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最長片道切符の旅(宮脇俊三)

2009年01月02日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>


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この本は昭和53年(1978年)10月から11月にかけて、北海道から九州までの国鉄の「最長片道切符」(=一筆書き切符)の旅の様子をまとめたものです。

北海道の広尾から九州の枕崎までで、3つの連絡船航路も含めて13,319.4kmで、国鉄前線の約63%に当たります。

この本は昭和54年(1979年)に刊行されていますが、平成20年に復刻されました。

それだけ鉄道ファンには堪らない本だと思います。

淡々とした描写ではありますが、味わい深い良書だと思います。

私は、JRを使って全国を半周したことはありますが、改めて今後、全国の電車を旅したいと思いました。

とてもオススメな本です。


以下は、特に面白かった描写などです。

・それから4日後、10月4日の昼前に切符ができた旨の電話がかかってきた。「補充片道乗車券」というものであろうか、青い地紋の入った横10センチ、縦7センチほどの手書き用の券片で、「広尾」「枕崎」発売日共「68」日間有効¥「65000」円と記入され、経由の欄に「裏面」とある。裏を見ると線区名がぎっしり書き込まれていた。あとでよく見ると山陰の木次と三江線、鹿児島県の大隈線が書き漏らされていたが、そのときは気がつかなかった。65000円もの買い物をするのは久しぶりであったが、高いとも安いとも思わなかった。金を払っている、という感じがしなかった。「本当に乗るんですか」と若い係員が切符を手渡しながら訊ねた。「乗りますよ」と私は答えた。

・当初の計画では、バスで襟裳岬を回ってきて広尾に一泊し、すがすがしい気分で最長片道切符の旅を始めようと思っていたのだが、日程の前と後がおさえられたために夜行列車の利用できる帯広回りになってしまったのであった。東京の太陽とはちがう。久しぶりに本当の太陽を見た、と私は思った。これは最長片道切符旅行の第1日にふさわしい初日の出ではないか。私はちょっと感動し、眼が冴えてしまった。もっとも、きょうは13日の金曜日であるが。

・寒い季節に日本式旅館に泊まるときは、到着時刻を告げて予約しておいたほうがよい。部屋を暖めておいてくれるからだ。飛び入りだと底冷えのした部屋に通される。

・店の主人のすすめでシシャモを注文すると生干しの大きなのを10匹も焼きはじめた。酒を頼むと正二合の大徳利がどすんと置かれる。なかなかスケールが大きい。シシャモはいまが旬でしかも本場だからうまかった。つぎにツブ貝の壷焼きを注文すると拳固ほどの大きなのが出てきて、これもうまかった。根室はいいぞと私は嬉しくなり、調子づいて当店自慢イカのソーメンづくりというのを頼むとこれが冷凍物だった。後悔しながらもう1本酒をのんだ。店を出るとみぞれが降っていた。

・電化やディーゼル化によって停車時間が短くなり、しかも特急は窓がないので駅弁は買いにくくなった。ところが横川駅はわが世の春である。EF63の増結・切離しのために全列車が峠下の小駅に4分以上も停車するから駅弁が売れてしようがない。名物に仕立てられた「峠の釜めし」など1日に1万個以上も売れるときがあるという。

・大白川-只見間20.8キロの開通によって只見線が全通したのは昭和46年8月29日であった。その開通日に私は乗りに来た。会津若松から入ってきたので今日とは逆のコースであるが、只見の駅を埋めつくした人と旗、そして、トンネルを抜けて田子倉ダムの水面が現れたときの歓声が忘れられない。

・会津盆地の北端の町喜多方に達すると磐越西線は進路を西に変え、新潟を目指す。右窓前方に飯豊山が白く見えている。その長く引いた山裾をトンネルで抜けると盆地と別れ、阿賀野川の谷に沿って行く。このあたりが今回の旅行の中間地点である。最長片道切符の全長は13319.4キロであるから、その半分の6659.7キロ地点は喜多方の西方14.2キロという計算になっている。11月26日11時19分にそこを通過した。

・十日町には20時31分に着いた。絹織物と深雪で知られる町だが、まだ雪はない。駅に近い線路際の「百足(むかで)屋」という名の旅館に泊まった。ここも客は私一人であった。屋号の由来をおかみさんに訊ねると、リンゴを丸かじりしている女の子の頭を撫でながら、「みなにきかれるけど、わからんのです」と言った。

