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「われ日本海の橋とらなん(加藤嘉一)」という本はオススメ!

2012年03月23日 01時00分00秒 | 
<金曜は本の紹介>

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 この「われ日本海の橋とらなん(加藤嘉一)」という本は、中国でもっとも有名な日本人と言われる加藤嘉一さんが、特に中国の実態について、その実体験から分かりやすく説明してある本です。

 実は、中国は日本に比べると自由であり、インターネットによる国内世論があって成果主義が徹底していること、勉強家であること、暇人が約3億人いるということ、それから中国には面子という考え方があることなどについて理解しました。

また、加藤嘉一さんの生い立ちや、その英語・中国語の勉強法、考え方などについてもとても参考になります。

 加藤嘉一さんは、まだ27~8歳で、今後の活躍に期待したいですね。

 この本は、中国について誤解を解き・理解を深め、今後の日中関係をよくする良書だと思います。

タイトルの通り、日本海の架け橋になると思います。

とてもオススメな本です!

以下はこの本のポイント等です。

・いま、僕は北京を拠点に言論活動している。年間300本以上の取材を受け、200本以上のコラムを執筆し、100回以上の講演を行い、毎年2~3冊のペースで書籍を出版している。胡錦涛国家主席とも会見し、彼はいまも僕のブログの読者だ。中国メディアはそれを「加藤現象」と名付け、僕は「中国でもっとも有名な日本人」と呼ばれ、中国のどこに行っても写真やサインを求められるようになった。

・教育者にして世界的ベストセラー「武士道」の著書であり、国際連盟の事務次長ともなった新渡戸稲造は、アメリカ留学に際して「願わくは、われ太平洋の橋とならん」と語った。僕の願いは、日本と中国に新しい風を送り届けること。すなわち「日本海の橋」となることである。ひとりでも多くの日本人に、この橋を渡っていただけたら本望である。

・中国では、タブーの対象がはっきりしているのは、ある意味わかりやすい話かもしれない。天安門に触れず、共産党による支配に疑義を投げかける問題(民主化、人権問題、宗教、民族問題、選挙など)にさえ直接言及しなければ、あとは原則自由なのだ。表現の方法にもよるが、少なくとも「語ることさえ許されない」という状況ではない。たとえば僕は中国国内の複数メディアで、チベット問題、民族政策、人権改善、政治体制改革のロードマップの核心に言及したコラムを何本も書いたことがある。日本の場合、こうはいかないだろう。れっきとした民主主義の国であり、言論の自由も参政権も保障されている日本だが、この国には「目に見えないタブー」が山のように存在している。それを口にした途端、猛烈なバッシングを浴び、謝罪と訂正を余儀なくされるような、いわば「空気」としてのタブーだ。そして「目に見えないタブー」が増えれば増えるほど、社会は萎縮する。自主規制の範囲がどんどん広くなり、自由な言論や表現が封殺されていく。東日本大震災後の自粛ムードなどは、最たる例である。いまの日本が抱える閉塞感の背後に、この自主規制による無言の圧力があると感じていのは僕だけではないはずだ。

・少なくとも中国には、自由な空気がある。いくつかの明確なタブーにさえ触れなければ、どんな突飛な意見も表明できるし、おもしろいアイデアはどんどん採用され、能力のある人間が登用されていく。そうした「半径5メートルの自由」こそ、社会の活気を生み出していくのではないだろうか。

・いまの中国において、国内世論を無視した政策決定はありえないと言っても過言ではないだろう。中国の人々はそれだけ発言力をつけているし、利用人口が5億人を超えたインターネットの普及によって「世論」は誰の目にも見える形になった。たとえば、毎年春に行われる中国の国会「全人代」(全国人民代表会議)で、共産党議員たちが経済や社会政策に対する提案をする。ネットユーザーはその一挙手一投足に注目し、ガンガン議論を交わし、批判していく。ロジックや根拠の欠如などを指摘しまくるのである。こうした声は決して無視することができない。政策決定者たちにとってみれば、国内世論を味方につけることが党内世論の掌握に大きな力を発揮するからだ。しかも中国の政治文化には、成果主義が徹底している。Aという政策が失敗すれば、すぐさまBという政策に切り替えられる。任期中に経済が落ち込むようなことがあれば、容赦なくその地位を追われる。結果責任に対する考え方は、日本の政治家や官僚よりもはるかに重いのだ。

