晴れのよい天気じゃ。
本来なら気持ちのいい朝だけど、のどにウィルスが入ってつばを飲み込むのも痛い。
ってことで、体調がさっぱりよろしくないおぢでござります。
きのう、あまりにのどが痛くて、喋るのも苦痛なほどになっちゃいました。
で、とうとう病院に駆け込んだ。
すっかり我が家の主治医となった真狩村の「野の花診療所」でござる。
昔の美人女医さんの診断は、「のどにウィルス入ったようです」。
痛み止めやら、抗生物質、漢方薬などいただいて、午後からは寝てました。
おかげさまで、かなり改善はしたものの、のどはまだ痛いし、熱もあるようです。
一年で一番いい季節を迎えておるというのに、なんだかなぁ状態。
「はぁ~」とため息のひとつも出てしまうのでござります。
さて、
のどの痛みで寝ている間、昨年読んだ「あの戦争になぜ負けたのか」(文春新書800円)をまたまた引っ張り出して、読んでみましたのです。
半藤一利(作家)、保阪正康(ノンフィクション作家)、中西輝政(京大教授)、戸一成(呉市海事歴史科学館館長)、福田和也(文芸評論家)、加藤陽子(東大助教授)が、あいまいな戦争目的、戦略なき戦いに突入したわけを、それぞれ調査に基づいて論議しあう本で、まことに読みやすく、わかりやすい本なのです。
太平洋戦争とは一体全体なんだったのか、そこんところが、よ~く判る。
おぢの世代はすでに「戦争を知らない世代」ではあるのですが、もっとお若い方は先の大戦などチンプンカンプンの世界。
学校でもさっぱり教えてくれないしね。
ってことで、この本のご一読をお勧めします。
現在につながるこの国の官僚支配の実態がよ~く分かります。
象徴的だったのは、ニッポンの戦死者が約230万人で、そのうちの約半数が「餓死」!!
原因は、補給の軽視。
いけいけどんどんの軍官僚は、兵隊の食料など兵站(補給)についてはほぼ無視、それでも戦争を続けていたというのだから呆れます。
いまの自衛隊では、前線に暖かい食べ物をしっかり届けるのは必須だとしてますけどね。
それにしても、戦死者のほぼ半分が「餓死」など、戦史に例があるのでしょうかね。
極めつけは、特攻隊です。
国のために散華していった若者たちに、指揮官は「俺もあとから続くから」送り出した。
しかし、そのほとんどが敗戦後、「戦後復興に尽くすのが大事」と死者との約束を破ったこと。
特攻の父と言われ、敗戦後に割腹自殺をした大西中将は例外的だったとか。
しかも発案者も大西中将とわいれているけれど、実際には軍令部が昭和18年の夏ごろから準備していたのだという。
はっきりしておるのは、特攻が「志願」などということはなかったということ。
しかも、熱意あふれる下士官が考え出したのではなく、軍上層部がしっかり計画して命じた作戦だというのだ。
ドイツでは、やはり特攻志願者などもいたけれど、優秀な人たちの特攻を禁じたのだという。
なぜか。
敗戦間際の戦争より、その後のドイツ興隆に備えたのだそうだ。
ニッポン国には、戦後に英才を残すという考え方さえなかったのです。
死なばもろとも「一億玉砕」など、国家指導者は考えてはいけませんのです。
しかも、軍官僚だけ生き残ってさ!!
ある陸大出身の元軍人は、取材した保阪さんにこう言ったという。
「わが期は、4、5人しか死んでいない」と自慢して、「きみ、今度戦争が起きたら、息子は陸大に入れろよ」。
なんとまぁ、凄いエピソードです。
特攻隊で死んでいった若者たちにどう申し開きするのでしょうかね、この軍官僚。
とにもかくにも、「あの戦争になぜ負けたのか」(文春新書)のご一読をお勧めします。
作家、学者の皆さんの取材でわかった事実が、あまりにバカバカしくて、情けなくなりますけどね。