おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「脳死は人の死」と思うけど…

2009年06月19日 | Weblog


曇り空の朝です。
いまいちの初夏だなぁ~
本州では30度を超える気温のところもあるというに。

さて、
「脳死は人の死」「臓器移植の年齢制限撤廃」を骨子とした臓器移植法改正案が、衆議院で可決されましたぁ。
正直、よかった!!
参院ではどうなるか、ややこしいといいますけど…

可決されたA案、まことにけっこうじゃ。
「脳死から復活」した方がたくさんいるならともかく、脳死から復活した人など聞いたことはありませんのです。
残念ながら、脳死は人の死なのです。

心臓が動いてるから「生きている」と言われてもねぇ。
おぢもそうなったら、トットと人のお役に立ちたいと思いますです。
日本人の死生観だとかで、臓器移植すれば助かる人が、助からないとすれば、まことに困ったことだと思いまする。

これまで、臓器移植のために外国へ行く子供がどんだけ多かったことか。
しかも、米国なら手術費用は1億円を超える場合もありまする。
そのために、あちこちの駅前で、両親が募金を募る姿が見られました。
病身の子供を抱え、たいへんなことでござりました。

さらには、外国での移植なら、臓器そのものが外国人のもの。
そりゃ、まずいでしょうが。
WHO(世界保健機構)も「ニッポン人ならニッポン人の臓器でまかないなさい」って事を言ってます。

97年に臓器移植法が成立し、どれだけ移植で助かる人が…と思っていたけど、実際には移植手術の実施はサッパリだった。
なんのための移植法だったの?って話だった。
それからなんと12年、ようやく臓器移植が本格化する第一歩なのじゃ。

「臓器を提供いただければ、別の命が助かる」
ここが大事だと思う。
今回可決されたA案、民主党議員の多くは反対だったとか。
なんんでかねぇ、どないなってまんの?
ってことは、参院で否決の可能性もあるってことだ。

「脳死は人の死」と言われても、感情的に理解できない親族の気持ちもわからんでもないけれど、「脳死からの復活」はあるの?ってことでござる。
もっとも、親族が移植を拒否すりゃ、無理強いすることでもありませんがね。

ただ、「どうしてもこの先は死んでしまう人」と、「移植されすれば助かる人」がいるならば、「助かる可能性に賭ける」べきだと思います。
今回の改正、世界の常識に照らしてみても、正しい判断だとは思うけどねぇ…