・党内に「国内世論」を後ろ盾とする健全な権力闘争が存在すること、そして成果主義が根付いていることによって、中国共産党の暴走はとりあえず食い止められている。それどころか国内世論に応じて政策が変わるケースが増えているし、人事という中国共産党にとっての最大の機密事項にさえ、影響を及ぼすケースが起きはじめているのだ。ここまで世論の力が強くなると、選挙というステップを経ずして「疑似的な政権交代」が起きているのと同じだ。もちろん、中国には民主主義としての選挙は存在しない。地方や村落で「試作品」として実施される場合もあるが、まだまだ全国規模で展開する状況ではない。選挙によって共産党政権そのものをひっくり返すことはできない。しかし、国内世論は確実に存在し、実際の政策にも反映されている。中国には中国なりの「有権者」が存在するということだ。

・共産党の宗教政策は「無神教」である。共産党のイデオロギーと相容れない信仰は許さない。現在中国国内には-そのほとんどが地下教会であるが-キリスト教信者が数千万から1億いるという情報がある。しかし、中国共産党がたとえば韓国のようにキリスト教の普及を受け入れることなどあり得ない。

・無論、今後数十年というスパンで見るなら、民主化の流れは避けられないだろう。特にインターネットの普及は、中国のこれからを占う上での大きな不安定要素だ。もはや党指導部によるトップダウン型の統治はありえない。今後数年は、党指導部によるトップダウンと、民衆からのボトムアップが激しいつばぜり合いを続けるだろう。そして最終的には、ボトムアップの力が勝利を収めるはずだ。当局としては、自らの統治能力が民衆からの突き上げを上回っている間に、主体的かつ穏便に民主化改革を遂行しなければならない。

・中国のメディアは、大きく次の3層に分かれている。
 ①官製メディア
 ②地方メディア、市場化メディア(中国語では「市場化媒体」という)
 ③インターネットメディア
 順番に説明していくと、①の官製メディアとは、国務院直属の通信社である「新華社」、共産党の機関誌「人民日報」、そして国営テレビの「中国中央電視台(CCTV)」、国営ラジオの「中央人民広播電台」などである。こられに関しては、いまなお党や政府の「喉と舌」としての役割を保持している。ただし、すべての報道が共産党礼賛というわけではない。たとえば経済政策の問題点を指摘したり、地方行政の失態、中央官僚の汚職を批判すると言った報道は数多く見受けられる。続いて、②の地方・市場化メディアとは、新聞でいえば公州の「南方都市報」、北京の「新京報」、西安の「華商報」、南京の「揚子晩報」、上海の「東方早報」など、都市報と呼ばれる地方紙、テレビではバラエティー番組で一躍有名になり、地方テレビでは視聴率ナンバーワンを誇る「湖南テレビ(湖南衛視)」などがその代表格となる。財政的に党政府にほとんど依存せず、自らが市場原理による広告収入や発行に依拠し正真正銘の企業として運営しているメディアだ。これらのメディアでは独自報道が当たり前に行われ、日本の新聞社でいう社会部が担当するような事件については、かなり突っ込んだ調査報道がなされている。というのも、中国国内の新聞社はそのほとんどが1990年代に自主採算制へと切り替えられてしまったのだ。形式上は党・政府の傘下にあり、一定程度は統制されているものの、財政・人事的に独立しているが故に市場原理に沿って運営せざるをえない状況にある。なんらかの独自制を打ち出して読書からの指示を得て、販売収入や広告収入を確保する。そんな経営努力が求められるのだ。そのため内容もプロパガンダではなく、読者が読みたい大衆的な内容になる。独自の調査報道が見られる半面、人目を引くような事件記事、ゴシップ記事がとても多いのも特徴である。最後に、③のインターネットメディアだが、ここまでくると言論・報道の自由度はさらに拡大する。もちろん、先に紹介した「最大のタブー」に触れることhない。党指導部を名指しで攻撃するようなこともない。しかし政策レベルでいえば、タブーなど皆無に等しい。記者クラブに守られた日本の報道など、生ぬるく感じられるほどだ。「メディアは権力の監視機関」という先進諸国のルールは、かなりの水準で確保されていると言えるだろう。そしてここが重要なのだが、国内世論に対する影響力は「③インターネット、②地方・市場化メディア、①官製メディア」の順番となっているのだ。