・河口があれば町があり、二本の川が合流すれば集落ができる。川が大きければ町の規模も大きくなる。車窓から眺めていると、水運と町との関わりの深さをあらためて感じる。

・5、60人の客を乗せて京橋を発車し、最長片道切符の旅は再開された。客はジャンパー姿の仲買人タイプが多く、座席に座ったとたんにアーアとあくびをする。なぜ乗って座ると同時にあくびが出るのか私にはわからないが、そうする客が多い。

・木曽川の支流の飛騨川を遡りはじめると、下麻生の駅近くで屋根に「うだつ」をつけた大きな商家が何軒かある。これは屋根の端に突き出るように低い堀をとりつけ、その上に瓦を葺いたもので、防火用だと言われる。余計なものがくっついているから屋根の美しさを損じているが、「うだつが上がらない」ということばはここからきている。

・とくに高山本選の場合は、神通川の谷がV字型に深く切れ込んでいるので、さぞかし難工事だったろうと察せられる箇所が多い。崖を削り、なんとか汽車の幅だけの平面をつくるが、どうにもならなくなると対岸に渡る。それでも行詰るとトンネルを掘る。わずかな平地があると、ほっとしたように崖っぷちから離れ、駅がある。しかしそれも束の間で、すぐまた崖とのつき合いになる。よくぞこんなところに線路を敷いたものだと感服させられる。よほど鉄道が欲しかったのであろう。高山本線が全通したのは昭和9年であった。

・私の切符のルートは西明石-尼崎-谷川となっている。しかし、快速電車は尼崎に停車しないし、つぎに乗る福知山線の急行も尼崎に停まらないから、いったん大阪まで行く。尼崎-大阪間は7.7キロあるが、こういう場合は区間外に乗車しても乗越しにはならない。途中下車をしないかぎり、つまり大阪駅の改札口を出ないかぎり「別に旅客運賃を収受しないで、当該区間について乗車券面の区間外乗車の取扱いをすることができる」と「旅客営業取扱基準規程」の第151条にある。もっともこの考え方でいくと、東京から小田原までの乗車券で新幹線の「ひかり」に乗り、名古屋から引返してもよいことになってしまうが、そこはちゃんと押さえてあって、「基準規程」にはこの取扱いの適用できる区間を個々に指定している。

・いずれにせよ私のは一人旅型である。孤独にひたろうというような心情は毛頭ないけれど、なにぶんにも汽車に乗るばかりが目的だから「同行」の士はすくない。けれども、同行希望者の現れることが、たまにはある。どこでもいいからとにかく旅行したい、しかし一人旅はいやだ、という人。あるいは、自分も汽車に乗るのが好きだ、こんどぜひ一緒に行きましょう、とつい私に調子を合わせて引込みのつかなくなった人。じつを言うと、同行者は私にとって概して迷惑な存在である。概して、というのは、昼間汽車に乗っているときは迷惑だが夜はその逆だからである。勝手なようだが、とにかく昼間は相手の退屈ぶりが察せられてこちらの胸はしめつけられるからやりきれない。ところが夜になって、のんだり食ったり町をぶらついたりするときは相手が欲しい。だから連れ立って出かけると、汽車に乗っている間は疎遠になり夜になると仲良くなる、といった型になる。おおむねそうなのである。

・備中神代からわずか一駅だが、その間に布原という信号場がある。ここは蒸気機関車の撮影地として名高かったところである。蒸気機関車の写真などどこで撮ろうと同じだと思う人がいるかもしれないが、そうではない。まず上り勾配であることが絶対の条件で、平坦地や下り坂では肝心の煙をもくもくと吐いてくれない。それに上り坂なら機関車が一両でなく二両の重連、ときには三重連となって迫力が倍加される。しかし、上り勾配であっても撮影のための足場がわるくては駄目である。重連を写す場合、横からよりは前方のやや高い位置に陣取って、こっちへ向かって近づいてくるところを望遠レンズで引っ張って寸詰まり写すと傑作ができやすい。そのほか背景や運転時刻と太陽の向きなど諸条件を勘案すると、撮影地はひどく限定されてくる。

・ここで勝田線に乗り換えるのだが、香椎線の宇美駅と勝田線の宇美駅とは離れている。香椎線は旧博多湾鉄道汽船会社線、勝田線は旧筑前参宮鉄道線という別々の私鉄だったからである。3年前にはじめて宇美で乗り換えたときは香椎線のホームの上でウロウロし、道を訊ねながら歩いたので両駅の間がずいぶん離れているような気がした。これで同一駅名とは世を惑わす、と思ったほどだったが、勝手を知った2度目のきょうは近い。駅前の狭い広場から路地をすこし行くとスーパーに突き当たり、左に折れるとすぐ勝田線の踏切で、100メートルぐらい先にもう一つの宇美駅が見えた。道順の印象も前回とだいぶちがっていた。

