吉岡(吹屋)銅山の笹畝坑道の坑口。
大きなコウモリに悲鳴を上げたり、
突然現れた人形(写真右上)に驚いたり。
どこまで続くんだと、不安になったり。
当時機械もなく、よく人の手で掘ったもんだと感心したり。
鍾乳洞と見まがうほどだ。
元々銅山で栄えていた吹屋の銅鉱石は
ベンガラの製造に欠かせない磁硫化鉄鉱石と
隣接して産出し、鉄鉱石の中に含まれる
微量の銅成分が美しい色を作り、
吹屋のベンガラはジャパンレッドとして
世界で最も美しいと言われたのだそう。
吹屋の地下には坑道が
蜘蛛の巣のように縦横無尽に張り巡らされ、
総延長でおよそ80㎞も掘り抜かれているそう。
地震の際などは崩れているのか、
「ドーン、ドーン」と地鳴りのような
音がすることがあるそう。
下の丸の部位が竪坑。
右下の丸が笹畝坑道で、左上の丸が吹屋小学校。
真中の丸が観光案内所で、
そこから笹畝坑道までは1.2㎞ある。
余談ですが、
吹屋のベンガラ製造には、
長門国大津郡(現下関市長府)の住人、
原弥八の功績があったと、
吹屋で買った、臼井洋輔さんの
『吹屋ベンガラ』という本に書かれ、
同じ山口県人として、誇らしかった。
長門の銅が東大寺の大仏に
使われたことは知っていたけど、
日本で最も早く銅が造られたのが長門であり、
和同開珎などが708年(和銅元年)に
鋳造されたところでもあるというのは
この本を読んで初めて知った。
ベンガラの製造工程が復元されている
ベンガラ館は休館(開館日土日月祝)で、
見学することができず残念。
1872年(昭和47年)の閉山とともに、
化学工業の発展と相まって、
安価に短時間で造られるようになり、
手間暇かけて造られる吹屋の
高品質なジャパンレッドして
世界を数百年間席巻した吹屋ベンガラは
幕を閉じたのだそう。