・いまの中国においては「情報を隠すメリット」よりも、「情報の隠蔽が露呈するデメリット」のほうが大きいのである。そしていくら当局が隠そうとしても、情報は外国メディアやインターネットメディアを通じて漏れ出てしまうのだ。もし情報を隠していたことが明るみに出てしまえば、それこそ民衆の怒りに火を点けることになる。共産党の信用力と求心力が急降下してしまう。だからこそ、人民日報やCCTVのような官製メディアでも、いまさら党を絶賛するような「見え透いた嘘」は敬遠される。

・尖閣諸島問題が勃発したとき、日本のメディアでは中国が近年主張し始めた「核心的利益」という言葉がクローズアップされた。いかにも中国的な言い回しであり、説明が必要だろう。核心的利益とは中国にとっての「国家の本質的な利益=もっとも優先されるべき国益」を指す言葉で、具体的には次の3つに分けられる。
 ①基本制度と国家の安全の維持
 ②国家主権と領土保全
 ③経済社会の持続的で安定した発展
 そして外交レベルにおいて、もっとも重要視されているのが②の「国家主権と領土保全」だ。

・なぜ中国の指導者たちは、欧米や日本を敵に回してまでも、声高に「国家主権と領土保全」を唱えるのか?どうして「核心的利益」を叫ばざるをえないのか?僕の答えはひとつ、国内の統一を守るためだ。広大な国土に13億以上の民が暮らす多民族国家を統治することが、どれだけ困難であるか。きっと日本の政治家には想像もつかない話だろう。僕だって、それを完璧に理解しているとはいい難い。今も昔も、中国の指導者がもっとも恐れているのは国内の分裂なのである。しかも現在はインターネットの普及により、情報の完全統制は事実上不可能になり、民衆は以前にも増して団結しやすくなっている。だからこそ彼らは分裂を誘発するような要素、すなわち「国家主権と領土保全」に関わる問題には敏感になる。これは、主権国家として当然のことだ(繰り返すが僕は中国の主張を擁護しているわけではない。彼らの立場を客観的に分析しているだけの話だ)。そこまで考えれば、彼らが「核心的利益」を強調する理由も明らかになてくるだろう。彼らは対外的にオフェンシブ(攻撃的)にいなっているのではない。むしろディフェンシブ(守備的)になったからこそ、わざわざ「核心的利益」を唱えるのだ。そうしないことには、国の統一が保てないのだ。

・中国は本当に反日国家なのか?中国人は、日本人のことを嫌っているのだろうか?じつは、ここにも中国式ダブルスタンダードが潜んでいる。もし「中国は親日国家なのか?」と聞かれたら、僕は言下にノーと答えるだろう。現在の体制が続くかぎり、中国共産党が国家として、そして統治者として「親日」を指向すことはありえない。これは国民感情の問題ではない。中国共産党の正当性に直結する、きわめてデリケートかつ核心的な問題なのである。過去の歴史をひも解いてみよう。まず、日本人が忘れてはならないのは、中国は第二次世界大戦における「戦勝国」だという事実だ。中国は連合国の一員であり、日本が無条件降伏を受け入れたポツダム宣言はアメリカ・イギリス・中国(中華民国)の3ヵ国名で発せられている。ほとんどの日本人には「アメリカに負けた」という意識しかないだろうが、中国はあの戦争の戦勝国なのだ。そして軍国主義の日本との戦いに勝利し、戦禍と貧困にあえぐ中国人民を解放し、新生中国を建国したのが中国共産党だ、というのが現代中国における「建国神話」である。だとすれば、中国が「親日」を指向することは、党の正当性に疑問符を投げかけることになってしまう。民間レベルの交流や経済レベルでの協力はともかく、公的には「反日」のスタンスを貫かざるをえないのだ。それでは、国民感情はどうだろうか?ひとつ、象徴的なエピソードを紹介しよう。本書の冒頭でも触れたとおり、2005年4月に北京で反日デモが起きたとき、僕はその現場に足を運んだ。ひょっとしたら自分の身が危険にさらされることもあるかもしれないが、中国に暮らす日本人として、どうしても見ておかなければならないと思ったからだ。デモそのものは、思ったほど過激なものではなかった。口では一様に反日を訴えているものの、参加者が暴徒と化すこともなければ、現場にいて身の危険を感じることもなかった。僕がなにより興味深かったのがデモに参加する人々の多くがその様子をデジタルカメラで撮影していたことである。いずれもキヤノンやソニーなお、日本製のデジタルカメラだ。片方の手で「反日」の拳を振り上げ、もう片方の手には日本製のデジタルカメラを持つ人々。そう、ここにも中国式ダブルスタンダード、あるいは反日をめぐる自己矛盾が存在しているのだ。

・辞書と一人芝居、それから英字新聞だけでここまでいけること、語学の勉強にはお金もスクールも要らないことは、知っておいていただきたい。

・うちの家庭は決して裕福とは言い難かった。父が山梨に来てから始めた新規事業が上手くいかず、多額の借金を抱え、僕自身、何度も借金取りの対応を迫られたことがある。高校2年ではじめた翻訳のアルバイトも、英語を勉強するためではなく、家計を助けるためだった。しかも僕にはかわいい弟と妹がいる。愛する母がいる。借金を抱えてしまった父親のことも恨んでなんかいなかった。ただ力になりたかった。

・結局僕は、北京大学初の国費留学生として迎え入れられることになる。学部4年間と修士2年間の学費、寮費、生活費のすべてが国費からまかなわれる。中国政府奨学金という制度によって、中国教育部(日本の文部科学省に相当)から僕の中国留学に必要な全額が至急されるのだ僕にとってこれ以上ない好条件だった。こんな僕のことを、運がよかっただけだと思う人もいるだろう。たしかに僕は運がよかった。偶然が重なった。しかし、僕は思う。運命の扉はきっとみんな平等にやってくるのだ。扉の向こうにどんな世界が広がっているのかは、誰にもわからない。怖さもあれば迷いもあるだろう。ただひとつ言えるのは、運命の扉を見つけたら必ずノックしなければならない、ということだ。自分がアクションを起こさなければ、運命はあっという間に目の前を通り過ぎてしまう。幸いにも、僕は自分に巡ってきた運命の扉をノックすることができた。そして扉の向こうに待っていた中国の大地は、あまりに広大なものだった。

・当時、どうやって中国語を勉強していたのか1日のスケジュールを紹介しよう。

 午前6時:起床。約1時間のランニング後、シャワーと朝食を5分で済ませる。
 午前7時:大学内の売店でアイスクリームを売る中年女性と昼間で世間話5時間。
 午後0時:昼食をとりながら辞書を引いて、単語の読み書きを2時間
 午後2時:別の売店の中年女性と世間話3時間。
 午後5時:大学内の警備員と世間話1時間。彼の読み終えた「人民日報」をもらう。
 午後6時:夕食
 午後7時:「人民日報」を辞書に頼らず全ページ音読しながら読み尽くす。
 午後11時:イヤホンで中国語ラジオを聴きながら就寝。