・トンネルを出ると臼杵湾が見えてくる。あたりはミカン畑が多い。トンネル1つで沿線の雰囲気は一変した。伊豆半島に来たようだ。山肌の杉を伐り倒してミカン用の段々畑を造成中のところもある。臼杵から延岡まではリアス式海岸がつづく。ギザギザの海岸線を列車は入江に沿い、トンネルを抜けながら行く。深い入江の奥には石灰岩採掘場やセメント工場のある津久見、さらに連合艦隊の停泊地から工業都市に変じた佐伯があって雑然としているが、その間の海と島の眺めはきれいだ。目まぐるしい眺めを楽しんでいるうちに、日豊本線は出入りの激しい海岸線との応接に見切りをつけ、佐伯から山間に入る。

・この時間に「寝台特急」に乗るとは奇異に思われるかもしれない。しかし、寝台の使用時間は朝7時ごろまでが原則で、ベッドを解体して座席に変じれば自由席として一般に開放される。これを通称「ヒルネ」といい、時刻表巻末の営業案内にも「寝台車の座席利用」という欄があって、寝台券なしで乗れる列車と区間が示されている。


<目次>
遠回りの話
切符の話
第 1日 広尾-帯広-富良野-旭川-遠軽
第 2日 遠軽-北見-池田-釧路-厚岸-厚床
第 3日 厚床-中標津-標茶-網走-中湧別-紋別
第 4日 紋別-名寄-音威子府-浜頓別-南稚内
第 5日 南稚内-幌延-留萌-深川-岩見沢-沼ノ端-札幌-小樽
第 6日 小樽-倶知安-伊達紋別-函館~青森-好摩
第 7日 好摩-大館-弘前-深浦-東能代-秋田
第 8日 秋田-鶴岡-坂町-米沢-横手
第 9日 横手-大曲-盛岡-宮古-花巻-一関-気仙沼
第10日 気仙沼-前谷地-石巻-仙台-郡山-平-水戸
第11日 水戸-安積永盛-小山-友部-我孫子
第12日 我孫子-成田-松岸-成東-大綱-安房鴨川-千倉-千葉-西船橋
第13日 西船橋-新松戸-日暮里-尾久-赤羽-田端-新宿-吉祥寺
第14日 吉祥寺-西国分寺-南浦和-大宮-倉賀野-拝島-立川-登戸
第15日 登戸-尻手-浜川崎-鶴見-品川-代々木-神田-秋葉原-錦糸町-東京-小田原-沼津-御殿場-国府津-茅ヶ崎-橋本-八王子
第16日 八王子-甲府-富士-掛川-遠江ニ俣-豊橋-飯田
第17日 飯田-辰野-小淵沢-小諸-高崎-小出
第18日 小出-会津若松-新津-新発田-新潟-柏崎-宮内-越後河口-十日町
第19日 十日町-豊野-直江津-糸魚川-松本-名古屋-亀山-津
第20日 津-多気-新宮-和歌山-高田-奈良-天王寺-大阪-京橋
第21日 京橋-木津-拓植-山科-近江塩津-米原-岐阜-高山x
第22日 高山-富山-敦賀
第23日 敦賀-西舞鶴-宮津-豊岡-京都
第24日 京都-西明石-尼崎-谷川-加古川-姫路-東津山-鳥取-倉吉
第25日 倉吉-伯耆大山-備中神代-備後落合-宍道-江津
第26日 江津-三次-福山-倉敷-新見-津山-岡山
第27日 岡山-宇野~高松-佐古-阿波池田-窪川-北宇和島
第28日 北宇和島-松山-堀江~仁方-三原
第29日 三原-小郡-津和野-益田
第30日 益田-長門市-厚狭-門司-香椎-宇美-吉塚-飯塚-豊前川崎-後藤寺-新飯塚-直方-伊田-行橋-城野
第31日 城野-香春-添田-夜明-久留米-博多-平戸口-佐世保-諫早-佐賀
第32日 佐賀-瀬高-熊本-大分-宮崎-志布志
第33日 志布志-鹿屋-国分-都城-人吉-八代
第34日 八代-川内-薩摩大口-粟野-隼人-西鹿児島-山川-枕崎
あとがき

面白かった本まとめ(2008年)

<今日の独り言>
寒い中、昼飯に中華店に入って、「タンメン」を頼んだのですが、後から来た客も全員「タンメン」を頼んでいました^_^;)みんな体をタンメンで暖めたいのですね^_^)

コメント
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