おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「真央ちゃん以前、真央ちゃん以後」と歴史は言うだろう

2017年04月11日 | Weblog

午前7時の気温はプラス3度。

薄曇りのお天気です。

今朝は寝覚めがたいしたよろしくない。

肩こりなのか、特に左肩がたいした痛いのです。

心臓でも悪くなったか? 

…などと心配しながらEテレ「朝の体操」をしていてようやくわかったのですが、上半身のあちこちがムチャ痛い。

そこできのうは久々のヨガ教室だったことに気がついたのです。

3月半ばから、ヨガの美人先生はご主人のお国ニュージーランドに行っておった。

そんなことなもんだから、ほぼ1か月ぶりのヨガ教室だったのです。

でもって、上半身のあっちもこっちもが筋肉痛だと気がついたわけ。

水曜日恒例のズンバのおかげで、筋肉はそこそこ心配ないと思ってましたけど、こと上半身に関してはまったく違うようなのです。

おぢの場合、とりわけ腕の筋肉が弱っておるような…

日曜のジムでしっかり腕立て伏せなどしておるし、薪割りや薪運びもしておって、だから腕の筋肉は大丈夫と思っておったら、さにあらずなのじゃ。

ヨガのなんちゃらかんちゃらいうポーズを何度も繰り返すと、もう腕がしんどくてしんどくて…

腕の筋肉で、体をちゃんと支えることができていないのです。

おまけに体が硬いわけですから、あんなポーズもこんなポーズも、苦しい思いして真似っこするわけだけど、さっぱり。

おぢの体は子どもの頃から延々と硬くてどもこもならんわけ。

ですが、30代半ばからジムに通い始め、ご当地に移住してからはコーチのおかげで、たぶん「60年前より」確実に体は柔らかいとは思う。

とはいえ、そのレベルはというと「あの人、体が柔らかいねぇ~」といわれるお方から見れば、屁みたいなもんですわ。

60代も半ば、棺桶に片足突っこんでおるようなおぢですが、実は「成せば成る」と、いまも思っておる。

ついでながら、「月光仮面」「七色仮面」「少年ジェット」「赤胴鈴之助」で育ったおぢは、いまも「正義は必ず勝つ」と信じておる。

余計なことでスマンこってす!!

そんなこんな、今後はヨガもしつこく通い、最終的には「座って開脚し、胸を床につける」のを目標に、精進するのじゃ!!

これをなんとか10年程度で目標達成したいとは思っておる。

だけど、それ以前におぢは10年後も生きてるか???

ところで、

浅田真央さんが引退だそうな。

フィギュアスケートなんぞには丸きり興味のなかったおぢですが、ハニーさんが真央ちゃんファンだったこともあり、おぢもフィギュアの試合をテレビ観戦するようになっておりました。

とにもかくにも「お疲れさまでした」と申しておきましょう。

歴史を振り返れば、トリノ五輪には15歳という年齢制限にわずか87日足りないばかりに出場できなかった。

「れば、たら」ですけど、出場しておったら金メダルは間違いなかった。

その後は数々の国際大会で優勝する快挙が続きました。

そしていよいよ金メダルが期待されたバンクーバー五輪、ここでは韓国のキムヨナさんに敗れて銀メダルに止まった。

そして最後のソチ五輪は忘れがたいね。

ショートプログラムで16位と完全にアウト状態から、完璧演技でフリー6位に浮上。

演技終了時の真央ちゃんの涙には、おぢもウルウルいたしました。

おかあさんが亡くなったってこともありましたしねぇ、、、

世界中のファンにとって「記憶に残る」ニッポンが誇る名スケーターだったと申せましょう。

そんなこんな、おぢはニッポンのフィギュアスケートの歴史は今後「真央ちゃん以前と、真央ちゃん以後」と呼ばれるのだろうと想像いたします。

現在のニッポン女子フィギュアのレベルの高さはというと、「真央ちゃんになりたい!」という目標があったればこそ。

申し訳ないけど、同じ3回転ジャンプでも、伊藤みどりさんを目指したい女の子がごっちゃりいたような気はしないけど、真央ちゃんになりたい子はニッポンだけじゃなかったでしょう。

五輪の金メダルこそないけれど、ニッポンのフィギュアの歴史を変えた、愛らしくて偉大なスケーターだった。

これからどんな道に進むのか想像もできませんが、おぢ夫婦は今後もご活躍を期待しておりますぞ。

浅田真央ちゃんのスケート、何とも優美で美しかったなぁ、、、