・衝撃を受けていたのは、明らかに東京大学の学生たちだった。まず、英語力が圧倒的に違う。そしてプレゼン能力の高さや洗練度もぜんぜん違う。もっと言えば、パソコンで資料を作成したり、キーワードを検索する能力さえ段違いだった。世界を見つめるまなざしの真剣さが、まるで違っていたのだ。フォーラム終了後、ある東大生が僕にこんなことを言ってきた。「加藤さん、今回はありがとう。俺、さすがに反省したよ。北京大学の学生たちはとにかく英語がうまい。グローバルな視野、国際化への適応という点で東大生をはるかにしのいでいる。彼らはいろんな方法を使って世界の情報に接している。欧米の新聞を読んで、英語の原著を読んで、トレーニングの一環として翻訳なんかもやっている。それに比べて俺たちは民主主義、言論の自由とかいう言葉に甘んじて、努力を怠っていた。このままじゃいけないと思ったよ」これはそのまま、北京大学の門をくぐった僕が受けた衝撃と同じである。「世界には、こんなにすごいやつがいるのか!」テストの結果を待つまでもない。目を見ればわかる。北京大学の学生たちは、テキストや辞書を読んでいるときの目つきからして違った。「学び」に対するハングリー精神が尋常ではなかった。彼らにとっての「学び」とは死活問題であり、自由への扉だった。日本では一度も味わうことのなかった感覚だ。これから彼らとしのぎを削っていくと考えただけで、武者ぶるいがしてきた。

・僕は中国メディアに登場するとき、大きく4つの観点から自分の発言をコントロールしている。次のようなものだ。
 ①自分は日本人であること
 ②ここは中国であること
 ③政府・インテリ層にとって価値ある提言であること
 ④大衆に伝わる言葉であること

・中国政府にとって、日本と敵対するメリットんどひとつもない。むしろ反日の道は、どこに爆弾が埋まっているのかわからない超危険地帯だ。日本には「中国政府は国内の反日感情を煽ることで求心力を高めようとしている」と考える向きもあるようだが、とんでもない誤解で。触れずにすむのなら、ずっと触れずにおきたいのが中国政府にとっての反日だ。

・急激な成長を遂げ、GDPで日本を抜き去り、やがてアメリカさえも凌駕することが確実視される超大国・中国。日本人かするとその姿はまぶしく、また恐ろしくも映っていることだろう。人と土地があり余った中国に対抗したところで、とても勝ち目はないように思える。ところが中国の人々もまた、日本に対して劣等感を抱いている。GDPで日本を超えたとはいえ、国民ひとりあたりのGDPで比べれば日本の10分の1だ。教育や医療、社会保障といった国民国家としての根幹部分を比べれば、日本ははるか先を行く真の先進国だ。科学技術も省エネや環境対策も世界トップクラスである。しかも日本は言論や信仰、思想信条などさまざまな自由が認められた民主主義国家。その価値は、決してGDPに換算することはできない。

・中国の「いま」を知ろうと思うなら、まずはインターネットだ。中国におけるインターネットは傍流ではない。5億人もの人間が集う、明らかなメインストリームなのである。

・「暇人とはなにか?」について、定義づけしておこう。まず、農民工に代表される地方出身者は暇人ではない。僕の言う暇人は、都市部で生まれ育った地元住民のことである。都市部といっても北京や上海のような国際都市だけでなく、中国のあらゆる地方にはそれなりの都市があり、そこにはしっかりと地元の暇人がいる。そして彼らは小さいながらも自分の家を持っている。そのため、地元から離れようとしない。移動の自由など求めないのが暇人だ。さらに彼らは極力働こうとしない。住むところがあり、着るものにも頓着しないのだから、最低限食っていけるだけの稼ぎがあればいいと考えている。昼過ぎまで働いて、その稼ぎで1.5元の安ビールを飲んで、せいぜい15元程度の食事をとる。貯金も借金もゼロ、という人生だ。しかも彼らは生まれついての地元住民ということもあり、幼なじみによる独自のコミュニティを持っている。あの公園に行けば、いつもの仲間が集まって将棋やトランプをしている、といった小さなコミュニティだ。そして手元にお金がなかったら、仲間からおごってもらうこともできる。臨時収入があれば仲間におごってやる。仮に7人の仲間がいれば、自分が働いた週に1日だけみんなに酒と食事をおごり、残りの6日は仲間から順繰りでおごってもらう。そのへんは持ちつ持たれつの関係なのだ。結局、彼らを貫くキーワードは「諦観」ではないか、と僕は思っている。お金持ちになることを諦め、社会的に成功することを諦め、政治の変革を諦め、社会にコミットメントすることを諦める。そしてただ、毎日を享楽的に過ごす人生を選択する。麻雀、将棋、トランプ、卓球、酒、そしてセックスだ。地方ともなれば、一人っ子政策なんか守られていない。4人兄弟や5人兄弟の家庭なんてざらにある。考えようによっては、幸せな生き方だろう。僕の個人的な試算によると、少なく見積もっても2億人、最大で4億人。おそらく暇人は3億人前後とみるのが妥当だろう。

