グローバルネイチャークラブのガイド日記

グローバルネイチャークラブ(旧グローバルスポーツクラブ)のガイド仲間が観察した伊豆大島の自然の情報を中心にお届けします。

文化財ウイーク縄文遺跡展

2011年11月04日 | 歴史・文化
昨日、文化の日でしたので、たまには文化的なことを・・・と(恥)
町営の郷土資料館へ「大島の遺跡展」を見に行ってみました。

見出し写真は、資料館の前庭に飾られている「ハワイの魔除け像」です。

右下の説明板に、その由来が書かれています。
1962年2月に大島町とハワイ島ヒロ市が、
姉妹島の盟約を締結した際に贈られた記念品だそうです。
来年は50周年ですね。

資料館は、こんな具合に、
当時「世界三大流動性火山」などと言われていた
地学の歴史を知ることも出来る仕掛けになっているのです。

常設展示コーナーとは別の場所に、
特別展「大島の遺跡展」の会場があります。
先週末から今週末までの開催なので「ウイーク」だったのか。
・・・のぼり旗もありました。

元町の地曳浜(じびきはま)の南側にある崖に、
下高洞(しもたかぼら)遺跡があります。現地の写真パネルです↓
縄文時代早期の遺跡の発掘調査の様子が、
文献資料などと共に展示してあります。

下列左から2番目の写真パネルは「海亀」と注釈が付いていて、
縄文の人たちが食べたアオウミガメの甲羅とのこと。
遺跡からは、神奈川県の三浦半島に分布している
平坂式尖底土器なども出土しているそうです。
この中にカメの肉を入れて、焚き火の近くに立てて煮たのでしょうか?

こちら↓の陳列ケース上段は、
同じく遺跡から出土した神津島の黒曜石です。
ナイフや包丁、矢じりなどとして使われていた黒い石ですが、
ガラス質で今でも良く切れそうです! 金属よりスゴイかも!?

動物の骨などの出土品↓です。
大島の遺跡からイノシシの骨が出土していますが、
左上の小さな物はイノシシの歯牙を利用した歯斧(骨角器)だとか。

縄文の人たちは、丸木舟にイノシシの幼獣を乗せて
海を渡って来ていたのではないかと考えられているそうです。
飼育、または放牧していたようです。

ヘソ曲がりな私は、
ポークジャーキーみたいなものを航海の食料に積み込んで、
渡って来たってことは、ないのでしょうか?
などと想像してました(笑)

・・・しかし、

下高洞の縄文早期前半の遺跡からイノシシの遺骸が大量に出土し、
縄文人の移住は、沖の利島、新島・・・三宅島へと進み、そのつど
イノシシを連れて行ったらしく、縄文前期末には八丈島の倉輪遺跡
からイノシシの骨が出土し、イノシシと縄文人のつながりの深さを
知ることが出来ます。
    (小林達雄著『縄文人の世界』朝日選書557)

それから↓、
下高洞遺跡は、縄文時代中期(5500年前頃)、
縄文時代後期(4500年前頃)の遺物も発掘されています。

火山灰の堆積などもあるので、縄文前期からずっと続けてではなくて、
断続的にこの場所で生活した人たちがいたということのようですが、
当時の大島はどんな島だったのでしょう?



いい文化の日になったなあ・・・(汗)
と思いながら外へ出ると、
駐車場のサクラが咲いているのでした。
このところの暖かさのせいでしょうか。


特別企画展は6日まで。 まだ、やってますよーッ!!

(なるせ)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする