法隆寺の夢殿のすぐそばにあり、
聖徳太子の母、穴穂部間人皇后の住まい(斑鳩御所)を
寺に改めたと伝えられる、最古の尼寺だそう。
この本堂は高松宮妃(平成16年、92歳で薨去)の発願によって、
昭和43年に建て直されたものだそう。
この寺で有名なのが、本尊の弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)。
弥勒菩薩半跏思惟像といえば、広隆寺も有名。
飛鳥時代前期
飛鳥時代後期
モナリザ、スフィンクスと並ぶ世界三大微笑像と呼ばれているらしい。
あ~、私もこんな穏やかな顔で毎日を過したい!
三連休二日目は京都と奈良へ。
関西本線を使って、浄瑠璃寺と法隆寺へ行ってきました。
法隆寺まで切符を買って、
加茂(京都府木津川市)で途中下車。
コミュニティーバスで浄瑠璃寺へ。
山門
まず東の薬師如来に苦悩の救済を願い、
三重塔(国宝)
本来なら、この、三重塔内に安置されているのだけど、
現在、塔が修理中で阿弥陀堂に移されていました。
秘仏なので閉扉されていて見ることができませんでした。
この塔の前でふり返って、
九体阿弥陀堂(国宝)
一体一体の如来に堂前に板扉(窓)がある
池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが、
この寺の本来の礼拝だそう。
九体阿弥陀如来像(国宝)
九つの往生の段階があるという考えから、
九つの如来をまつってある。
太陽の沈む西方極楽浄土へ迎えてくれる来迎仏である
阿弥陀仏を西に向かって拝めるよう東向きに、
前に浄土の池をおき、その対岸(此岸)から彼岸に
来迎仏(阿弥陀如来)を拝ませる形にしたのだそうです。
ここへ来たのはこのお方にお目にかかるため。
吉祥天女像(重文)
このお方がいらっしゃった場所は
厨子の中に入っておられ、
年に3回しかお目にかかれない。
この寺のご本尊は阿弥陀如来かなと思っていたら
薬師如来だそうです。
薬師如来はこの寺の名前にもなっている
東方浄瑠璃浄土の教主で、
過去世から送り出してくれる仏で、過去仏といい、
遠く無限に続いている、過去の因縁、
さらには現実にある苦悩をのりこえる力を薬として与えてくれ
西方極楽浄土へ送り出す遣送仏だそうです。
今度は、是非、この、薬師如来像を見に来たい!
※仏像の写真は浄瑠璃寺で買ったものです。
堂内は撮影禁止
金曜日から三連休でした。
三連休初日は、父の検査に同行。
食事をする時、“物をよく落とす”と言うことで、
頭部のMRIを撮ったのですが、
新しい脳梗塞や新しい血管の狭窄はありませんでした。
父曰く、
「そうじゃろ、どっこも悪うないと思うちょった」(山口弁)
「それにしても、
H(一緒に住んでいる妹のこと)はよう見とるのう」だって
会計済ませて、玄関を出て、
いつもの駐車場の方へ行こうとすると、
父が、「こっちじゃなかったか?」と。
今日はいつもの駐車場がいっぱいで、
他の場所に駐車したんでした。
父曰く、
「俺のほうがしっかりしとるじゃないか」
しかし、この結果で、
お試しで、デイケアへ行く予定にしていたのだけど、
訪問リハビリのほうがいいと、
「試しに、行こうよ」と説得しても、
「わしゃ、やることがいっぱいある」と
拒否る頑固な父
まあ、誰しも、初めてのことには躊躇するけど、
年をとると、よけいにだよね。
嫌がる父を、無理に行かせることもないかと、諦めました。
しかし、あなたの『頑固』
私に遺伝してます
三連休初日は、父の検査に同行。
食事をする時、“物をよく落とす”と言うことで、
頭部のMRIを撮ったのですが、
新しい脳梗塞や新しい血管の狭窄はありませんでした。
父曰く、
「そうじゃろ、どっこも悪うないと思うちょった」(山口弁)
「それにしても、
H(一緒に住んでいる妹のこと)はよう見とるのう」だって
会計済ませて、玄関を出て、
いつもの駐車場の方へ行こうとすると、
父が、「こっちじゃなかったか?」と。
今日はいつもの駐車場がいっぱいで、
他の場所に駐車したんでした。
父曰く、
「俺のほうがしっかりしとるじゃないか」

しかし、この結果で、
お試しで、デイケアへ行く予定にしていたのだけど、
訪問リハビリのほうがいいと、
「試しに、行こうよ」と説得しても、
「わしゃ、やることがいっぱいある」と
拒否る頑固な父

まあ、誰しも、初めてのことには躊躇するけど、
年をとると、よけいにだよね。
嫌がる父を、無理に行かせることもないかと、諦めました。
しかし、あなたの『頑固』
私に遺伝してます