・中国共産党にしてみれば、暇人はなかなか扱いの難しい存在だ。経済的側面から考えてみよう。これといった収入もなく、支出もない暇人たち。生産者でもなければ、消費者というわけでもない。国の経済にほとんど寄与しない人々である。ふつうに考えて、かなりお荷物的な存在だろう。しかし、もしも中国の各都市で暇人たちが働きはじめたらどうなるか。勤勉な労働者になったらどうなるだろうか。これといった高等教育も受けておらず、専門スキルを持たない彼らの働き口といえば、軽工業などの単純労働だ。これはそのまま農民工の働き口と重なり、おそらく農民工の側に大量の失業者が出てしまう。すると行き場を失った農民工たちは、怒りの矛先を政府に向けるかもしれない。無欲の暇人と違って、ハングリー精神に溢れる農民工たちは怒りを爆発させやすい。結局のところ、暇人には「暇人のまま」でいてもらうのがいtばんということになる。続いて、政治的側面から考えてみよう。中国の政治が動くとき、それは国の暇人が動くときである。始皇帝の時代から振り返ってみてほしい。この国の王朝は、いつも圧政に耐えかねた農民(当時の暇人である)たちの蜂起によって崩壊してきた。中国の歴史を動かしてきた陰の主役は他ならぬ暇人なのである。

・もしも経済が極端に冷え込み、貧困層である彼らにまで重税が課せられるような事態になったら、毎日のご飯をお腹いっぱい食べられず、悠々とした暇な暮らしができなくなったら、さすがの暇人たちも怒りの拳を振りあげるだろう。暇人がいつまでも「暇人のまま」でいられるようにすること。週に1~2回の労働で、あとは将棋でも指しながら悠久の時に生きていけるようにしておくこと。これは中国という巨大な国家を維持していくために、欠かせない条件なのである。この国のマネジメントがいかに難しいか、ご理解いただけただろうか。

・そしていよいよ会計となったときのことである。2人で飲み食いしただけあって、金額は780元(約1万円)。すると財布を取りだして支払いをしようとした僕を制して、彼は堂々とした口調で言った。「やめてくれ。ここは俺の地元で、君は客人なんだ。俺が払う」えっ?僕は驚いた。なぜなら、その前に彼の月の稼ぎが800元だと聞いていたからだ。しかし彼は頑として自分が払うという。さらに店を出たあと、彼はホテルまでタクシーで送ってくれた。月の稼ぎを使い果たしたのである。彼との別れ際、力強く握手をしながら僕は言った。「今晩はどうもありがとう。もし北京に来ることがあったら、ぜひ連絡してください。そのときには僕がもてなしますから」これが日本人には理解の難しい中国文化、すなわち「面子(メンツ)」なのだ。たとえ暇人であろうと、あるいは農民工であろうと、彼らには面子がある。見下されること、バカにされること、恥をかかされることをいちばん嫌う。中国に進出する日本人ビジネスマンはここがわからず、信頼関係の構築に失敗するのだ。面子について、僕は中国のある政治家から釘を刺された言葉をいまでも忘れず胸の奥にしまっている。北京市内にあるホテルのバーカウンターで情報交換しているとき、彼は僕の目を見て言った。「加藤さん、あなたの活躍はすばらしいし、今後ますます活動の場を広げていくだろう。あなたくらいの頭があって人脈があれば、この国の知識層など恐れる必要はない。ただし、絶対のこの国の女性と「小人」だけはバカにしないように。面子を立てるように。彼ら・彼女らを敵に回したら、いくらあなたでも太刀打ちできない」。小人とは、わかりやすくいえば社会的弱者のことである。女性と社会的弱者だけは丁寧に扱い、面子を立ててあげる。このアドバイスがあったおかげで、僕はいろんな場面でミスを事前に回避することができたと思っている。

