1ヵ月の旅が始まる。9人は5台の雪上車で向かう。10月12日に雪上車を横転させてしまう。

・11月6日にようやく25日目にドームふじに到着する。南極大陸で最も高い基地で、気温はマイナス60℃だった。

・南極には地球上の9割の氷が集まっている。太古の大気を封じ込めた深層の氷は、過去100万年の地球環境の歴史を語るタイムカプセルとなっている。南極で最も高い基地、標高3810mのドームふじの下には、岩盤まで3030mの厚い氷がある。それを掘り起こすのが、ここの観測の目的である。

・12月1日に46次ドーム航空隊の7人がやって来た。ドーム航空隊は、成田空港からケープタウンへ行き、それからロシアのノブロザレフスカヤ基地へ行き、それから航空機を乗り換えて昭和基地とドームふじの中間点「ARP2」に到着し、それから雪上車に乗ってたった14日間で来た。しらせに乗れば、日本から昭和基地まで1ヵ月、さらに雪上車で1ヵ月の合計2ヶ月かかる行程であるためかなり早い到着である。

・1月22日は掘削の最終日で、深さ1850.35mからドリルがゆっくりと上がってきた。前シーズンに掘っていた深さ362.31mを起点に12月11日からのべ42日間で1500m近く掘る。1850mという深さの氷は15万年前、イリノイ氷期の末期に当たるとのこと。目指すは岩盤までの3030mで100万年前の氷で、来年に期待できるとのこと。

・1月26日にドームふじを閉じて出発し、2月7日にようやく昭和基地へ帰ってくる。2月8日には昭和基地を出発してしらせに乗り込む。そして3月21日にシドニーへたどり着く。車が速く感じ、さっそく買ったごちそうは、スイカといちごで、シャキシャキとした歯ごたえと、ほとばしる果汁に「うーん」とうなる。


<目次>
プロローグ
第1章 旅立ち-南極海へ行く
 オーロラとクジラと
 南極海へ
 大ニュースと無縁の最果てへ
 見ていて飽きない、ペンギンの愛くるしさ
第2章 土木作業員になった夏
 「しらせ」から昭和基地へ
 「火星みたいだね」
 朝日新聞南極支局を開設
 仲間との一体感
 南極大陸の”雪平線”
 越冬隊員42人だけに
第3章 南極の厳冬に出会う
 しらせ帰国へ、越冬の幕開け
 ウニに舌づつみ
 においのない世界
 ゴミ片付けに調理見習い
 「初めてのブリザード」的中
 夜空からぜいたくな贈り物
 記者は広報係じゃない!
 太陽がない日々
 南極で祝う誕生日
 極夜の露天風呂、最高!
 一ヵ月半ぶりの太陽との再会
 亡き姉へ
 パソコンウイルスに感染!
 南極から甲子園へ熱いエール
 白瀬の一歩から始まった
 記者としての戸惑い
 大陸沿岸のスカーレンへ
 過酷な旅、出発迫る
第4章 千キロぐるっと白の世界
 雪上車横転!
 カタバ風が作るサスツルギの眺め
 風の歌と雪の詩
 氷の宮殿
 当直は洗濯の特権付き
 地球で一番南の露天風呂
 深さ1850メートルの氷柱
 ドームふじを閉じて帰途に
 ついに昭和基地に帰還
第5章 南極との別れ
 白い大陸が教えてくれたものは
 1年4ヶ月ぶりの町の灯りと緑
エピローグ

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<今日の独り言>
 明け方に思わず「くしゅん!」とくしゃみをしてしまいましたが、それに合わせて2歳1ヵ月の息子が「アハハハ」と突然笑いました。もしやこの怪獣が「起きたか?」と思いましたが、スヤスヤ寝ています。昼間もくしゃみをすると笑うので、条件反射のようです^_^;)

コメント (1)
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