東京に来たついでに、
大倉集古館の普賢菩薩騎象像と
泉岳寺に行こうと計画してたら、
刷新会議の討論会が30分延長して、
私へのインタビューも遅くなったので、
泉岳寺は諦めた。
集古館の裏
大倉集古館は
明治から大正にかけて活躍した実業家
大倉喜八郎さんが設立した
日本最初の私立美術館で、
ホテルオークラ東京本館玄関前にあります。
余談ですが、ホテルオークラは
息子さんの喜七郎さんの創設だそう。
ホテル本館玄関前から
ここで有名なのが国宝の
普賢菩薩騎象像
平安後期の作品で、作者不詳。
この像がもともとどこにあったのか詳細は不明で、
京都あたりの大寺にまつられていたものが
明治になって流出したんだろうと。
普賢菩薩は,文殊菩薩とともに
釈迦如来の脇に従って、単独で祀られることは稀で、
おそらくこの普賢菩薩も文殊菩薩とともに
釈迦如来の脇にまつられていたんだろうと。
文殊菩薩は獅子、普賢菩薩は象に乗り、
文殊は智恵を、普賢は慈悲を表しているそう。
本当に穏やかな、優しそうなお顔で、癒される。
この像は日本の普賢菩薩の中でも
屈指の名作なのだそう。
浅草の浅草寺は都内で最古のお寺だそう。
推古天皇36年(628年)3月18日の早朝、
江戸浦(現在の隅田川)で、
檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)という
2人の兄弟の漁師によって一躰の仏像が引きあげられ、
土地の郷司(ごうじ)である土師中知(はじのなかとも)が
その尊像を聖観世音菩薩と見極め、深く帰依して自らも出家、
自宅を寺と改めて観音さまの供養に生涯を捧げたのが始まりだとか。
来年11月まで、本堂は改修工事中で、
足場が組まれ幌が被せられていました。
雷門
左に雷神、右に風神。
浅草寺の護法善神で、この二神の名前から
「風雷神門(ふうらいじんもん)」と呼ばれていたのが
いつの頃からか雷門とだけ呼ばれるようになったのだそうです。
左右それぞれ、「女わらじ」と「男わらじ」というらしい。
いずれも高さ4・5m、幅1・5m、重さは約500キロ。
10年に一度、新しいものが奉納されるのだとか。
この大わらじは昨年10月に奉納されたばかり。
ところで、「女わらじ」と「男わらじ」、どこがどう違うんだろう?
本堂の天上絵
幸運にも
人力車に乗った花嫁さんと花婿さんに遇いました。
お幸せに!