・中国には割り勘の文化がない。その場でいちばん地位の高い人間に払わせること、それは彼の面子を立てることと同義なのだ。

・相手の面子が大きければ大きいほど、周囲の人はそれを潰すmと尽力する。多少の無理をしてでも相手の面子を立てようとする。一方で、相手の面子が小さければ、そこまで無理はしない。小さな面子に対しては、小さく応えておけばいいのだ。もちろん、封編集長に大きな面子を立ててもらった僕は、今後なんらかの形で彼に面子を返してあげないといけない。コラムの執筆を頼まれれば、どんなに忙しくても応えるだろうし、他の予定をキャンセルして飛行機で駆けつけるほど大きな面子を、返していくことになる。こうなると、面子はほとんど貨幣のように流通しているようなものだ。実際に中国には「面子経済学」という概念があるほどで、面子文化が経済にどんな影響を及ぼすのか、その割合、面子の受け渡しやギブ&テイクの仕組みなど、興味深い研究も報告されている。

・僕はいつも北京大学の学生たちに、若者は3つのステップによって成長するという話をしている。第一段階は、「自立」すること。たとえ心細くても、自分の足で立つこと。続く第二段階は、個としての「自信」を掴むこと。そして第三段階が、本当の意味での「自由」を手にすることである。親や学校、あるいは会社に頼って生きているうちは、自信も自由も手にできない。自由がほしければ、あえて自分を厳しい環境に追い込み、自分の足で立つことだ。日本の若者がそれをやるには、海外にでるしかないと僕は思う。

<目次>
はじめに
第1章 中国をめぐる7つの疑問
 疑問① 中国に自由はあるのか?
 疑問② 共産党の一党独裁は絶対なのか?
 疑問③ 人々は民主化を求めているのか?
 疑問④ ジャーナリズムは存在するのか?
 疑問⑤ 本当に覇権主義国家なのか?
 疑問⑥ 途上国なのか超大国なのか?
 疑問⑦ 反日感情はどの程度なのか?
第2章 僕が中国を選んだ理由
 環境は人をつくり、時代は人を変える
 世界で勝負するには英語が必要!
 中国政府の国費留学で北京大学へ
 半年の猛勉強で中国人になる!?
 北京大学の超エリートたちの勉強漬けの日々
 「お前は日本を嫌っていたんじゃないのか?」
 「加藤現象」はなぜ起きたのか?
 加藤嘉一の「ストライクゾーン」とは
 胡錦涛国家主席との
 僕が中国に留まる理由
第3章 日中関係をよくするために知ってほしいこと
 日本だけが抱えるチャイナリスク
 地下鉄で胸ぐらを掴まれる
 中国が切ってきたカードの意味
 現代中国が抱える意外なリスクとは?
 反日デモとは「反・自分デモ」である
 チャイナリスクとジャパンリスクの関係
 日中が乗り越えるべき2つの壁
第4章 中国の民意はクラウドと公園にある
 インターネット人口5億人の衝撃
 街に溶け込むインターネット
 検閲の「壁」をチャンスに変える中国人
 ネット時代の「万里の長城」とは?
 なぜインターネットが脅威なのか?
 「暇人」のエレガントな生活
 すべてを諦めれば幸せになれる
 陰の支配者は誰なのか?
 「無関心」という名の生き方
 お金よりも大切な「面子」とは?
 面子は貨幣のように流通する
第5章 ポスト「2011」時代の日本人へ
 「自分にできること」はなにか
 日本に寄せられた共感と敬意
 リーダーに求められること
 四川大地震をチャンスに変えた中国
 復興には競争原理を持ち込め
 「我慢」で国難を乗り越えられるのか?
 日本の若者よ、海外に出よう
 すべての大学生に2年間の猶予を
 いまこそ真の開国を!
おわりに 

面白かった本まとめ(2011年下半期)

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